役人と政治家が雇用保険料を食い物にした「私のしごと館」、民間委託は出来レースで存続が目的
厚労省の天下り施設である「私のしごと館」が民間委託されることが決まりました。
厚労省の独立行政法人、「雇用・能力開発機構」は、職業訓練施設「私のしごと館」の運営を(株)コングレが今年9月から2年間の運営費約19億円で落札しました。
<「私のしごと館」の経緯>
「私のしごと館」は関西文化学術研究都市の中枢施設として、京都府精華町、木津川町にまたがって、2003年に延べ床面積3万5000平米、580億円掛けて建設された巨大施設で、毎年13億円の赤字を出して、問題となっていた施設です。
(株)コングレはコンベンション業界大手で、北海道洞爺湖サミットの運営業務を受注した企業です。
人件費の削減、利用者の増大で、26-19=7億円の赤字圧縮を目論んでいます。
この赤字施設は渡辺行革担当大臣が、廃止を主張し、昨年12月の閣議決定の独立行政法人整理合理化計画では、運営を民間に委託し、外部評価の結果を踏まえて1年以内に存廃を決定するとしていました。
厚労省の舛添大臣は、壊すのは無駄遣い、民間委託して赤字縮小して存続すべきとして、厚労省で第三者委員会「私のしごと館のあり方検討会」を設置し、民間委託の視点・あり方を検討し、今回の入札となりました。
●若年者のしごと展示は雇用保険ですべきことではない
「私のしごと館」は若年者の様々な職業の体験機会と情報の提供などを行い、利用者は年間50万人で、うち中学生が9万人、高校生が4万人います。
民間の「キッザニア」は、子どものお仕事体験テーマパークとして、成功しています。
小学生が大人の仕事はどんなだろうという興味を持って、それに応えるのはキッザニアで十分です。
子どもが遊ぶのに、大人の雇用保険を使う必要はなく、趣旨ではありません。
中高生などは職業選択が現実に迫ってきています。
しかし、これも大人の雇用保険を使うのは本末転倒です。
本当に仕事を知りたいなら、こんな展示館ではなく、実際の職場を公開するシステムを作って対応すべきで、労働していない絵空事のこんな施設では本当のことは分かりません。
大人になっては、こんな仕事がありますなんてのは、陳腐化しています。職業訓練など、実際の就職に役立つことに力を注ぐべきです。
仮に、仕事の展示が必要としても、全国に対象者がいるのに、この一施設だけで対応は出来ないし、地域不平等で、公共施設として不適切です。
趣旨から見ても、厚労省ではなく、文科省の範疇です。
厚労省の雇用保険を使って、この目的に使用することは、ナンセンスです。
赤字になってもすべきという、公園のような公共施設でも全くありません。
●厚労省の天下り施設、厚労属議員等の権益になっているのでは
現在、厚労省から天下り20人余りが、2.5億円の給料を貰っているといいます。
一人当たり、1000万円以上の高給です。
おまけに彼らは、営業的センスが全くないため、ペイさせる能力も。ペイさせる考えもありません。
労働行政になんら役に立たない、580億円も掛けた、天下り施設の何ほどでもありません。
我々の年金2000億円で作り50億円でたたき売りした、国民の一部だけが利用したグリーンピアと同じなのです。
それと看過できないのは、580億円という馬鹿げたほど巨額の建設費、これには多くの厚労属の政治家やゼネコンが関わったことでしょう。
役人には天下り、政治家には公共事業という二重の旨味があったと言えます。
「私のしごと館」は雇用保険のお金、580億円で造ったもの、つまり、事業者と労働者が払う保険料と国庫負担金の一部で出来ています。
仮に、580億円を失業給付に充てるとすると、失業等給付金を15万円/人月として約40万人の一ヶ月間の失業等給付が賄えます。
40万人の失業者が一月暮らせるお金を使って、建設には政治家やゼネコンが絡み、運営では厚労省の天下り役人が高給を取り、殿様商売のような態度で仕事をしていると言うことなのです。
●内閣は1年以内の結論に、厚労省は2年契約は存続への既成事実では
渡辺行革大臣が「私のしごと館」を廃止としているのは当然です。
雇用保険を筋違いの労働テーマパークに使い、おまけに毎年13億円の税金を赤字補填する、存続理由はありません。
しかし、厚労省の回し者に成り下がった舛添厚労大臣は、勿体ないから、民間委託して、赤字縮小して、存続するといいます。
運営を民間企業に委託するなら、公共施設の意味はありません。
いっそのこと売却すべきで、それなら大賛成です。
両者の意見の調整というより、結論の先送りをして、優柔不断の福田内閣は、1年以内=今年中に存廃の決着をつけるとしました。
なのに、厚労省は2年で民間契約したというのは、閣議決定と矛盾しています。
年内に廃止となる可能性もあるのに、再来年の9月までという1年9ヶ月も長い契約というのは、閣議決定を無視し、存続するという既成事実を作っていることに他なりません。
落札した業者は、洞爺湖サミットなどコンベンションの裏方をするということは、国の事業の請負業者とも言えます。
内々に厚労省からコングレに指名があり、コングレは受注額も相談の上、引き受けたのではないか、出来レースと見るのが妥当と思います。
天下りの役人たちをコングレは切るのか、そのまま抱えるのか、違う形で抱えるのか、どうするのでしょうか。
●不要なものは即刻廃止すべし
「私のしごと館」を民間委託しても、年間9.5億円の税金が補填されます。
民間がやっても、赤字となる施設なのです。
運営を民間施設とするなら、本来は地代を貰って、収益を国民に還元すべきものです。
10年存続すれば95億円、累積債務850兆円の国の財政では費用対効果の少ない施設は、不要です。
即刻に廃止すべきです。
原油・穀物高で景気減速し、失業者の増大が懸念されるなか、売却して失業等給付金などに充当すべきです。
●諸悪の根源を是正するため、特別会計の一般財源化と政権交代
「私のしごと館」を企てた官僚や建設に関わった政治家は責任を取らせることを忘れてはいけません。もちろんグリーンピアも。
最後に、保険料の使い方が野放図だった要因は、一つには特別会計であること、自民党長期政権で政官業の癒着構造があることです。
特別会計は原則的に廃止し一般財源化する。
そのためには癒着構造の自民党政権では困難で、野党が政権を取って行う必要があります。
政権交代は欠かせません。
厚労省の独立行政法人、「雇用・能力開発機構」は、職業訓練施設「私のしごと館」の運営を(株)コングレが今年9月から2年間の運営費約19億円で落札しました。
<「私のしごと館」の経緯>
「私のしごと館」は関西文化学術研究都市の中枢施設として、京都府精華町、木津川町にまたがって、2003年に延べ床面積3万5000平米、580億円掛けて建設された巨大施設で、毎年13億円の赤字を出して、問題となっていた施設です。
(株)コングレはコンベンション業界大手で、北海道洞爺湖サミットの運営業務を受注した企業です。
人件費の削減、利用者の増大で、26-19=7億円の赤字圧縮を目論んでいます。
この赤字施設は渡辺行革担当大臣が、廃止を主張し、昨年12月の閣議決定の独立行政法人整理合理化計画では、運営を民間に委託し、外部評価の結果を踏まえて1年以内に存廃を決定するとしていました。
厚労省の舛添大臣は、壊すのは無駄遣い、民間委託して赤字縮小して存続すべきとして、厚労省で第三者委員会「私のしごと館のあり方検討会」を設置し、民間委託の視点・あり方を検討し、今回の入札となりました。
●若年者のしごと展示は雇用保険ですべきことではない
「私のしごと館」は若年者の様々な職業の体験機会と情報の提供などを行い、利用者は年間50万人で、うち中学生が9万人、高校生が4万人います。
民間の「キッザニア」は、子どものお仕事体験テーマパークとして、成功しています。
小学生が大人の仕事はどんなだろうという興味を持って、それに応えるのはキッザニアで十分です。
子どもが遊ぶのに、大人の雇用保険を使う必要はなく、趣旨ではありません。
中高生などは職業選択が現実に迫ってきています。
しかし、これも大人の雇用保険を使うのは本末転倒です。
本当に仕事を知りたいなら、こんな展示館ではなく、実際の職場を公開するシステムを作って対応すべきで、労働していない絵空事のこんな施設では本当のことは分かりません。
大人になっては、こんな仕事がありますなんてのは、陳腐化しています。職業訓練など、実際の就職に役立つことに力を注ぐべきです。
仮に、仕事の展示が必要としても、全国に対象者がいるのに、この一施設だけで対応は出来ないし、地域不平等で、公共施設として不適切です。
趣旨から見ても、厚労省ではなく、文科省の範疇です。
厚労省の雇用保険を使って、この目的に使用することは、ナンセンスです。
赤字になってもすべきという、公園のような公共施設でも全くありません。
