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福田首相は今年度末4日前の3月27日、行き詰まっている年度予算関連法案を通すため、道路特定財源に関する新提案を発表しました。
提案の内容は以下の通りです。
1、地方財政や国民生活の混乱を回避するため、08年度歳入法案の年度内成立
2、道路関連公益法人や道路整備特別会計関連支出の徹底的な無駄の排除
3、道路特定財源制度は今年の税制抜本改正時に廃止し、09年度から一般財源化
4、暫定税率分も含めた税率は、環境問題への国際的な取り組み、地方の道路整備の必要性、国・地方の厳しい財政状況を踏まえて検討
5、道路の中期計画は5年として新たに策定
6、新たな整備計画は、08年度道路予算の執行にも厳格に反映。08年度予算における一般財源としての活用は、民主党から現実的な提案があれば協議に応じる
7、与野党協議会を設置し、一般財源としての使途のあり方、道路整備計画などを協議・決定


この提案に対して、民主党は、一般財源化は一歩前進と評価し、協議には応じるが、暫定税率の維持は認められなく、大きな隔たりがあるとして拒否の方向にあります。
自民党伊吹幹事長は提案は、自民党内の手続きを得たものでなく、内閣の提案として受け止めているとして、党として同意したものでないと言っています。
また、公明党冬柴国交省大臣も事前に相談を受けていないと言います。

この提案を、枝葉を取って見ますと、確実に実行するのは08年度予算の成立だけで、それ以外のものは全て不確実なものばかりです。
公益法人・道路特別会計の無駄の排除、09年度からの一般財源化、暫定税率の見直し、道路5ヶ年計画、すべて、今後、法が作られ決定するもので、しかも、例えば、天下りは半減以下、暫定税率は半分以下など、具体的な内容は全く盛り込まれず、また決定する期限も書かれておらず、今後の協議で決めようとしているため、担保できるものは何もありません。
08年度予算の成立と09年度からの一般財源化以外の項目は、協議が物別れになれば何も実現できず、さらに、福田首相が辞任してしまえば、09年度からの一般財源化さえも、何の担保もありません。

結局、08年度予算だけを通して、後のことは何ら担保せず、中身は協議次第という、単なる先送り案、福田自公政権の延命策に過ぎません。

提案は自民党と公明党の合意を持ってなされたものではありません。
福田提案を与党、野党に投げかけたもので、自民党を説得できていないものが、残り数日で合意が得られるはずもありません。
ましてや、道路利権を死守する道路族議員が安易に賛成するとは思えません。

与野党が合意できないのを分かった上での、自分は努力していて非は野党にあるという福田首相の自己延命のためのパフォーマンスに過ぎません。

「地方の道路整備の必要性」と「道路中期5ヶ年計画」を盛り込んでいるのは、地方への配慮だけでなく道路族への配慮が見て取れます。
道路を造り続けたいという道路族の意志を汲み入れています。
中期計画について、一般財源となれば、これまでの特定財源のように、中期計画に基づいて、整備できなくなるので、不要ではないでしょうか。
限られた財源で、どの高規格道路に優先順位を与えるかを公開の場で明らかにすることが求められていることだと思います。
一般財源化すれば、今までのように、聖域でなくなったため、野放図には使うことは出来ませんが、道路を造り続けることは肯定されており、10年間で59兆円と言わないまでも、かなりの量は作れるということでしょう。

一般財源化しても、補助金行政がある限り、政治家の既得権は維持できますし、中央の地方支配は温存されます。

年度末の数日前という時期になって、やっと自民党の妥協案が出てくるのは、遅きに失します。
日銀総裁人事のときと同じで、土壇場になって、これも呑めという政治手法は、議論を抹殺する行為と言えます。
ねじれ国会では、参院は野党が多数で、今までのような与党案は通らないと分かっているはずです。
暫定税率、道路特定財源のままでは駄目が最初から分かっているのに、何故、強引に押し通すのでしょう。
ねじれ国会という初めての事態のなかでは、与野党合意に時間が掛かるのは当初から分かっていたことです。
こうした場合、野党よりも、政治の主導権を握る与党の方から妥協案を出さないと、円滑に物事は進みません。
今回の国会当初、2月初めに、政権与党から今回のような妥協案を提出すべきでした。

結局、自民党の08年度予算は押し通すの一点張りで野党の考えは一切、取り入れず、自民党は、直近の選挙で国民の信託は野党にあった=国民の意向を無視しました。

本当に国民の声を聞くというならば、道路特定財源関連の予算を削除した08年度予算案と道路特定財源関連以外の法案を優先して、提出すれば、野党も合意します。
道路特定財源関連予算と法案については、引き続いて、臨時国会を招集して、3、4ヶ月かけて、一般財源化、暫定税率、関連法人、天下り、道路中期計画などに与野党で協議して、国民の前で議論を展開した上で、決定すべきと思います。
今回の新提案にない悪しき補助金行政を無くすため、地方分権についても、合わせて協議すべきと考えます。
それが出来ないならば、暫定税率延長は1年限りとして、来年度予算の検討に入る前の秋頃までに総選挙を行うべきです。

いずれにせよ、与野党に埋め尽くせない隔たりがあるならば、早急に総選挙することが、大きな混乱は起きても、先延ばしの政治が続いて作り出す遥かなマイナスより、大きなプラス、近道ではないでしょうか。

来年のことを今、決める必要があるのですか、全くのナンセンスです。
来年のことは、今年度ではなく、来年度予算の審議の時に、決めれば良いのです。

その時、本当に自民党が新提案を実現する気があるならば、民主党の賛成を得なくても、21年度予算の一般財源化でも他のことでも、2/3条項を使って、進めればよいのです。

民主党は仮定の話に合意する必要はありません。
国民も、これまで改革と言いながら、自民党に何度煮え湯を飲まされてきたことか、それを方便に既得権を延命してきたことか、それを思い出せば自ずと答えが出ます、何ら担保のない今回の新提案は信用できません。

あくまでも政権交代こそが大改革への最善の扉です。


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クローズアップ現代を見ようと、NHKにチャンネルを合わせると、2年前に38歳の若さで夭折した歌手、本田美奈子さんと、間もなく92歳の誕生日を迎える作詞家岩谷時子さんの、ともに入院した病院での心の交流を描いた「本田美奈子:最期のボイスレター」を放送していた。

本田美奈子さんは、2005年1月、進行性の早い急性骨髄性白血病と診断され、都内の大学病院に入院し、6階の無菌室でガン治療に当てっていました。
その年の6月に、当時89歳に岩谷時子さんが、道路で転倒し、大腿骨などを骨折し、同じ病院の16階に入院しました。

二人は本田美奈子さんが、23歳(1990年)にアイドル歌手からミュージカルシンガーに転身するきっかけとなった「ミスサイゴン」の訳詞を担当したのが、岩谷時子(74歳)さんでした。
二人は親交を深め、無二の親友である越路吹雪のために詩を書いた大ヒット曲「愛の賛歌」を歌って良いよというほどの仲でした。

本田美奈子さんが岩谷時子さんの入院を知り、最初にボイスメールを送りました。
勿論、本人は無菌室ことから出来ないので、親しい人に持って行って貰いました。
返事が返ってきた岩谷時子さんの声がとても弱々しかったので、次のボイスメールから、今できる彼女にとって岩谷時子さんを励ますことのできる最上のこと、岩谷時子さんのことを「お母さん」と呼び、唄を入れることにしました。(以後、二人のやり取りは私の思い違いもあります。)

その最初の唄が、岩谷時子さん訳詞の「アメイジング・グレイス(You Tube)」でした。

やさしい愛のてにひらで 今日も私は歌おう
何も知らずに生きてきた 私はもう迷わない

光り輝く幸せを 与え給うあなた
大きな御胸に委ねましょう 続く世界の平和を

アカペラの歌声は、天使のように聞こえました。

これ以降、岩谷時子さんの作詞の曲を中心に32曲の唄を歌って、送りました。
歌うことは、血痰が出たり、それは生やさしいものではなかったそうです。テープの声にはそれを感じませんでした。

二人のやり取りの中で、二人の考えは次の言葉に集約されています。
自分の不幸せを考えないで、他人(ひと)の幸せだけを考えて、生きましょう。

「ニューシネマパラダイス 愛のテーマ(You Tube)」では心で歌えば、心に通じますという返答。
入院10日目では「祈り(岩谷時子作詞)」を送りました。

自分が訳詞したドボルザーク「新世界(You Tube)」を歌いました。

時は待たず 過ぎてゆく 悲しい時も 止まらずに
過ぎゆく日々 刻むまま 笑い会える 喜びを
守り給え この世界 永遠に続く幸せを 幸せを


クラシックに歌詞を付けて歌うということが、彼女が最後に到達した、最も自分らしい表現方法でした。

泣きたいときにいつも口ずさむ「ジュピター(You Tube)」に対して、私を生かしてくれる美奈子にありがとうの返答。

岩谷時子さんが腕の手術の後、命がけの大腿骨の手術の時に送ったのが、いつもそばにいるよと言う意味を込めて「エデンの東」(作詞本田美奈子)だった。
手術は成功し、無菌室から出られない本田美奈子さんへ、岩谷時子さんの方から16階から6階へと車いすで会いに来ます。
二人は話す言葉は少なく、10分間ずっと、ハグしていたそうです。

仮退院が決まり、本田美奈子さんはボイスメールにそのことを入れられませんでいた。岩谷時子さんは孫ほど年の違う本田美奈子さんい対して、いっぱい受けた心遣いに、尊敬しますと答えていました。

7月末に退院し、埼玉の自宅に戻って、「アメイジング・グレイス」、本田美奈子さんの誕生日(7月31日)には「見上げてごらん夜の星を(岩谷時子作詞)(You Tube)」を送りました。
岩谷さんは本田さんのことを私の希望そのもので、孤独に耐えられる人、頑張っていきましょうと答えました。
8月10日に、母親と一緒に歌った「夜明けの歌」が最後のボイスレターでした。
岩谷さんは、ありのままの自分でいきましょうと答えました。

11月6日、本田美奈子さんは帰らぬ人となりました。
岩谷時子さんは、退院後、詩は作っていません。

本田美奈子さんは、18歳の時にアイドル歌手としてデビューし、「1986年のマリリン」が大ヒット、20歳の時は女性だけのロックバンドを結成し、翌年、解散しました。
童顔に、か細い体、パワフルな声で、ヘソ出しルックという出で立ちに、とても違和感を覚えて記憶があります。売り出し方が合っていないなあと思ったことを覚えています。
23歳でミュージカルと出会い、アイドル時代とは歌い方も一新、作らない素直な歌い方になって、まるで別人、水を得た魚のようでした。
32歳のとき、チャリティーコンサートでクラシックを歌ってから、クラシックの曲に日本語の詩を付けて歌うという独自の境地に至りました。
ソプラノの歌声、衣装、姿勢、メイクなど全部が調和し、本田美奈子らしさそのもの、遠回りしましたが、やっと出会えたクラシックは本当に彼女に合っているという印象を得ました。
澄み切ったソプラノの歌声は、どれほど多くの人々の心を癒やし、救ったくれるかを考えると、非常に残念です。
これほど人にためになる人の命をこんなに早く奪うなんて、神も仏もないような気がします。
素晴らしい人生だったねと言って、素晴らしい歌をありがとうと感謝したいと思います。


テレビ東京の「誰でもピカソ」に本田美奈子のヒストリを放送していたことがあり、そのユーチューブがあります。
HISTORY -1-  HISTORY -2- HISTORY -3- HISTORY -4-

一昨日、殆ど見ないフジか日本テレビで、日本人のダンサーがニューヨークのマンハッタンをバックに黒いだぶだぶのコートを着て、踊っていました。
新しくて、格好良くて、滑稽で、そんな踊りをしていたのがエビケンこと、蝦名健一氏でした。
ヒップホップダンスのほか、パントマイム、民族舞踊など、様々なダンスを取り入れ、イリュージョン効果のある効果音や手品、映像などを組み込んだユニークなショーです。
彼のホームページ Kenichi Ebina に VIDEO があります。
百聞は一見にしかず、ご視聴下さい。