●厚労省の天下り施設、厚労属議員等の権益になっているのでは
現在、厚労省から天下り20人余りが、2.5億円の給料を貰っているといいます。
一人当たり、1000万円以上の高給です。
おまけに彼らは、営業的センスが全くないため、ペイさせる能力も。ペイさせる考えもありません。
労働行政になんら役に立たない、580億円も掛けた、天下り施設の何ほどでもありません。
我々の年金2000億円で作り50億円でたたき売りした、国民の一部だけが利用したグリーンピアと同じなのです。
それと看過できないのは、580億円という馬鹿げたほど巨額の建設費、これには多くの厚労属の政治家やゼネコンが関わったことでしょう。
役人には天下り、政治家には公共事業という二重の旨味があったと言えます。
「私のしごと館」は雇用保険のお金、580億円で造ったもの、つまり、事業者と労働者が払う保険料と国庫負担金の一部で出来ています。
仮に、580億円を失業給付に充てるとすると、失業等給付金を15万円/人月として約40万人の一ヶ月間の失業等給付が賄えます。
40万人の失業者が一月暮らせるお金を使って、建設には政治家やゼネコンが絡み、運営では厚労省の天下り役人が高給を取り、殿様商売のような態度で仕事をしていると言うことなのです。
●内閣は1年以内の結論に、厚労省は2年契約は存続への既成事実では
渡辺行革大臣が「私のしごと館」を廃止としているのは当然です。
雇用保険を筋違いの労働テーマパークに使い、おまけに毎年13億円の税金を赤字補填する、存続理由はありません。
しかし、厚労省の回し者に成り下がった舛添厚労大臣は、勿体ないから、民間委託して、赤字縮小して、存続するといいます。
運営を民間企業に委託するなら、公共施設の意味はありません。
いっそのこと売却すべきで、それなら大賛成です。
両者の意見の調整というより、結論の先送りをして、優柔不断の福田内閣は、1年以内=今年中に存廃の決着をつけるとしました。
なのに、厚労省は2年で民間契約したというのは、閣議決定と矛盾しています。
年内に廃止となる可能性もあるのに、再来年の9月までという1年9ヶ月も長い契約というのは、閣議決定を無視し、存続するという既成事実を作っていることに他なりません。
落札した業者は、洞爺湖サミットなどコンベンションの裏方をするということは、国の事業の請負業者とも言えます。
内々に厚労省からコングレに指名があり、コングレは受注額も相談の上、引き受けたのではないか、出来レースと見るのが妥当と思います。
天下りの役人たちをコングレは切るのか、そのまま抱えるのか、違う形で抱えるのか、どうするのでしょうか。
●不要なものは即刻廃止すべし
「私のしごと館」を民間委託しても、年間9.5億円の税金が補填されます。
民間がやっても、赤字となる施設なのです。
運営を民間施設とするなら、本来は地代を貰って、収益を国民に還元すべきものです。
10年存続すれば95億円、累積債務850兆円の国の財政では費用対効果の少ない施設は、不要です。
即刻に廃止すべきです。
原油・穀物高で景気減速し、失業者の増大が懸念されるなか、売却して失業等給付金などに充当すべきです。
●諸悪の根源を是正するため、特別会計の一般財源化と政権交代
「私のしごと館」を企てた官僚や建設に関わった政治家は責任を取らせることを忘れてはいけません。もちろんグリーンピアも。
最後に、保険料の使い方が野放図だった要因は、一つには特別会計であること、自民党長期政権で政官業の癒着構造があることです。
特別会計は原則的に廃止し一般財源化する。
そのためには癒着構造の自民党政権では困難で、野党が政権を取って行う必要があります。
政権交代は欠かせません。
布川冤罪事件の再審請求に対して、高検が最高裁に特別抗告=権力が自らを守るために冤罪という罪を犯す
東京高検は、東京高裁の布川事件を再審請求を認める決定に対して、再審請求をすべきでないとして、最高裁に特別抗告をしました。
これまで、一審、二審と再審請求を認めた案件で特別抗告に至った例はないと言います。
高検の理由は裁判結果を覆す新たな証拠が出ていないとしいています。
東京高裁での再審開始を認める決定では、再審請求後に検察から開示された新たな証拠を検討した結果、自白には重大な疑問があり、取調官の誘導を伺わせるとまで指摘しています。
検察はこれまで隠してきた証拠が裁判時に開示されていれば、有罪ではなかったと高裁が述べているのに対して、隠してきた証拠は有罪を覆すだけのものではないと、真っ向から高裁の決定に反発しています。
<布川事件の概略>
布川事件について、簡単に記します。
1967年の老齢の大工さんの強盗殺人事件で、犯人とされた二人を見たという証言と二人の自白で、1、2審とも有罪、1978年最高裁で上告が棄却され、無期懲役が確定しました。
二人は刑に服し、1996年二人は仮出所しました。
29年間も拘束、服役されていました。
<再審請求>
日本では、再審請求が通るのは、針の糸にラクダを通すほど、難しいと言われています。
再審請求とは、裁判が確定した後で、この判決は間違っているとして、もう一度裁判を行って欲しいと裁判所に要求することです。
これまで再審が認められたのはたったの5回で、そのうち48回が無罪となりました。
何故認めないか、裁判所も国家権力、再審請求に応じると言うことは、自分たちが間違っていたことを自ら認めることで、日本の官僚制度(お上)ではあり得ないからです。
刑事訴訟法では新たな証拠が見つかったとき、証拠が偽りだったときなどです。
しかし、被告に有利な非開示資料を含めて、証拠資料はすべて検察側の掌中にあって、検察に有利なように出来ています。
捜査権のない弁護側にとって、冤罪の証明は困難を極めることも再審が認められない大きな要因です。
<冤罪の証拠>
日本の裁判では、検察の持っている証拠を全て開示しなくて良く、検察にとって有利なものだけを証拠として、裁判に利用されています。
何故、二人が冤罪であることが証明できるようになったかというと、それは未開示捜査資料が度重なる請求によって、一部が開示されたためです。
段ボール7箱?ほど、未開示の資料があると言われ、開示請求に対して、河川の氾濫で流されたというような、まるで北朝鮮のような言い訳を言っていました。
唯一の証拠である証言が二人を見たというのでしたが、その証人の母親も見ていたという証言が未開示にされていました。
乗物で移動中に見たという子どもより、母親は被害者宅を訪れ、二人を見て、冤罪となった知己の二人でなく、違う人と証言していました。
子どもの方も、冤罪の二人かどうかは不確かだと言います。
証拠の二人を見たという証言は崩れました。
自白では素手であちこち触ったなっていますが、二人の指紋は全くありません。
残された髪の毛が7本あり、5本が被害者以外という証拠しか出されていませんでしたが、新たに5本とも冤罪2人のものではないと言います。
自白では手で頸を絞めたとされていますが、検視データでは細い紐で絞められたというのが出てきました。
未開示の自白テープは、2回録音され、1回目は非開示とされ、そこには13回ほどカチャンという録音を止める音が入っており、有罪にしにくい部分は意図的に録音されなかったように思われます。
もう一人の自白テープが開示されていないのも不自然です。
開示されたのは2箱だけで、残る5箱には、もっと検察に不利な情報が入っているに違いありません。
次々と明らかになった資料で、警察取り調べの自白誘導の疑いが濃くなりました。
強盗したお金の額は自白では3回くらい変遷しています。
これでもう一つの決め手、自白も証拠としての価値が希薄となりました。
有罪とする根拠は崩れ去った今、無罪しかあり得ません。
間違った捜査による、警察・検察・裁判所が作った冤罪事件と言えます。
思い込み捜査により、無実の人を殺人者に仕立てたということになります。
<冤罪の起こる要因>
冤罪が起こりうるのは、
・自白さへ取れば有罪に出来る
・有罪に出来るまで留置所で四六時中何日も拘束・取り調べできる
・取り調べは密室で
・調書は自白の一言一句でなく取調官の作文
・証拠は検察に有利なものだけで不利なものは開示しなくて良く
・端から裁判所は弁護側より検察官の言うことを信じる
などが背景です。
証拠を出そろった段階で、連立方程式を読み解くというような合理的に検討するのではなく、捜査初期の段階でストリーを決めて、それに合わせて捜査する手法にも大きな問題があります。
これらの諸制度は、戦前の体質をそのまま引き継いでおり、先進国では希な、後進国並みとなっている、恥ずべき制度です。
<特別抗告>
今回は検察の言いなりにならず、地裁、高裁と再審すべきと決定されてきました。
冤罪を生んだ根底に、お上は間違わないという権威誇示があるのは確かです。
今また、反省無く、行政権力の誇示のため、自分たちは間違っていないと特別抗告しました。