彼へのインタビュー等を読むと、「なるほどザ・ワールド」の「ラスベガス特集」を見て、アメリカに漠然とあこがれて、1994年(20歳)の時に渡米したそうです。
英語学校から同じ大学に入り、新入生歓迎会でヒップホップダンスを踊って、受けたのが始まりで、それ以降、いつでも何処でも踊っていたそうです。
筋トレなどの基礎練習はせずに、独学で、ビデオなどを観て、踊っていたそうです。
2001年(27歳)アポロシアターの元祖アマチュアナイトで年間総合チャンピオンになり、2007年(33歳)には、アポロシアターTV版のコンテスト番組「Showtime at the Apollo」ダンスコンテストで年間チャンピオン、史上初めての2冠となったそうです。

好きこそものの上手なれ、苦しんで修行するのではなく、楽しいことをいっぱい積み重ねれば、人には真似の出来ないことが生まれ、それを人々が評価し尊敬します。
これは、自らが開発したもので、人から奪われるものではなく、何事にも負けないものが、そこにあります。

その人にしかできない創造性を伸ばすことがとても重要です。
それにより、生き生きした人生をもたらしてくれます。



今国会では、自公政権は道路特定財源である揮発油税等の暫定税率の10年間維持を、対する民主党を中心とする野党は暫定税率の廃止、さらには道路特定財源の一般財源化を求めて、激突しています。
暫定を元に戻すべきかを常に検討しなければならないはずの「暫定」が、「恒久」の如く、ノーチェックで34年間も継続されてきました。
衆参両院とも、自民党または自民党を中心とする与党が過半数を握る数の力で封印されてきました。
しかし、国民が昨秋の参議院選挙で民主党を中心とする野党に過半数を与えたため、国民の信任を得た民主党などにより、道路中期整備計画のあまりのずさんさや国交省の特定財源の野放図な使い方が徐々に、白日の下に晒され始めました。
暫定税率を必要とする根拠となる道路整備中期計画が、暫定税率分までの道路特定財源を使い切るために、データを有利なように適当に加工した代物であることが、明白となってきました。

<これまでの5ヶ年が10ヶ年計画への急変は聖域の長期間を確保のため>
これまでは、道路整備計画を立てて、必要事業量を算定し、その分が財源が必要だから、暫定税率を伸ばすという仕組みで作られてきました。
次に示す過去の経緯は見ますと、暫定税率の継続はこれまで、将来の5年間の道路整備計画を立てて、道路整備に掛かる予算が必要とし、その財源として暫定税率も計画に併せて5年延長を7回、計35年間続けてきました。
・1954年に揮発油税が道路特定財源に決まり、連動して道路整備5ヶ年計画が立てられました。
・1958年に道路特別会計が創設され、1971年までに自動車重量税等の揮発油税が創設されました。
・道路整備5ヶ年計画は2次までは5年期間満了後に作られましたが、4次から7次までは3年ごとに計画され、その間、税源が足らなければガソリン税の税率アップを図りました。
・1974年オイルショックで財源の大幅な不足をカバーすべく揮発油税の暫定税率が創設され、道路整備5ヶ年計画は11次までは5年ごとに立てられ、その間も税源が足らなければ暫定税率のアップを図られました。
・1998年に新道整備5ヶ年計画、2003年に社会資本重点整備計画と名を変えて5ヶ年ごとに計画は更新され、その度の5年ごとに、暫定税率は継続されてきました。

しかし、08年の暫定税率の継続に際しては、これまでの5年という適正な期間を無視して、道路中期整備計画として10ヶ年計画が立てられ、暫定税率も10年延長案が国会に提出されています。
人口減少社会の到来が明白になっていて、過大にならないよう社会資本の整備を慎重に行わなければならない時に、今回初めて、10年間の計画、10年暫定税率にしたということは、国交省という専門家集団の見識を疑います。
5ヶ年計画にして、5年経って人口減・交通量の減少が実感されるようになれば、道路不要論が出てくることを予測して、この際、国土交通省と道路族議員、地方議員、土建業者等の道路既得権益を10年間は担保したいという強力な意思の表れと感じます。


<道路整備中期計画の事業費は道路特定財源の使い切りが目途>
当初案では、国土交通省は道路整備中期計画10年間の予算を65兆円としましたが、財務大臣から精査されていないという指摘を受けて、10年間の事業量が1割即座にカットして59兆円の案を提出しました。
直ぐに1割カットできたのは、最初から高く見積もっていて、節約した結果、減らしたという筋書きの出来レースと考えるのが妥当です。国交省と財務省の跳んだ猿芝居と言えます。
中期計画の事業費には高速道路の通行料10兆円が含まれており、道路特定財源は5.6兆円(07年度)の10年分と合わせれば、ほぼ65兆円となり、使い切りを目指していることがよく分かります。

高速道路の通行料は旧道路公団等の赤字補填に充当するものと思っていましたが、やはり、道路を造り続けるシステムの中に組み込まれていました。

<予算確保のための事業量割り増しの仕組み>
○過大な道路整備中期計画を作るために古いデータを使用の疑い
道路整備中期計画では、費用対効果があるものとして、高規格幹線道路に20兆円と算出しています。
効果(便益)は交通量に比例して、経済効果は上下するという考えに基づいています。
将来自動車交通量(交通需要)の根拠として、1999年の道路交通センサスに基づく22年後の2030年の将来交通量をベースにしています。
1999年調査では交通需要は伸び続けて2020年度にピークに達してから下降するという予測でした。
2005年に道路交通センサス調査が行われ、路線ごとの交通量(台数)は公表されましたが、総交通量(走行台キロメートル)の現状、さらに将来の交通需要推計は公表されていません。
道路の必要性の根拠となる交通需要は、最新のものとするのが常識なのに、あえて古い99年の交通センサスを使用したのは、人口減少社会に突入する中で社会資本の整備はより慎重でなければならないときに、単に05年調査が間に合わなかったでは済まされません。
恐らく、交通需要も人口同様、減少期に入ったことが05年調査で分かってきたためでしょう。
2008年の暫定税率延長時の資料に間に合わせるべく、05年調査を始めたことは明らかで、役所の計画性を重んじる性格から考えると、間に合わせないのが不思議です。
国交省は交通量の減少を目の当たりにし、意図的に、最新の05年度センサスを道路整備中期計画立案までに間に合わせなくし、過大な見積もりの1999年度調査を利用したものと考えられます。


○99年度交通センサスの需要予測は現状で大外れ、過大見積もりの疑い
詳しく、1999年度道路交通センサスの需要予測をみてみます。その結果は下記、及び下のグラフの通りです。
・国立社会保障・人口問題研究所が行った日本の将来推計人口(平成14年1月推計=2002年)を前提としています。具体の将来人口は後述します。
・交通需要は2020年まで右肩上がりに増大してピークの8680億台キロメートルに達し、以後、下降し、2030年には、8620億台キロメートル、2050年には8010億台キロメートルになるものと推測しています。
・06年度の推計値8100億台キロを、「自動車輸送統計年報」における06年度7630億台キロと比べると、現実は予測より5.8%も下回りました。


先ず、人口推計で2006年をピークに人口が減少しているにも係わらず、交通需要が2020年まで、さらに500億台キロも増加し続け、6%ほども伸びていることが不思議です。
2006年度の交通需要の実態は需要予測を外れて下回り、減少傾向が明らかとなりました。
交通需要の実態は、人口の減少と同様、近年ピ-クを迎え減少しており、人口減少とともに車に乗る人が減り、走行距離の合算も減ったことを意味し、非常に頷ける現象になっています。
にもかかわらず、2020年度まで、交通需要が伸び続けるというのは不可解で、どう見ても無理があり、恣意的な数値と考えざるを得ません。

道路を造りたいという政治的な意志が、各種係数を甘く見たと考えられます。

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○最新交通量の推計では現状の減少傾向を反映し大幅な下方修正したが、それでも過大需要
民主党の馬淵議員の指摘で、2007年3月に国交省は最新データで、将来の交通需要の予測を試みていることが分かりました。その結果、下記及び上のグラフの通りです。
・「自動車輸送統計年報」などで2003年度に交通量は7934億台キロとピークに達し、2006年度には4%減の7630億台キロまで減少しています。
・07年3月の最新の国交省の交通需要推計「06年度将来交通需要推計に関する検討業務報告書(財団法人 計量計画研究所)」では、2030年度では7970億台キロメートル、99年度交通センサスでの推計より8.2%、2050年度には15.6%少ないと言います。


この推計は99年度調査と同じように2020年にピークがあることから、最新の交通データ以外は、99年度調査の需要予測の係数をそのまま使って弾いてみたものと考えられます。
それでも結果は99年度調査より、交通需要が大幅に減ることが判明しました。
07年の推計を公開しなかったのは頷けました。
これで絶対に、02年度交通センサスの推計を使うことになったのではないのでしょうか。

中身を見ると、交通需要の実績が03年にピークを迎え05年まで減少したのに、推計部分になると何故か右肩上がりになり、2020年度に2003年度に近いピークがあって減少しています。
人口推計では2005年から一方的に右肩下がりに減少するのと異なり、もう一度ピークを迎えることは信じられません。
03年から06年まで経済成長率は2%を超えていたのに、交通需要は減りました。
低経済成長下では、景気より人口減の要素の方が高いためと考えらます。
経済成長のため、二つ目のピークが出来ることは考えにくいように思います。
この2020年の再ピークを無くすと、もっと将来交通量は激減し、99年度のものより、例えば、2030年度で15%、2050年度で30%ぐらい、需要は減るのではないでしょうか。
さらに、人口推計を最新の人口減少の度合いが激しくなるものに変えれば、人口で99年度のものより2030年度で5%減、2050年度で9%減と同様、さらに同程度、交通需要は減るでしょう。


○人口は2005年をピークに減少傾向に転じ、最新予測ほど、人口減少傾向は著しくなる
根拠となる日本の将来人口を見ますと、05年にピークを迎え、その後は減少していきます。
次に示すように最新の06年推計の方が古い02年推計より、2030年度で5%減、2050年度で9%減となっおり、減少速度が速まっています。
06年推計で交通需要予測すると、07年推計も交通需要がさらに減るのは明らかです。
・ 国立社会保障・人口問題研究所が行った日本の将来推計人口(平成18年12月=2006年推計)によると、2005年の12768万人をピークに2020年に1億2300万人、2030年に1億1500万人、2050年に9500万人と推計している。
・ 国立社会保障・人口問題研究所が行った日本の将来推計人口(平成14年1月=2002年推計、下図)によると、2006年をピークに2020年に1億2600万人、2030年に1億2100万人、2050年に1億800万人と推計している。
・前回の社会資本重点整備計画と今回の道路整備中期計は「平成14年1月推計」の数値を交通需要推計の前提としている。


日本の将来推計人口(平成14年1月推計)


○自動車交通需要は2003年をピークに減少傾向に転じ、今後、人口の減少、貧困層の拡大、若者の車離れ、温暖化対策等で減少傾向にある
今度は根拠となる自動車の交通需要を考えてみます。統計データは次の通りです。
・自動車の生産台数は1990年の1300万台をピ-クに減少し、2004年で1000万台まで減っています。
・自動車保有台数は2000年から微増状態で2006年に7828万台になっています。
・自動車の総走行距離を示す走行台キロ数は2003年と2004年の7934億台キロメートルをピークに微減状態にあります。