最高裁は地裁、高裁より、権力意識が高い分、行政の判断=検察に追随する傾向があります。
検察が隠蔽した証拠から冤罪であることが高裁で明らかにされたのに対し、最高裁は検察に服従するか、司法の独立を示せるかどうか、最高裁の判断は見物です。
検察は自分たちを守るため、無実の人を殺人者に仕立て続けようとしています。
検察と同様に権力者である最高裁は、司法を守るものとして、検察の過ちを正せますでしょうか。
<裁判員制度について>
来年から裁判員制度は始まります。
検察と弁護側が問題点を整理した後、裁判員が3日で刑期も含めて重犯罪の判決を出さなければいけません。
私は裁判員制度には反対で、今の純粋培養の官僚的裁判官を社会経験豊富な弁護士出身の裁判官に改めれば、国民の目線に立った判決が行われるようになると思います。
少なくとも上記の問題点が解決されない限り、裁判員制度を開始すべきではありません。
蛇足ですが、裁判員の日当は1万円が有力だそうです。
新任の判事が年1020万円、月収で90万円、日当換算で4万円となり、同じ仕事をする裁判員は裁判官の1/4にしかなりません。
当日は判決を出すという、人の生き死にに関する大事な仕事で、裁判官と仕事は同じです。
同じように重い責任を伴うならば、同一賃金にすべきではないでしょうか。
これまで、一審、二審と再審請求を認めた案件で特別抗告に至った例はないと言います。
高検の理由は裁判結果を覆す新たな証拠が出ていないとしいています。
東京高裁での再審開始を認める決定では、再審請求後に検察から開示された新たな証拠を検討した結果、自白には重大な疑問があり、取調官の誘導を伺わせるとまで指摘しています。
検察はこれまで隠してきた証拠が裁判時に開示されていれば、有罪ではなかったと高裁が述べているのに対して、隠してきた証拠は有罪を覆すだけのものではないと、真っ向から高裁の決定に反発しています。
<布川事件の概略>
布川事件について、簡単に記します。
1967年の老齢の大工さんの強盗殺人事件で、犯人とされた二人を見たという証言と二人の自白で、1、2審とも有罪、1978年最高裁で上告が棄却され、無期懲役が確定しました。
二人は刑に服し、1996年二人は仮出所しました。
29年間も拘束、服役されていました。
<再審請求>
日本では、再審請求が通るのは、針の糸にラクダを通すほど、難しいと言われています。
再審請求とは、裁判が確定した後で、この判決は間違っているとして、もう一度裁判を行って欲しいと裁判所に要求することです。
これまで再審が認められたのはたったの5回で、そのうち48回が無罪となりました。
何故認めないか、裁判所も国家権力、再審請求に応じると言うことは、自分たちが間違っていたことを自ら認めることで、日本の官僚制度(お上)ではあり得ないからです。
刑事訴訟法では新たな証拠が見つかったとき、証拠が偽りだったときなどです。
しかし、被告に有利な非開示資料を含めて、証拠資料はすべて検察側の掌中にあって、検察に有利なように出来ています。
捜査権のない弁護側にとって、冤罪の証明は困難を極めることも再審が認められない大きな要因です。
<冤罪の証拠>
日本の裁判では、検察の持っている証拠を全て開示しなくて良く、検察にとって有利なものだけを証拠として、裁判に利用されています。
何故、二人が冤罪であることが証明できるようになったかというと、それは未開示捜査資料が度重なる請求によって、一部が開示されたためです。
段ボール7箱?ほど、未開示の資料があると言われ、開示請求に対して、河川の氾濫で流されたというような、まるで北朝鮮のような言い訳を言っていました。
唯一の証拠である証言が二人を見たというのでしたが、その証人の母親も見ていたという証言が未開示にされていました。
乗物で移動中に見たという子どもより、母親は被害者宅を訪れ、二人を見て、冤罪となった知己の二人でなく、違う人と証言していました。
子どもの方も、冤罪の二人かどうかは不確かだと言います。
証拠の二人を見たという証言は崩れました。
自白では素手であちこち触ったなっていますが、二人の指紋は全くありません。
残された髪の毛が7本あり、5本が被害者以外という証拠しか出されていませんでしたが、新たに5本とも冤罪2人のものではないと言います。
自白では手で頸を絞めたとされていますが、検視データでは細い紐で絞められたというのが出てきました。
未開示の自白テープは、2回録音され、1回目は非開示とされ、そこには13回ほどカチャンという録音を止める音が入っており、有罪にしにくい部分は意図的に録音されなかったように思われます。
もう一人の自白テープが開示されていないのも不自然です。
開示されたのは2箱だけで、残る5箱には、もっと検察に不利な情報が入っているに違いありません。
次々と明らかになった資料で、警察取り調べの自白誘導の疑いが濃くなりました。
強盗したお金の額は自白では3回くらい変遷しています。
これでもう一つの決め手、自白も証拠としての価値が希薄となりました。
有罪とする根拠は崩れ去った今、無罪しかあり得ません。
間違った捜査による、警察・検察・裁判所が作った冤罪事件と言えます。
思い込み捜査により、無実の人を殺人者に仕立てたということになります。
<冤罪の起こる要因>
冤罪が起こりうるのは、
・自白さへ取れば有罪に出来る
・有罪に出来るまで留置所で四六時中何日も拘束・取り調べできる
・取り調べは密室で
・調書は自白の一言一句でなく取調官の作文
・証拠は検察に有利なものだけで不利なものは開示しなくて良く
・端から裁判所は弁護側より検察官の言うことを信じる
などが背景です。
証拠を出そろった段階で、連立方程式を読み解くというような合理的に検討するのではなく、捜査初期の段階でストリーを決めて、それに合わせて捜査する手法にも大きな問題があります。
これらの諸制度は、戦前の体質をそのまま引き継いでおり、先進国では希な、後進国並みとなっている、恥ずべき制度です。
<特別抗告>
今回は検察の言いなりにならず、地裁、高裁と再審すべきと決定されてきました。
冤罪を生んだ根底に、お上は間違わないという権威誇示があるのは確かです。
今また、反省無く、行政権力の誇示のため、自分たちは間違っていないと特別抗告しました。
最高裁は地裁、高裁より、権力意識が高い分、行政の判断=検察に追随する傾向があります。
検察が隠蔽した証拠から冤罪であることが高裁で明らかにされたのに対し、最高裁は検察に服従するか、司法の独立を示せるかどうか、最高裁の判断は見物です。
検察は自分たちを守るため、無実の人を殺人者に仕立て続けようとしています。
検察と同様に権力者である最高裁は、司法を守るものとして、検察の過ちを正せますでしょうか。
<裁判員制度について>
来年から裁判員制度は始まります。
検察と弁護側が問題点を整理した後、裁判員が3日で刑期も含めて重犯罪の判決を出さなければいけません。
私は裁判員制度には反対で、今の純粋培養の官僚的裁判官を社会経験豊富な弁護士出身の裁判官に改めれば、国民の目線に立った判決が行われるようになると思います。
少なくとも上記の問題点が解決されない限り、裁判員制度を開始すべきではありません。
蛇足ですが、裁判員の日当は1万円が有力だそうです。
新任の判事が年1020万円、月収で90万円、日当換算で4万円となり、同じ仕事をする裁判員は裁判官の1/4にしかなりません。
当日は判決を出すという、人の生き死にに関する大事な仕事で、裁判官と仕事は同じです。
同じように重い責任を伴うならば、同一賃金にすべきではないでしょうか。
御殿場冤罪事件など、お上的判決は裁判所の官僚体質、法曹一元化(原則、弁護仕上がりの裁判官ばかりに)せよ
御殿場冤罪事件も、富山の冤罪事件も、検察の言い分を全面的に受け入れ、検察=行政にしたがった判決でした。
様々な憲法違反裁判でも、政治や行政に関することは、まるで行政を聖域と考え、侵さないように、審判もせずに門山払いにしたり、立川反戦ビラ事件などでは、ときの政権が大喜びするような判決を出したりします。
<司法の問題点:庶民感覚の欠如・お上意識、裁判所益を追求、行政に従順>
このような庶民感覚とはかけ離れた、お上に有利な判決をする裁判所の大きな問題点は3点挙げられます。
●裁判官たちは、司法試験に合格して、司法研修を終えて法曹資格を得て、判事補に任命され、10年経験後、判事になるため、世間のことは知らず、裁判所のなかの法の解釈から一歩も出ずに、庶民の感覚からみた法の解釈が全くできず、庶民感覚と遊離した判決を下すのです。
●裁判所はこうした裁判官たちばかりで構成されており、この中で、最高裁判事に向け競争します。本来はそれぞれが独立した立場なのですが、権力構造の影響受けます。
行政のキャリア官僚と全く同じような中身となっており、省益ならぬ裁判所益をめざす体質になっています。