自動車はほぼ行き渡って、販売台数は伸びず、自動車の保有は若干貯まっているが、走行距離が減っていると言うことは、自動車の保有は少し増えても、自動車の乗る人が減っていくため、走行距離が増えていかないのだと考えられます。
バブル経済で景気は落ち込みましたが、ここ数年、景気は緩やかに上昇を続けているにも係わらず、自動車の走行距離=交通需要が減衰するのは、根本的には人口減少により、実際に運転する人口が減少しているのが大きいと思います。
また、小泉改革による規制緩和により、格差の拡大を招き、若者を中心に年収200万円以下の1/4を占めるに至り、自動車を保有できない低所得者層が増えているものと考えられます。
一方、若者においては、自動車はあこがれの対象ではなくなり、絶対的に所有すべきものでなくなってきたことも要因に考えられます。
さらに、温暖化対策として、自動車そのものの利用の抑制や地産地消で走行距離が減るとともに、エネルギー資源の奪い合いからガソリンの価格の高止まりが考えられ、交通需要を増やすより抑える力の方が強くなるものと予想されます。

○国交省の思い通り、便益計算の係数も高めに、お手盛りの費用対効果に
便益計算の係数のなかで、専門家が自動車の経済効果について、1台当たりの自動車の非業務(レクリ・観光等)目的の時間価値がが欧米に比べて高すぎると言っていました。
日本は非業務目的が業務目的の8掛けくらいですが、イギリスでは1割以下でした。
他にも、道路整備されれば時間短縮され、空いた車両が金を稼ぐ、その費用をレンタカー収入に換算した車両の機会費用というのが含まれてます。
空いた車両は車の台数を減らすかのが妥当と考えられるので、車両の機会費用を省けば便益は1割程度減るという話しもあります。
国土交通省が便益計算をすれば、作りたいという意志が働いて、様々な係数も作りたい、便益が上がる、交通量が増えるということになってしまいます。

○07年交通需要推計によれば1/3がペイしない路線
道路整備中期計画における要整備高規格幹線道路は、未整備区間の187路線(2900km)すべてとしました。
費用対効果(費用対便益)B/Cが少し余裕を見て1.2以上のものとしています。
将来交通量が古いデータに基づく、過多な交通量を使って、B/Cを上げたい、道路を造りたいという操作、意志が働いたものです。

民主党の馬淵議員による、07年調査の最新交通量の推計で計算し直すと、187路線のうち68路線がB/Cが1.0を切ってしまい、およそ1/3が作る必要のない路線になったと言います。
交通需要予測を最新のものに、2020年の交通需要ピークを見直す、人口推計データを新しいものに、便益の係数を見直せば、さらに減り、半分ぐらいは要らないのではないかと思えてきます。
今、着工している路線でも、計算し直せばB/Cが1を切る不採算路線になるもののも出てくるでしょう。その場合は勇気ある撤退をすべきでしょう。

長妻議員の指摘を受けて、冬柴大臣は実際に整備するか否かの判断に際しては、B/Cが後日1.0であれば必要なものは作ると言い直し、それでも作れるようにと防御戦を張りました。

<人口減少時代の交通需要計算は違う方法で>
これまでの費用対効果は20年先の交通需要推計で算出されました(今回は2030年度を目標)。
右肩上がりなら、最終年以降も需要が伸びるため費用対効果は上昇し続け、必ず需要はあるのは理解できます。
しかし、右肩下がりで交通需要=経済効果が下がっていく場合には、需要は減り続け、費用対効果はどんどん1を下回っていきます。
交通需要の減少時代に合わせた、費用対効果の計算方法を改める時に来ています。

道路の耐用年数は48年と財務省令で定められおり、道路整備中期計画に当てはめれば、その中間年から48年先の2060年度くらいが耐用期間となります。
道路の耐用期間における初期費用と維持費用の累積費用が累積の便益と比較するというのはどうでしょうか。

このまま道路を造り続ければ、人口減少がより進み、過疎化する地方を中心に、交通量の少ない、ペイしない道路が増え続けてくるのは明らかです。
それとともに、大量の道路の維持費や修繕費が莫大になり、財政をさらに圧迫する時期が到来します。
また、地球温暖化対策のため、政策的にも、交通量を抑制すべき方向にあります。
それらを総合して考えると、必要最小限の道路整備に留めることが求められていると思います。


3月19日で日本銀行の正副総裁の任期が切れます。
現在決まっているのは、白川副総裁のみです。
それまでの経過は「ノーパンしゃぶしゃぶで引責降格させられた武藤副総裁、日銀に影響を及ぼしたい元財務官僚にノー」の記事に書いています。

政府は日銀総裁人事で空白を作りたくないという方針から、17日、政府与党は福井現総裁の任期延長を民主党に非公式で打診したが、民主党から、村上ファンドとの関わりで、一蹴されました。
また、武藤副総裁に固執して、引き続き副総裁とする打診も、野党ににべもなく断られました。
さらに18日、今度は、総裁に元大蔵事務次官で国際協力銀行総裁の田波耕治氏(68)、副総裁に日銀審議委員の西村清彦氏(54)を充てる人事を国会に再提示しました。
案の定、民主党は、田波総裁案の反対を決定しました。

武藤総裁候補(元財務事務次官)を民主党は、「財政・金融分離」を図る原則から、不同意をしたのに、何故また、元大蔵事務次官を押すのでしょう。
日銀と財務省がたすき掛けで総裁の指定席に座る習わしが、日銀の独立性を阻害して良くないと言っていることが分からないのでしょうか。
日銀のトップに元財務省トップが天下り、日銀への影響力を及ぼすことが良くないと言っていることに。
政府・与党執行部は、空白を避けるために、民主党が原則を曲げて、呑むとでも思ったのでしょうか。
財務官僚は呑まないと、誰でも分かりそうなことなのに、与党執行部はどうしてそれがわからないのでしょうか、永く権力の座に居て、国民の目線から放れて独りよがりになったとしか、言いようがありません。

簡単なことも分からない、福田政権は末期的症状なのかも知れません。

それとも、財務省は日銀トップの座をそれほどにも失いたくないのでしょうか。
それ程にも財務省の力は自民党執行部に対して強いのでしょうか、自民党は財務省に借りがあって、財務省を押さえ込むことが出来ないのでしょうか。

福田政権が官僚べったりで、官僚よりも力のないことがよく分かりました。

日本銀行の正副総裁の任期切れが3月19日に迫り、3月7日に政府は総裁候補に武藤副総裁(元財務省事務次官)、副総裁候補に白川京大教授(元日銀理事)と伊藤東大教授とする人事案を提出した。
日銀の人事案は、野党が多数を握る参議院では、3月11日本会議で、武藤総裁候補と伊藤副総裁候補は否決し、白川副総裁候補を可決した。
与党が多数を握る衆議院では、3月13日本会議で、次期総裁・副総裁の人事案を3人とも可決した。これで副総裁に白川京大教授が決まりました。
19日まで総裁が決まらず、空席の期間は、日銀法の定めにより、白川副総裁が総裁の代行をすることになります。

○ねじれ国会無視した自公政権の人事案の提出
日銀の人事案は政府に提出権があり、野党はどうしようもできません。
衆参とも自公が多数を握っていたときと同じように、数の力で協議に時間を掛けず、形骸化・儀式化したやり方は、ねじれ国会を尊重していません。
直近の選挙で野党を信任したという国民の意思を無視した行為です。
任期切れ間近に人事案を出して、空席が出来たら、野党の責任と言うのは、非常に汚い戦術と言えます。
民主党に非があるのではなく、土壇場に人事案を提出する政府自公政権に非があります。

○ノーパンしゃぶしゃぶで引責降格した財務官僚がベスト人事とは?!
何故か、主要メディアは報道しませんが、政府がベストの総裁候補と言ってのけた武藤副総裁は、ノーパンしゃぶしゃぶ店接待事件で処分された大蔵官僚です。
ノーパンしゃぶしゃぶ店接待は、銀行のMOF担と呼ばれる大蔵省担当の行員が金融検査などの情報を聞き出すため、大蔵省官僚をノーパンしゃぶしゃぶ店で接待した事件で、中には自殺者も出ました。
1998年大蔵省官房長の時に事件が起こり連座制で処分され、総務審議官へ更迭されました。
何故か、2000年事務次官に昇任し、小泉内閣の時に2003年副総裁に選ばれました。
武藤副総裁が接待されたかどうかは分かりませんが、直属の上司として処分されたと言うことは、民間金融機関との癒着を正せなかったと言うことで、自身に民間との癒着体質があったのではないかと疑います。
ノーパンしゃぶしゃぶ事件で問題となった候補がベストと言うほど、日本に人材はいないのでしょうか。
福井総裁(日銀出身)が就任後の99年村上ファンドに1000万円出資したことを思い出しました。
総裁職にありながら、金儲けに精を出していました。内規に違反していないとして処分されず、任期をほぼ全うしました。
しかし、他の国では在職中の中央銀行総裁が利殖を行っているなんて聞いたことがありません。
日本は大甘です。福井総裁もまた小泉元首相が任命しました。
小泉前首相、福田首相は、適任者を選ぶ目がないように思います。

○独立性を問われる日銀にも官僚支配の風土
民主党は否決の理由として、武藤氏は財務省出身の経歴から日銀の独立性を担保できない、伊藤氏については相応しくないとしています。
日銀の決定に行政が関与すれば、時の政権の人気取りに有利なように働き、中長期的な国益を損なうことが起こりうるため、日銀の独立性をより高めることが求められており、それが先進国の常識でもあります。
遅ればせながら、日本も1998年の日銀法の改正で、日銀政策委員会を設置し、日銀の独立性を高められました。
日銀政策委員会は正副総裁の他、有識者、金融界・財界出身者などの6人の審議委員で構成され、主要施策が決定されます。
委員は内閣が任命しますが、罷免させることが出来ません。
審議委員に財務官僚は入れない、委員会に現役財務官僚は参加できるがオブザーバー参加と、財務省の影響を排除しようとしているのに、正副総裁に元財務官僚をまるで規則で決めたように入れているのは抜け道を作ったとしか考えられません。
そのためか、日銀の実態はまだまだ、独立性は保たれているとは言えず、目に見えない力が働き、政府の方針に付かず放れずの関係にあるように思います。
デフレが収まり、景気が回復基調にあって、ゼロ金利を緩和しようとしたとき、政府は時期尚早と強調したため、結局、日銀はゼロ金利緩和を先送りにしました。
長期に亘る超低金利政策で、預金者の利子は銀行に吸収されてしました。
暗黙のうちに、行政に従おうとする、日本特有の力が働いているように思えて仕方がありません。
長い慣習で日銀総裁は日銀出身者と大蔵省・財務省出身者が交互に職に就いていました。
阿吽の呼吸で、財務省と日銀が歩調を合わせることが慣習化、擦り込まれているのではないでしょうか。
他国でも財務省の官僚トップが中央銀行総裁になっていますが、これは精神的にも独立がなされているためで、日本では形態上は独立していても、精神面では政府に従属しているので、それを打破するため、当分の間(1世代20~30年以上開けて)、財務省出身等の高級官僚の総裁人事は行わない方が良いと思います。
新聞4社はすべて社説で、総裁の空白を作るべきでないと民主党の対応を批判しています。
武藤氏の不適格の理由が曖昧、日本売りを加速する、海外に対して、みっともないというのが理由です。
超低金利の金利政策をどうこうする余地もなく、もともと日本の中央銀行総裁に発信力は貧弱であり、総裁の空白は日本の現実で、取り繕う方が現実を直視・改善せず、むしろマイナスと考えます。
この際、時間を掛けて、財務省出身者でなく、日銀の独立性を守れ、また国際的にも誇れる人材を選んで欲しいものだと思います。