最高裁の出した判決に逆らえず、国民寄りの判決が出せないということが往々にして起こります。
御殿場冤罪事件では、2審判決が同僚判事が1審判決に関わったことから、1審判決を踏襲したのではないかと言われています。
●裁判所のトップである最高裁は内閣に任命されます。最高裁判事の国民投票は有名無実です。
三権独立といいながら、事実上は、行政が司法の上に来ています。
ともに、お上を形成しており、国民を裁くという観念にあるため、同じお上の仲間で、より上位にある行政=検察や内閣、さらには政権の言うことには逆らいません。
<司法の改革:裁判員制度の導入ではなく、官僚的な裁判官制度を改革>
こういった裁判を変えるには裁判員制度の導入ではなく、純粋培養の官僚的な裁判官制度を改めることが、本当の解決になったのではないかと思います。
■弁護士任官制度はあるが、殆ど活用されず
最高裁判事から判事補まで、3500人います。
恐らく、99%以上の人が司法試験合格後、そのまま判事補、判事になっているのではないでしょうか。
血の通った判決を増やすには、一般社会を良く知った弁護士出身の裁判官を増やすのが、裁判員制度よりも、正しい、適切な方法と考えます。
弁護士経験は、物事を組み立てて考え方を構築します。裁判官の比較検討して考えるよりは、遥かに広い幅で物事を捉えることができます。
少なくとも、純粋培養の裁判官より、人の心が分かります。
日本にも、日弁連が働きかけてできた弁護士任官制度があります。
しかし、10年間で60人しか弁護士から判事補、判事に採用されず、殆どいないに等しい人数です。
アメリカでは、弁護士・検察官の経験者から裁判官を任用する法曹一元制をとっています。
だから、検察官より弁護士の方が圧倒的に多いことから、アメリカでは弁護仕上がりの判事が大半だろうと思います。
■最高裁はお上のメンバー、お上は元裁判官が多数派で、お上的判決、弁護士任官制度を無視
弁護士任官制度を拡大しようとしないのは最高裁です。
最高裁が裁判官、判事補の任命権を握るため、司法は最高裁判所を頂点とする組織です。
中の人達は裁判所のだけの純粋培養の人達ばかり、国民より最高裁を見ながら勤めています。
最高裁判事15人は裁判官6人、検察官2人、弁護士4人、行政官・外交官・大学教授出が1人ずつです。
最高裁判事は元裁判官と元検察官で8人と過半数を占めており、他の公務員を含めると、お上は10人で2/3以上を占めています。
お上10人の中で、裁判官6人で過半数を占め、裁判官の意見が強くなります。
これでは、お上に不利なこと、裁判所に不利なことはしません。
当然、職域を侵す弁護士任官制度を活用する気はありません。
■最高裁のメンバーを弁護士を多数派にするには政権交代、弁護士任官制度を推進
最高裁判事は内閣が任命します。
最高裁判事の比率を民間出身者が過半数を握らない限り、弁護士任官制度は生きたものにはなりません。
弁護士任官制度は門戸を広げるように、新たな最高裁によって、改善すべきでしょう。
生え抜きの裁判官より民間出身の弁護士が多く占めるようにすべきです。
その為には、内閣を変える=自民党政権を終わらせて、野党政権によって最高裁判事の構成を変えなければなりません。
そうすれば、素人の民間人が死刑判決するような裁判員制度は不要となります。
様々な憲法違反裁判でも、政治や行政に関することは、まるで行政を聖域と考え、侵さないように、審判もせずに門山払いにしたり、立川反戦ビラ事件などでは、ときの政権が大喜びするような判決を出したりします。
<司法の問題点:庶民感覚の欠如・お上意識、裁判所益を追求、行政に従順>
このような庶民感覚とはかけ離れた、お上に有利な判決をする裁判所の大きな問題点は3点挙げられます。
●裁判官たちは、司法試験に合格して、司法研修を終えて法曹資格を得て、判事補に任命され、10年経験後、判事になるため、世間のことは知らず、裁判所のなかの法の解釈から一歩も出ずに、庶民の感覚からみた法の解釈が全くできず、庶民感覚と遊離した判決を下すのです。
●裁判所はこうした裁判官たちばかりで構成されており、この中で、最高裁判事に向け競争します。本来はそれぞれが独立した立場なのですが、権力構造の影響受けます。
行政のキャリア官僚と全く同じような中身となっており、省益ならぬ裁判所益をめざす体質になっています。
最高裁の出した判決に逆らえず、国民寄りの判決が出せないということが往々にして起こります。
御殿場冤罪事件では、2審判決が同僚判事が1審判決に関わったことから、1審判決を踏襲したのではないかと言われています。
●裁判所のトップである最高裁は内閣に任命されます。最高裁判事の国民投票は有名無実です。
三権独立といいながら、事実上は、行政が司法の上に来ています。
ともに、お上を形成しており、国民を裁くという観念にあるため、同じお上の仲間で、より上位にある行政=検察や内閣、さらには政権の言うことには逆らいません。
<司法の改革:裁判員制度の導入ではなく、官僚的な裁判官制度を改革>
こういった裁判を変えるには裁判員制度の導入ではなく、純粋培養の官僚的な裁判官制度を改めることが、本当の解決になったのではないかと思います。
■弁護士任官制度はあるが、殆ど活用されず
最高裁判事から判事補まで、3500人います。
恐らく、99%以上の人が司法試験合格後、そのまま判事補、判事になっているのではないでしょうか。
血の通った判決を増やすには、一般社会を良く知った弁護士出身の裁判官を増やすのが、裁判員制度よりも、正しい、適切な方法と考えます。
弁護士経験は、物事を組み立てて考え方を構築します。裁判官の比較検討して考えるよりは、遥かに広い幅で物事を捉えることができます。
少なくとも、純粋培養の裁判官より、人の心が分かります。
日本にも、日弁連が働きかけてできた弁護士任官制度があります。
しかし、10年間で60人しか弁護士から判事補、判事に採用されず、殆どいないに等しい人数です。
アメリカでは、弁護士・検察官の経験者から裁判官を任用する法曹一元制をとっています。
だから、検察官より弁護士の方が圧倒的に多いことから、アメリカでは弁護仕上がりの判事が大半だろうと思います。
■最高裁はお上のメンバー、お上は元裁判官が多数派で、お上的判決、弁護士任官制度を無視
弁護士任官制度を拡大しようとしないのは最高裁です。
最高裁が裁判官、判事補の任命権を握るため、司法は最高裁判所を頂点とする組織です。
中の人達は裁判所のだけの純粋培養の人達ばかり、国民より最高裁を見ながら勤めています。
最高裁判事15人は裁判官6人、検察官2人、弁護士4人、行政官・外交官・大学教授出が1人ずつです。
最高裁判事は元裁判官と元検察官で8人と過半数を占めており、他の公務員を含めると、お上は10人で2/3以上を占めています。
お上10人の中で、裁判官6人で過半数を占め、裁判官の意見が強くなります。
これでは、お上に不利なこと、裁判所に不利なことはしません。
当然、職域を侵す弁護士任官制度を活用する気はありません。
■最高裁のメンバーを弁護士を多数派にするには政権交代、弁護士任官制度を推進
最高裁判事は内閣が任命します。
最高裁判事の比率を民間出身者が過半数を握らない限り、弁護士任官制度は生きたものにはなりません。
弁護士任官制度は門戸を広げるように、新たな最高裁によって、改善すべきでしょう。
生え抜きの裁判官より民間出身の弁護士が多く占めるようにすべきです。
その為には、内閣を変える=自民党政権を終わらせて、野党政権によって最高裁判事の構成を変えなければなりません。
そうすれば、素人の民間人が死刑判決するような裁判員制度は不要となります。
御殿場冤罪事件、警察は雨量データを恣意的に作成、司法・行政は権威維持のため人を貶めて平気か
御殿場少女強姦冤罪事件の続報をテレビで、取り上げています。
過去に記事に書いていますので、フォローしたいと思います。
御殿場冤罪事件、警察検察に続き裁判所も犯罪加担(前半)
御殿場冤罪事件、警察検察に続き裁判所も犯罪加担(後半)
1審、2審とも、被告の少年たちは有罪となり、最高裁に抗告し、最高裁からの連絡待ちの状況です。
<御殿場事件のあらまし>
事件の詳細は上記の記事にありますが、簡単に振り返ります。
少女が少年たちに強姦されたと警察に届けがありました。
2001年9月16日に御殿場駅から無理やり少年たちに公園まで連れて行かれ強姦されたと言うのが少女の話でした。
一人の少年の顔を知っていると言うことで、少年の仲間、9名を警察は逮捕し、16日にやったと自白させました。
少年の一人に16日のアリバイがあり、被害少女の電話履歴から、少女は16日夜は携帯サイトで知り合った男と遊んでいたことを少年の親たちは調べ上げました。
警察と少女は、事件があったのは1週間前の9日、他にも犯行時間など4つの事実も変更しました。