○諸悪の根源である官僚支配を速やかに改めるべし
日本の根本問題は、官僚が実権を握っていることにあります。
日銀もその一環で、常に官僚の息が掛かった人を送り込み、勢力を張ろうとしています。
これだけ、与野党で根本的に意見が違うと、早く総選挙をした方が、先延ばしにずるずるやるより、国のために良いと思います。
元々5年ごとだったものを、暫定税率に維持期間も5年に短縮しようというふざけた話しが聞こえてきます。
変に妥協すると、ずるずる先延ばしが上手な体質を考えると、いつまで経っても体質改善は出来ません。
むしろ、スパーっとやった方が良いのではないかと考えるようになりました。
1日も早く、この国の仕組みを官僚から国民主権に変えることが、短期的には大きな痛みを伴いますが、長期的にはむしろ、良いのではないかと思います。

これから、石原東京都政の大失敗が顕在化していきます。
おごる平家は久しからず、傲慢な石原都知事は急な下り坂を転がっていきます。
これまで、銀行税の導入の失敗や、第三国発言やフランス文化に対する偏見、大名視察旅行、子息への仕事発注など、数々の傲慢・独善振りを発揮してきましたが、ここに来て石原銀行と言われた新銀行東京が破綻寸前にまで陥り、今後のオリンピック招致競争にも暗雲が垂れ込めています。

<傲慢1;無担保融資では破綻当然の新銀行東京>
○最初から困難な中小企業への無担保融資
2005年、新銀行東京は石原知事の肝いりで、中小企業の救済を目的作られて銀行で、東京都が出資金の殆ど1000億円を出資し石原銀行と呼ばれています。
バブル崩壊の時、銀行が貸し渋りするようになり、国が中小企業のために融資することがあって、かなり焦げ付いていたので、新銀行東京は出来たときから成功するはずがない、失敗すると思っていました。
新銀行が出来たときには、既に、銀行も不良債権処理がほぼ終わり、貸し渋りもなくなった頃で、駄目な中小企業だけに資金不足にあったことから、最初から存在基盤が不安定だったと言えます。
案の定、初年度から赤字で、新銀行(新銀行東京は新銀行扱い)は3年度で黒字化せねばならないのに、赤い字で、今年度末で累積赤字が1000億円を越える見通しです。
出資金を3年間で喰ってしまったという結果になりそうです。
無担保で、将来性や技術力だけで中小企業に金を貸す、それも書類審査だけで、焦げ付くのは目に見えていました。おまけに奨励金まで出して、どんどん貸し付けました。
貸付金利は5~7%という金利でも、返せない融資先は多く、1回も返済しないところもあり、このビジネスモデルは成功するのは難しかったと言えます。
不良の中小企業相手では不良債権になるのは明らかで、資金だけをかすめ取る、暴力団のような行為も頻発していたのではないかと容易に想像できます。
中小企業への融資は専門家でも難しいのに、地方の企業を取引先とする地銀でも無担保融資は容易でないのに、寄せ集めの新しい銀行にそんな能力があるはずがありません。
経常収益260億円に対し、損失はその5倍の1260億円でそのうち営業経費が500億円、収益の2倍に人件費等の経費が掛かる仕組みになっており、無責任な放漫経営がやっと明らかにされました。
人員を450人から120人に削減する計画だそうですが、人件費ゼロにしても3倍の赤字構造を黒字化すのは、現在の中小企業無担保融資のモデルでは絶対に無理です。
赤字を減らすため、中小企業へのへの融資は徐々に比率を減らしています。
今では、中小企業へのへの融資は既に半分を切っており、当初の中小企業のためという目的は半ば反故にされ、新銀行の存在すること自体も揺らいでいます。

○石原都知事の発案・監督責任は免れようがない
旧経営陣は赤字責任の追及を恐れ、既に辞めてしまいました。恐らく、このシステムでは黒字化しないだろうと思っていたのでしょう。
そういう事実を石原都知事に言えない雰囲気が都庁にあったのではないでしょうか。
都知事の傲慢さが新銀行の赤字の顕在化させなかったとも言えます。身から出た錆とも言えます。
石原知事は400億円を追加出資し黒字化を図ろうとしていますが、このビジネスモデルは失敗、所詮駄目なものは駄目、傷口をどんどん増やし、赤字が益々膨れていくでしょう。
400億円は、国内業務をする銀行に義務づけられている自己資本比率を4%以上にするためです。
4%ないと、銀行業務が続けられません。1年後、追加出資する羽目になるでしょう。
赤字が雪だるま式に増える前に、早く撤退すべきです。
石原知事は、頭を下げる、間違いを認めるのが一番嫌いなようですが、石原銀行とも呼ばれた責任は非常に大きいと言わざるを得ません。
都民に土下座して、謝ってみるのも良いでしょう。
責任は旧経営陣にあると言って、石原知事は責任を回避しようとしていますが、株主として経営陣をチェックできなかった責任はとても重いです。勿論、都議会、特に与党である自民党と公明党は数をバックにチェックしなかったという応分の責任があります。
民間株主なら損害は自分で被るので、自己責任で終わりますが、都民の税金を預かる株主はそれと全く違い、監査を怠った株主としても、発案者としても、責任は極めて重いと言わざるを得ません。
民間なら、山一証券倒産の社長のように、即刻辞任です。
悪く言えば、十分な市場調査もビジネスモデルの検証もせずに、自分の思いつき、素人のアイデアで、1000億円をつぎ込んだと言って良いでしょう。
やはり、自ら辞職すべきです。いや、任期まで辞めずに針の筵に座り、自分の傲慢さを反省し悔い改めて、情報公開して、人々の声に真摯に耳を傾けて、民主的な方法で行政を改めて欲しいです。
馬鹿な都知事を選んだ東京都民も愚かだったと言わざるを得ません。

3選の時にも、新銀行の赤字がブレーキとなっていたはずで、それを承知で石原知事を都民は選択しました。
そもそも、東京都が潤っているのは、中央官庁による地方支配の構図そのままに、本社機能の集中があるからで、国の政策として全ての機能が東京に集まってきたからに過ぎません。
東京都の繁栄は、地方の多くの犠牲の上に成り立っているのです。
都知事、それを選んだ都民も思い上がりも甚だしいです。