当日は雨が無く濡れなかったと少女は供述し、公園の四阿に白テープが張られていたことには、少女だけでなく少年たちも供述しています。
16日は晴れで、四阿に工事のための白テープが張られていました。
しかし、9日は、四阿にはテープが張られて折らず、天気も台風接近で風が強く雨も降っていました。
<裁判のあらまし>
一審(静岡地裁沼津支部)の高橋祥子裁判長(姉川博之裁判長代読、現在は東京高裁の裁判官)は05年10月、少女は日時の嘘を付いてが、他の供述内容は信用できるとして、懲役2年の実刑判決をしました。
二審(東京高裁)の中川武隆裁判長は07年6月、日付以外は少女の証言は信用できるとして一審を追認したのですが、何故か刑をに減刑しました。
中川裁判長は立川反戦ビラ配布事件の控訴審で逆転有罪にした裁判長です。
立川反戦ビラ配布事件については、「自衛隊官舎の反戦ビラ配り事件の有罪判決は、反政府活動・言論の自由の弾圧」で記事にしましたので、ご参照下さい。
<警察データの捏造疑惑>
今回判明したのは、警察が高裁に証拠として提出した9日夜の雨量のデータが誤りだったことが分かりました。
御殿場周辺には、当日夜明らかに雨が降りました。検察は局地的に雨は降らないことだってあるという主張をしました。
その証拠が2箇所の雨量データです。
消防本部の雨量記録が犯行時間に雨量0ミリと出していたものですが、原本を見ると2.5ミリの雨がありました。
証拠は、わざわざ警官が計算し書き直したものです。
間違え方は、例えば9〜10時の雨量を計算すべきところを、8時から9時の雨量の計算をしていました。
巧妙な間違え方だと言えます。証拠なら原本を出すべきです。
もう1箇所は農業研修センターでも雨量を測定していました。
警察はデータが12時間ずれているとして、雨量ゼロを証拠にしていました。
ずらすという手口と書き替えると言う手口は一緒です。
これもデータをそのまま証拠として出していれば、間違いがばれたはずです。
ところが、担当の市職員は12時間ずれは記憶が正しくないかも知れないので、当初に警察に訂正を申し入れをしていましたが、警察は改めずそのまま証拠としていました。
12時間ずれでなく、データをそのまま読むと、農業研修センターのデータと降雨と雨量パターンが殆ど同じでした。勿論、前後の日も含めてずっと。
市職員も警察の圧力で12時間ずれを容認したのでしょう。
消防本部のデータも、農業研修センターもそのまま読めば、他の降雨の記録と一緒です。
わざわざ、ねじ曲げて利用したと言うしかありません。
専門家が言うように、科学的に見て、周辺は降っていて、そこだけ1時間以上も雨が降っていない、そんな局地的に雨が降らない場所ができることはあり得ないというのが証明されました。
<少女と警察による事件のでっち上げ>
こういう流れだと、すべての説明がつきます。
16日夜、男夜遊びしていたのが厳しい親にばれるのが怖くて、暴行にあったと少女は嘘を付きました。
電車の痴漢事件同様、警察は完全に少女の供述を信じるという方針に沿って、少女のストーリーを警察が補完しながら、ない糸をたぐり寄せるように少年たちを逮捕し、ストリーに合わせて自白を誘導しました。
起訴した後に、16日の少女の夜遊びや少年のアリバイを少年の親たちが調べてきたら、警察・検察の正当性を何が何でも押し通すため、事件を1週間前の9日に変更、辻褄の合わない箇所も変更しました。
しかし、少女の供述、少年たちの自白は16日を前提としたものであったため、降雨の件など、様々な事実関係に矛盾が生じ、裁判を維持すること自体、破綻しています。
<少女の証言、少年たちの自白は不整合なのを無視する裁判官>
1週間前に強姦に合った少女が、1週間後に携帯サイトで知り合った男と夜遊びするでしょうか。
そのときに警察に届けず、男と遊んでから警察に届けるでしょうか。
これだけでも、少女の証言に疑いを持つのが常識です。
犯行日時は犯罪の骨格を成すもので、犯行日時が変われば、事件そのものが基盤が損なわれます。
9日犯行が事実とすると、少年たちの16日犯行自白は完全に嘘になり、少年たちの自白は証拠能力はないはずです。
<裁判所のお上体質が真実より権威を重視>
高橋祥子、姉川博之、中川武隆など、素人でも分かることが分からない、正義より権力におもねようとする裁判官は不適格、裁判所を辞めさせるべきです。
こういう判決をしたがる背景には、検察・警察の言うことは全面的に正しく、犯罪者となる国民は信用できないという考えが染み付いていることです。
検察側と弁護側の間で、中立の立場で、判決を下すというのではなく、最初から検察側に立っています。
これはともにお上であって、下々を捕まえ裁くと言う、共通感覚から来ています。
<裁判官を中途採用、弁護士出身半数で裁判員改革>
裁判は国民の常識から離反しがちなため、国民の声を入れるべきという考えで、裁判員制度が導入されます。
この問題の本質は裁判所がお上意識にある、具体には裁判官がお上意識であることが問題です。
裁判員制度を導入しても、裁判員は自信の無さや責任を回避したいことから、プロである裁判官の意見に左右されるものと思います。
結局、裁判員制度を取り入れても、大して変わらなかったという結果になるように思います。
素人に裁判員をやらせるよりも、裁判官の構成を変えて方が手っ取り早いと考えます。
今は社会と隔絶し、純粋培養された裁判官たちが、お上という特権意識を醸成しながら出世していきます。
裁判官は新規司法試験合格者だけに限らず、弁護士や検察官などを中途採用にすべきです。
長く民間にいた弁護士が裁判官の半数を占めれば、かなり裁判の判決が変わってくると思います。
<裁判員制度の前提、取り調べの可視化>
私は栽培員制度に反対ですが、特に重罪の裁判についても絶対反対ですが、裁判員制度を進める場合には、取調室の可視化等、有利不利の証拠すべての開示、証拠の客観性を高めることが絶対条件です。
恐ろしいことに、行政・司法が自らを守るため、わざわざストーリーを描いて、何も関係ない人を有罪にしました。
最高裁はどういう判断をするのでしょうか。
事実誤認で、当然、無罪判決が出るでしょう。
もし有罪となれば、日本の司法は自らを正すことができない、司法の信頼は完全に無くなったと言わざるを得ません。
過去に記事に書いていますので、フォローしたいと思います。
御殿場冤罪事件、警察検察に続き裁判所も犯罪加担(前半)
御殿場冤罪事件、警察検察に続き裁判所も犯罪加担(後半)
1審、2審とも、被告の少年たちは有罪となり、最高裁に抗告し、最高裁からの連絡待ちの状況です。
<御殿場事件のあらまし>
事件の詳細は上記の記事にありますが、簡単に振り返ります。
少女が少年たちに強姦されたと警察に届けがありました。
2001年9月16日に御殿場駅から無理やり少年たちに公園まで連れて行かれ強姦されたと言うのが少女の話でした。
一人の少年の顔を知っていると言うことで、少年の仲間、9名を警察は逮捕し、16日にやったと自白させました。
少年の一人に16日のアリバイがあり、被害少女の電話履歴から、少女は16日夜は携帯サイトで知り合った男と遊んでいたことを少年の親たちは調べ上げました。
警察と少女は、事件があったのは1週間前の9日、他にも犯行時間など4つの事実も変更しました。
当日は雨が無く濡れなかったと少女は供述し、公園の四阿に白テープが張られていたことには、少女だけでなく少年たちも供述しています。
16日は晴れで、四阿に工事のための白テープが張られていました。
しかし、9日は、四阿にはテープが張られて折らず、天気も台風接近で風が強く雨も降っていました。
<裁判のあらまし>
一審(静岡地裁沼津支部)の高橋祥子裁判長(姉川博之裁判長代読、現在は東京高裁の裁判官)は05年10月、少女は日時の嘘を付いてが、他の供述内容は信用できるとして、懲役2年の実刑判決をしました。
二審(東京高裁)の中川武隆裁判長は07年6月、日付以外は少女の証言は信用できるとして一審を追認したのですが、何故か刑をに減刑しました。
中川裁判長は立川反戦ビラ配布事件の控訴審で逆転有罪にした裁判長です。
立川反戦ビラ配布事件については、「自衛隊官舎の反戦ビラ配り事件の有罪判決は、反政府活動・言論の自由の弾圧」で記事にしましたので、ご参照下さい。
<警察データの捏造疑惑>
今回判明したのは、警察が高裁に証拠として提出した9日夜の雨量のデータが誤りだったことが分かりました。
御殿場周辺には、当日夜明らかに雨が降りました。検察は局地的に雨は降らないことだってあるという主張をしました。
その証拠が2箇所の雨量データです。
消防本部の雨量記録が犯行時間に雨量0ミリと出していたものですが、原本を見ると2.5ミリの雨がありました。
証拠は、わざわざ警官が計算し書き直したものです。
間違え方は、例えば9〜10時の雨量を計算すべきところを、8時から9時の雨量の計算をしていました。
巧妙な間違え方だと言えます。証拠なら原本を出すべきです。
もう1箇所は農業研修センターでも雨量を測定していました。
警察はデータが12時間ずれているとして、雨量ゼロを証拠にしていました。
ずらすという手口と書き替えると言う手口は一緒です。
これもデータをそのまま証拠として出していれば、間違いがばれたはずです。
ところが、担当の市職員は12時間ずれは記憶が正しくないかも知れないので、当初に警察に訂正を申し入れをしていましたが、警察は改めずそのまま証拠としていました。
12時間ずれでなく、データをそのまま読むと、農業研修センターのデータと降雨と雨量パターンが殆ど同じでした。勿論、前後の日も含めてずっと。
市職員も警察の圧力で12時間ずれを容認したのでしょう。
消防本部のデータも、農業研修センターもそのまま読めば、他の降雨の記録と一緒です。
わざわざ、ねじ曲げて利用したと言うしかありません。
専門家が言うように、科学的に見て、周辺は降っていて、そこだけ1時間以上も雨が降っていない、そんな局地的に雨が降らない場所ができることはあり得ないというのが証明されました。
<少女と警察による事件のでっち上げ>
こういう流れだと、すべての説明がつきます。
16日夜、男夜遊びしていたのが厳しい親にばれるのが怖くて、暴行にあったと少女は嘘を付きました。
電車の痴漢事件同様、警察は完全に少女の供述を信じるという方針に沿って、少女のストーリーを警察が補完しながら、ない糸をたぐり寄せるように少年たちを逮捕し、ストリーに合わせて自白を誘導しました。
起訴した後に、16日の少女の夜遊びや少年のアリバイを少年の親たちが調べてきたら、警察・検察の正当性を何が何でも押し通すため、事件を1週間前の9日に変更、辻褄の合わない箇所も変更しました。
しかし、少女の供述、少年たちの自白は16日を前提としたものであったため、降雨の件など、様々な事実関係に矛盾が生じ、裁判を維持すること自体、破綻しています。
<少女の証言、少年たちの自白は不整合なのを無視する裁判官>
1週間前に強姦に合った少女が、1週間後に携帯サイトで知り合った男と夜遊びするでしょうか。
そのときに警察に届けず、男と遊んでから警察に届けるでしょうか。
これだけでも、少女の証言に疑いを持つのが常識です。
犯行日時は犯罪の骨格を成すもので、犯行日時が変われば、事件そのものが基盤が損なわれます。
9日犯行が事実とすると、少年たちの16日犯行自白は完全に嘘になり、少年たちの自白は証拠能力はないはずです。
<裁判所のお上体質が真実より権威を重視>
高橋祥子、姉川博之、中川武隆など、素人でも分かることが分からない、正義より権力におもねようとする裁判官は不適格、裁判所を辞めさせるべきです。
こういう判決をしたがる背景には、検察・警察の言うことは全面的に正しく、犯罪者となる国民は信用できないという考えが染み付いていることです。
検察側と弁護側の間で、中立の立場で、判決を下すというのではなく、最初から検察側に立っています。
これはともにお上であって、下々を捕まえ裁くと言う、共通感覚から来ています。
<裁判官を中途採用、弁護士出身半数で裁判員改革>
裁判は国民の常識から離反しがちなため、国民の声を入れるべきという考えで、裁判員制度が導入されます。
この問題の本質は裁判所がお上意識にある、具体には裁判官がお上意識であることが問題です。
裁判員制度を導入しても、裁判員は自信の無さや責任を回避したいことから、プロである裁判官の意見に左右されるものと思います。
結局、裁判員制度を取り入れても、大して変わらなかったという結果になるように思います。
素人に裁判員をやらせるよりも、裁判官の構成を変えて方が手っ取り早いと考えます。
今は社会と隔絶し、純粋培養された裁判官たちが、お上という特権意識を醸成しながら出世していきます。
裁判官は新規司法試験合格者だけに限らず、弁護士や検察官などを中途採用にすべきです。
長く民間にいた弁護士が裁判官の半数を占めれば、かなり裁判の判決が変わってくると思います。
<裁判員制度の前提、取り調べの可視化>
私は栽培員制度に反対ですが、特に重罪の裁判についても絶対反対ですが、裁判員制度を進める場合には、取調室の可視化等、有利不利の証拠すべての開示、証拠の客観性を高めることが絶対条件です。
恐ろしいことに、行政・司法が自らを守るため、わざわざストーリーを描いて、何も関係ない人を有罪にしました。
最高裁はどういう判断をするのでしょうか。
事実誤認で、当然、無罪判決が出るでしょう。
もし有罪となれば、日本の司法は自らを正すことができない、司法の信頼は完全に無くなったと言わざるを得ません。
秋葉原通り魔事件は小泉改革による弱者切り捨て格差社会も要因、福祉社会を目指せ
秋葉原通り魔事件は、サブカルチャーの聖地、秋葉原の歩行者天国で、7名の死者と10名の負傷者を出した、衝撃的な無差別殺傷事件でした。
25歳の派遣社員の男は、誰でも良かったと言います。
静岡からレンタカーのトラックを借り、秋葉原の横断歩道の歩行者をなぎ倒し、両刃のナイフで逃げまどう人々を無差別に殺傷し、最後に警察官に銃を突きつけられて捕まりました。
それに至る経過を逐次、携帯のサイトに掲載していたのも驚きでした。
<親に従順な優秀な子が落ちこぼれ、心が荒み孤立し、負け組のなかで社会に反感>
犯人は、小中学校時代は、教育熱心な両親に従順で、成績は優秀、スポーツも得意でスポットライトを浴びて明るかったのですが、県内有数の進学校に入学すると、優秀な生徒の中で埋没し、落ちこぼれて行くとともに、暗くなっていったとそうです。
結果的に不幸に導いた両親にも反感を抱くようになり、より内向的になっていったようです。
同級生が大学に進む中、選択したのは好きな自動車に関われる岐阜の自動車整備の短大でした。卒業近くになって、学校の先生になりたいと大学編入を希望しましたが、とき既に遅く、結局、大学にも入れず整備士にもなれませんでした。
卒業後は人材派遣会社に登録、仙台、埼玉、茨城で派遣社員をし、地元に一旦帰り運転手の職に就きましたが、昨年秋、製造派遣の日研総業から静岡県のトヨタ子会社の自動車工場に派遣されました。
派遣先ではリストラ計画の噂があって、リストラ対象ではないかと不安を抱くなか、出勤して作業着が無かったことに、辞めさせようとしていると思い込み、切れて帰ってしまいました。
その後、福井でナイフを買い、今回の事件に及びました。
<派遣社員生活に絶望感、格差社会に敵意>
卒業後の同級生へのメールでは、「疲れた、もう駄目だ、死にたい」と話し、派遣社員の境遇に自暴自棄になっています。
事件数日前から丹念に3000件も掲示板に本当のことを書き込んでいます。
その中には、「高校卒業後の8年は負けっ放しの人生だった、勝ち組はみんな死ねはよい」などと、格差社会に対して敵意を剥き出しています。
<派遣社員生活に絶望感、格差社会に敵意>
優等生だった彼が内向的になり、孤独になり、自分の中に閉じこもって、被害者意識に陥っていったと考えられます。
心情を吐露し、助けを求めたネットの世界では、バーチャルの匿名性や無責任性から、逆に孤独や敵意を増幅させるものとなりました。
スパルタ教育の親の言うとおり、優等生を振る舞ってきた彼が、高校で大きな挫折を味わうと、人間不信に陥り、社会に入れば、派遣社員で思い描いた人生を描けず、人並みの扱いをされない、優等生を経験であったからこそ、その屈辱や嘆きは大きかったのでしょう。
人生を放棄する道連れに選んだ犯罪が、家族や会社に向かわず、社会に向かったのは、化け物のような大きな挫折感や閉塞感だったのでしょう。
人気者の経験をしたから、小さなことより大きいこと、勉強が出来たから、家庭より社会に原因があると考えたのでしょう。
だから、舞台として、時代の脚光を浴びている秋葉原を選び、秋葉原に集う若者が羨ましく幸せそうに、感じたのかも知れません。
<対処療法では根絶できず、社会が関わる問題を解決すべき>
こういう憎むべき無差別事件を起こしたのは、個人の資質、家庭の環境、社会の問題が絡み合って、増幅しあって起きた事件と考えます。
同じような境遇でも凶悪事件を誰もが行わないので、個人の問題と片付けるのは誤っています。
勿論、誰もが同じようにこんな事件を起こすものではありませんが、そういう人が増えれば事件の確率も高まって行くと考えるのが、当たり前です。
彼は家庭内暴力はありましたが、犯罪履歴のある粗暴な人間ではなく、普通の人が、突然、凶悪事件を起こしたという類の事件です。
無差別殺傷事件は昔はありませんでしたが、土浦の8人殺傷事件など、近年、特に目立って増えています。
個人の問題と取り扱い、恐怖を煽って、対処療法を行っても、不幸に感じる人が不特定の不幸の仲間を増やそうとする犯罪は減りません。
勿論、危険なものは規制をすべきですが、規制しても新たな凶器や新たな方法を考えるでしょう。
また、車による突進は防ぐ手だてはありません。
対処療法に終止することなく、社会の問題として捉えるべきです。
<不幸の連鎖を増幅させる格差社会>
凶器の規制を強化したり、携帯サイトの監視を強化したり、規制したりする対処療法である程度、犯罪の抑止力にはなりますが、無差別殺傷する人を根本的に減らすこと、犯罪を犯さないように心を改めさせることは出来ません。
こういう犯罪が起こったことは、社会の方でも一因があって、社会の方でも正すべきことがあると考えない限り、劇的にこういった犯罪を減らすことはできないと思います。
自分の不幸を、他人に不幸を導くことによって、自分の不幸を薄める、まさに不幸の連鎖、不幸の拡大再生産、不幸のスパイラルと言える社会的な犯罪です。
幸福の連鎖、幸福の拡大再生産にはなっていない、今の社会を反映しているのではないかと感じます。
不幸の拡大再生産を行う社会とは格差社会です。勝ち組、負け組を規定する社会です。
いわゆる勝ち組は一握り、負け組は殆どです。
高度経済成長期の総中流時代は、そこそこ勝ち、そこそこ負けの人が殆どで、1/4が年収200万円以下のワーキングプアがいる社会ではありませんでした。
<使い捨ての派遣社員、正規社員の道もなく閉塞感>
社会の入口で、派遣社員になると、正社員になる道は殆ど閉ざされ、派遣先の都合で、増産や減産で、雇われたり解雇されたりが短期的に繰り返され、勤務地も転々とし、給料は現代の口入れ屋である派遣会社から3割から5割もピンハネされる安月給で、社会保障など、身分も保証されていません。
派遣業については、以前書いた「派遣業は現代の口入れ屋、廃止すべき」を参照下さい。
派遣先でも派遣さんなどと呼ばれ、まるで物のように取り扱われています。
ヨーロッパでも派遣制度はありますが、社会保障は充実し、同一労働同一賃金が保証されており、仕事の切れ目があるため、むしろ割高に設定していると聞きます。
こんな使い捨ての派遣のある国は、日本だけだそうです。
<派遣業種を拡大した小泉改革が多数のワーキングプア、格差社会をつくる>
派遣業はそもそも、専門性の高い仕事だけに認められていました。
小さい会社では、常勤で雇う余力や必要性が無かったためです。
しかし、小泉改革で、派遣業種を製造など、殆どの業種を拡大しました。
それも経済界の言いなりになってです。経団連の会長はトヨタの奥田会長でした。
国際競争力の安い賃金の労働力が必要だからという理由でした。欧州の派遣制度ではそうではなかったのですが。
小泉元首相は欧州のようなセイフティネットを造らずに、派遣を拡大させたことにより、派遣社員は一気に増え、非正規社員は1/3まで増えました。
年収200万以下の働けど働けど楽にならないワーキングプアが1/4にまで達しました。
小泉元首相は非正規社員は好きで選んでいる、格差は当たり前だとうそぶいていました。
その結果、非正規雇用で生まれた利益は、非正規社員は勿論、正規社員にもあまり還元されず、企業の幹部や株主に、および派遣会社に吸収されていきました。
企業の利益は自民党への献金となって、小泉政権維持にと還元されていきました。
<市場原理主義は格差を生み、マイナス面を増幅、競争力を削ぐ>
竹中氏や八代氏をはじめ、格差社会は競争力を生むというアメリカ盲信の人達は思い込んでいるようですが、今回の事件のように、夢を失った、やる気を無くした人達が増え、むしろ競争力を無くす方向に向かっているように思います。
若者の経済力を奪い、結婚できない人達が増え、少子化に拍車を掛けるなど、社会から活力を奪い、マイナス面が非常に大きいです。
一旦、不幸にして低所得層となれば這い上がれず、子どもたちの教育に格差が出来、その子どもたちも這い上がれない、格差が固定していくことになり、むしろ競争力が低下します。
今回のように、競争社会の極度のストレスによる負の連鎖で、マイナスが増大する側面が大きいです。
幸せの人より、不幸の人が圧倒的に多くなるという、マイナス面の方がプラスより圧倒的に多くなります。
<落ちこぼれを容認する優しくない社会>
格差社会は、落ちこぼれを容認し、落ちこぼれたら自己責任とする社会です。
原則的に、自ら助ける以外には立ち直る方法はありません。
落ちこぼれていくものには、救いの手を差し伸べません。
人は弱いもの、一度や二度、いや何度となく、落ちこぼれることがあります。
そういったときに、救いの手が入ったり、社会の仕組みとして、何度もチャレンジできたりすることがあったら、大分違うと思います。
それで救われて、歪みが矯正されたり、チャレンジ精神が生まれたり、生きる希望を持ったりします。
そういうことを放棄した、優しくない社会となってしまいました。
<自分の幸せは社会の幸せとはならず、社会の幸せは自分の幸せとなる>
そこに横たわるのが、個人が幸せを目指して努力すれば、日本が幸せになると言う考え方です。
しかし、個人が勝とうとすると負ける人が出来て、結局は日本全体は幸せにならないということになります。
今の恥知らずの人達、まじめに働くより振り込め詐欺をしても金を稼ぐという人達も、同じような根から出ているように思います。
欠けていたのは、社会が幸福になれば、個人も幸福になる。不幸な人がいれば、社会は幸福ではなく、個人も幸福ではないと言う考え方です。
社会が幸せというのは、不幸な人を造らないという考え方です。
間違っても、国が幸せではありません。国イコールお上となり、体制に従わなければ、国賊というのでは、絶対にありません。
日本という国家ではなく、日本に住む「一人一人の人間」です。
<福祉国家の方が落ちこぼれ容認の国より幸福、幸福だと競争力もある>
北欧の福祉国家では、落ちこぼれを造らないと言います。
アメリカのような弱肉強食の競争社会ではないのに、子どもたちの学力、経済力は世界のトップテンに入っています。
小泉元首相や竹中氏が進めた新自由主義ではなく、福祉国家の方が国際競争力があるのです。
何故か、老後のたれ死にすることが無く、保証されていますので、安心して働けます。
その為、お金ではなく、より幸せを感じる自己実現に向かい、落ち着いて、努力するでしょう。
人生の目的についても真剣になるでしょう。
また、教育は無料で、落ちこぼれを造らないから、アメリカのように格差は開きませんし、格差も固定しません。
何度も、いつでもチャレンジできるから、落ちこぼれで自暴自棄になる人も殆どいないでしょう。
国民全体が幸福になると言う考えが浸透しているから、自分の行動と社会の利益を常に意識し、独りよがりで利己的にならず、他人をけ落とすと言うより、適材適所・棲み分け、人の高低でなく、自分の個性を生かして社会の中でそれぞれの役割を演じるという考えになるでしょう。
福祉国家を目指せば、このような反社会的犯罪も根本的に減るのではないかと思っています。
25歳の派遣社員の男は、誰でも良かったと言います。
静岡からレンタカーのトラックを借り、秋葉原の横断歩道の歩行者をなぎ倒し、両刃のナイフで逃げまどう人々を無差別に殺傷し、最後に警察官に銃を突きつけられて捕まりました。
それに至る経過を逐次、携帯のサイトに掲載していたのも驚きでした。
<親に従順な優秀な子が落ちこぼれ、心が荒み孤立し、負け組のなかで社会に反感>
犯人は、小中学校時代は、教育熱心な両親に従順で、成績は優秀、スポーツも得意でスポットライトを浴びて明るかったのですが、県内有数の進学校に入学すると、優秀な生徒の中で埋没し、落ちこぼれて行くとともに、暗くなっていったとそうです。
結果的に不幸に導いた両親にも反感を抱くようになり、より内向的になっていったようです。
同級生が大学に進む中、選択したのは好きな自動車に関われる岐阜の自動車整備の短大でした。卒業近くになって、学校の先生になりたいと大学編入を希望しましたが、とき既に遅く、結局、大学にも入れず整備士にもなれませんでした。
卒業後は人材派遣会社に登録、仙台、埼玉、茨城で派遣社員をし、地元に一旦帰り運転手の職に就きましたが、昨年秋、製造派遣の日研総業から静岡県のトヨタ子会社の自動車工場に派遣されました。
派遣先ではリストラ計画の噂があって、リストラ対象ではないかと不安を抱くなか、出勤して作業着が無かったことに、辞めさせようとしていると思い込み、切れて帰ってしまいました。
その後、福井でナイフを買い、今回の事件に及びました。
<派遣社員生活に絶望感、格差社会に敵意>
卒業後の同級生へのメールでは、「疲れた、もう駄目だ、死にたい」と話し、派遣社員の境遇に自暴自棄になっています。
事件数日前から丹念に3000件も掲示板に本当のことを書き込んでいます。
その中には、「高校卒業後の8年は負けっ放しの人生だった、勝ち組はみんな死ねはよい」などと、格差社会に対して敵意を剥き出しています。
<派遣社員生活に絶望感、格差社会に敵意>
優等生だった彼が内向的になり、孤独になり、自分の中に閉じこもって、被害者意識に陥っていったと考えられます。
心情を吐露し、助けを求めたネットの世界では、バーチャルの匿名性や無責任性から、逆に孤独や敵意を増幅させるものとなりました。
スパルタ教育の親の言うとおり、優等生を振る舞ってきた彼が、高校で大きな挫折を味わうと、人間不信に陥り、社会に入れば、派遣社員で思い描いた人生を描けず、人並みの扱いをされない、優等生を経験であったからこそ、その屈辱や嘆きは大きかったのでしょう。
人生を放棄する道連れに選んだ犯罪が、家族や会社に向かわず、社会に向かったのは、化け物のような大きな挫折感や閉塞感だったのでしょう。
人気者の経験をしたから、小さなことより大きいこと、勉強が出来たから、家庭より社会に原因があると考えたのでしょう。
だから、舞台として、時代の脚光を浴びている秋葉原を選び、秋葉原に集う若者が羨ましく幸せそうに、感じたのかも知れません。
<対処療法では根絶できず、社会が関わる問題を解決すべき>
こういう憎むべき無差別事件を起こしたのは、個人の資質、家庭の環境、社会の問題が絡み合って、増幅しあって起きた事件と考えます。
同じような境遇でも凶悪事件を誰もが行わないので、個人の問題と片付けるのは誤っています。
勿論、誰もが同じようにこんな事件を起こすものではありませんが、そういう人が増えれば事件の確率も高まって行くと考えるのが、当たり前です。
彼は家庭内暴力はありましたが、犯罪履歴のある粗暴な人間ではなく、普通の人が、突然、凶悪事件を起こしたという類の事件です。
無差別殺傷事件は昔はありませんでしたが、土浦の8人殺傷事件など、近年、特に目立って増えています。
個人の問題と取り扱い、恐怖を煽って、対処療法を行っても、不幸に感じる人が不特定の不幸の仲間を増やそうとする犯罪は減りません。
勿論、危険なものは規制をすべきですが、規制しても新たな凶器や新たな方法を考えるでしょう。
また、車による突進は防ぐ手だてはありません。
対処療法に終止することなく、社会の問題として捉えるべきです。
<不幸の連鎖を増幅させる格差社会>
凶器の規制を強化したり、携帯サイトの監視を強化したり、規制したりする対処療法である程度、犯罪の抑止力にはなりますが、無差別殺傷する人を根本的に減らすこと、犯罪を犯さないように心を改めさせることは出来ません。
こういう犯罪が起こったことは、社会の方でも一因があって、社会の方でも正すべきことがあると考えない限り、劇的にこういった犯罪を減らすことはできないと思います。
自分の不幸を、他人に不幸を導くことによって、自分の不幸を薄める、まさに不幸の連鎖、不幸の拡大再生産、不幸のスパイラルと言える社会的な犯罪です。
幸福の連鎖、幸福の拡大再生産にはなっていない、今の社会を反映しているのではないかと感じます。
不幸の拡大再生産を行う社会とは格差社会です。勝ち組、負け組を規定する社会です。
いわゆる勝ち組は一握り、負け組は殆どです。
高度経済成長期の総中流時代は、そこそこ勝ち、そこそこ負けの人が殆どで、1/4が年収200万円以下のワーキングプアがいる社会ではありませんでした。
<使い捨ての派遣社員、正規社員の道もなく閉塞感>
社会の入口で、派遣社員になると、正社員になる道は殆ど閉ざされ、派遣先の都合で、増産や減産で、雇われたり解雇されたりが短期的に繰り返され、勤務地も転々とし、給料は現代の口入れ屋である派遣会社から3割から5割もピンハネされる安月給で、社会保障など、身分も保証されていません。
派遣業については、以前書いた「派遣業は現代の口入れ屋、廃止すべき」を参照下さい。
派遣先でも派遣さんなどと呼ばれ、まるで物のように取り扱われています。
ヨーロッパでも派遣制度はありますが、社会保障は充実し、同一労働同一賃金が保証されており、仕事の切れ目があるため、むしろ割高に設定していると聞きます。
こんな使い捨ての派遣のある国は、日本だけだそうです。
<派遣業種を拡大した小泉改革が多数のワーキングプア、格差社会をつくる>
派遣業はそもそも、専門性の高い仕事だけに認められていました。
小さい会社では、常勤で雇う余力や必要性が無かったためです。
しかし、小泉改革で、派遣業種を製造など、殆どの業種を拡大しました。
それも経済界の言いなりになってです。経団連の会長はトヨタの奥田会長でした。
国際競争力の安い賃金の労働力が必要だからという理由でした。欧州の派遣制度ではそうではなかったのですが。
小泉元首相は欧州のようなセイフティネットを造らずに、派遣を拡大させたことにより、派遣社員は一気に増え、非正規社員は1/3まで増えました。
年収200万以下の働けど働けど楽にならないワーキングプアが1/4にまで達しました。
小泉元首相は非正規社員は好きで選んでいる、格差は当たり前だとうそぶいていました。
その結果、非正規雇用で生まれた利益は、非正規社員は勿論、正規社員にもあまり還元されず、企業の幹部や株主に、および派遣会社に吸収されていきました。
企業の利益は自民党への献金となって、小泉政権維持にと還元されていきました。
<市場原理主義は格差を生み、マイナス面を増幅、競争力を削ぐ>
竹中氏や八代氏をはじめ、格差社会は競争力を生むというアメリカ盲信の人達は思い込んでいるようですが、今回の事件のように、夢を失った、やる気を無くした人達が増え、むしろ競争力を無くす方向に向かっているように思います。
若者の経済力を奪い、結婚できない人達が増え、少子化に拍車を掛けるなど、社会から活力を奪い、マイナス面が非常に大きいです。
一旦、不幸にして低所得層となれば這い上がれず、子どもたちの教育に格差が出来、その子どもたちも這い上がれない、格差が固定していくことになり、むしろ競争力が低下します。
今回のように、競争社会の極度のストレスによる負の連鎖で、マイナスが増大する側面が大きいです。
幸せの人より、不幸の人が圧倒的に多くなるという、マイナス面の方がプラスより圧倒的に多くなります。
<落ちこぼれを容認する優しくない社会>
格差社会は、落ちこぼれを容認し、落ちこぼれたら自己責任とする社会です。
原則的に、自ら助ける以外には立ち直る方法はありません。
落ちこぼれていくものには、救いの手を差し伸べません。
人は弱いもの、一度や二度、いや何度となく、落ちこぼれることがあります。
そういったときに、救いの手が入ったり、社会の仕組みとして、何度もチャレンジできたりすることがあったら、大分違うと思います。
それで救われて、歪みが矯正されたり、チャレンジ精神が生まれたり、生きる希望を持ったりします。
そういうことを放棄した、優しくない社会となってしまいました。
<自分の幸せは社会の幸せとはならず、社会の幸せは自分の幸せとなる>
そこに横たわるのが、個人が幸せを目指して努力すれば、日本が幸せになると言う考え方です。
しかし、個人が勝とうとすると負ける人が出来て、結局は日本全体は幸せにならないということになります。
今の恥知らずの人達、まじめに働くより振り込め詐欺をしても金を稼ぐという人達も、同じような根から出ているように思います。
欠けていたのは、社会が幸福になれば、個人も幸福になる。不幸な人がいれば、社会は幸福ではなく、個人も幸福ではないと言う考え方です。
社会が幸せというのは、不幸な人を造らないという考え方です。
間違っても、国が幸せではありません。国イコールお上となり、体制に従わなければ、国賊というのでは、絶対にありません。
日本という国家ではなく、日本に住む「一人一人の人間」です。
<福祉国家の方が落ちこぼれ容認の国より幸福、幸福だと競争力もある>
北欧の福祉国家では、落ちこぼれを造らないと言います。
アメリカのような弱肉強食の競争社会ではないのに、子どもたちの学力、経済力は世界のトップテンに入っています。
小泉元首相や竹中氏が進めた新自由主義ではなく、福祉国家の方が国際競争力があるのです。
何故か、老後のたれ死にすることが無く、保証されていますので、安心して働けます。
その為、お金ではなく、より幸せを感じる自己実現に向かい、落ち着いて、努力するでしょう。
人生の目的についても真剣になるでしょう。
また、教育は無料で、落ちこぼれを造らないから、アメリカのように格差は開きませんし、格差も固定しません。
何度も、いつでもチャレンジできるから、落ちこぼれで自暴自棄になる人も殆どいないでしょう。
国民全体が幸福になると言う考えが浸透しているから、自分の行動と社会の利益を常に意識し、独りよがりで利己的にならず、他人をけ落とすと言うより、適材適所・棲み分け、人の高低でなく、自分の個性を生かして社会の中でそれぞれの役割を演じるという考えになるでしょう。
福祉国家を目指せば、このような反社会的犯罪も根本的に減るのではないかと思っています。