新銀行で無駄遣いする余裕があるなら、地方に廻して上げた方がよっぽど日本にためになります。

<傲慢2:負けるのに分かって招致する東京オリンピック>
もう一つ、失敗するのが分かっているのが東京オリンピックの開催です。
北京オリンピックの8年後に同じアジアで行われる可能性は極めて薄いです。
これまで、アジアでオリンピックが開かれたのは3回、その間隔は20年以上です。
2016年東京!?-8年-2008年北京-20年-1988年ソウル-24年-1964年東京
2016年東京!?-2012年ロンドン(ヨーロッパ)-2008年北京(アジア)-2004年アテネ(ヨーロッパ)-2000年シドニー(オセアニア)-1996年アトランタ(北米)
20年開いたアメリカのシカゴ、南米で一度も開かれたことのないブラジルのリオデジャネイロの方が東京より明らかに有力です。
他にも、スペインのマドリード(西欧)、チェコのプラハ(東欧)、アゼルバイジャンのバクー(東欧)、カタールのドーハ(中東アジア)があります。
石原都知事が、支持を求めたいアジアやヨーロッパの国々に差別的発言を繰り返しており、東京への支持を自ら狭めていることを考え合わせれば、誰が見ても、奇跡に近いといえます。
極めて確率の低いことに、血税を使って、ギャンブルのような賭に出るのは、公共団体としてはあってはならない、愚かな行為です。
2009年、開催都市が発表されたときに、東京オリンピック招致費用は予想されたとおり、水泡に帰します。

<情報公開は日本一悪い自治体=石原知事のトップダウンの体質→傲慢な権力者→大失政>
第10回全国情報公開度ランキング 都道府県 総合ランキングにおいて、東京都の情報公開は全国最下位、それも2年続けて失格という断トツのひどさです。
改革派知事はふつう、情報公開して民意を問いながら、市民を味方に付けながら、民主的に行政を進める手法を採っています。
それに対し、石原知事は前近代的な、トップダウンの手法を採っています。
知事の傲慢な性格や偏ったものの考え方が行政に反映してしまっています。
これまで、上記2つ以外でも、銀行税の導入の失敗や、ばばあや三国人という差別発言やフランス文化に対する偏見、超豪華な大名旅行、四男への仕事発注など、数々の傲慢振り、独善振りを発揮してきました。
自分の思うことが絶対に正しい、反対意見を聞かないと言う、傲慢な姿勢は民主主義を理解しない体質と言えます。
傲慢・独善体質のリーダーがトップダウン方式で行い、部下は誰も逆らえず、今回のような大失政を引き起こしました。
思い上がった裸の王様に、誰も首に鈴を付けようとしない事態が更に問題を深刻化させました。
小泉前首相と同様に、強腰で強弁することを、リーダーシップがあると勘違いした都民にも責任があると思います。

一昨日夜のNHKのクローズアップ現代「携帯もたせて大丈夫?」と言う題で青少年の携帯電話の問題を取り上げていました。

○携帯電話の有害サイトによる青少年の被害が多発、国がフィルタリングサービスを携帯電話会社に指導、ネット企業の反発
携帯電話のインターネットサイトを利用した青少年がトラブルに見舞われる事件が相次いでいます。
特に成人男子による少女への性犯罪が多くなり、看過できない大きな社会問題となっています。
警察庁によると出会い系サイトから起因して起こった事件が1年で2,000件弱にも急増しています。
性犯罪は泣き寝入り等、表面化しない性質であることから見ても、事件の数は氷山の一角と思われます。
総務省はこうした憂慮すべき事態を受け、有害サイトに繋がらないように、携帯電話会社に「有害サイトアクセス制限サービス」(フィルタリングサービス)を行うよう要請しました。
フィルタリングサービスはアダルトサイトや出会い系サイトなど有害サイトへの接続を技術的に遮断するサービスで、未成年が契約者の場合、保護者は契約時にこのサービスを受けるよう求められます。
そうなると、健全なサイトも見られなくなってしまい、健全なサイトを経営するネット事業者たちは、他にこういう良い方法があるなどの対案を出すことなく、新たな先端産業の芽を摘むのかと猛反発をしています。

○携帯電話が子どもの自由時間を支配
今や携帯電話の青少年における所持率は、小学生30%、中学生60%、高校生は90%と大人と同様の普及率となっています。
今や友達が持つから欲しい、仲間はずれにならないようにと親も携帯電話を安易に買い与えています。
子どもたちは、仲間はずれにならないよう、今何をしてるなど、意味もない数行のコメントを1日に数百回沢山の友人に打つなど、常に携帯電話を握り、ひっきりなしに送受信を繰り返し、勉強など、物事に熱中することを大いに妨げています。
また、出会い系サイトやアダルトサイトの他、学校裏サイトでイジメが行われたりもしています。
メールやサイトなどの利用で、携帯電話に自由な時間の多くを割くようになります。
勉強する時間も脅かす子どもたちも多く生まれてきます。
この背景には、共働き夫婦などが増え、子どもとの意思疎通に手間ひまを掛けなくなった社会の風潮があります。
子どもたちは孤独に陥り、より携帯のバーチャル空間に浸るようになり、例えば、出会い系サイトのバーチャルな友人を真の友人と勘違いすることも起こってきます。
バーチャルを信用する要因には、多様な世代と対面して意思疎通してコミュニケーション能力を高めることをしてこなかったために起こるコミュニケーション能力の低下も上げられます。
当然、携帯の利用頻度が多くなると、有害サイトへ訪れることも増え、そうするとなりすました大人による少女買春などに遭うケースも増えてきます。

○石川県野々市町の小中学生に携帯を持たせない運動は実績上がる
番組では、石川県の野々市町の取り組みを報じていました。
野々市町では、行政や住民、教員らで作る「“ののいちっ子を育てる”町民会議」が、小中学生には、携帯電話を持たせない「Kプロジェクト」を4年前から、取り組んでいます。
近くの大学が協力して、大学生が(多分、携帯電話が子どもには不要であるというような内容の)DVDを作り、小学生のクラスで子どもたちに説明していました。
小学校への通学の安全に不安な為、携帯を持たせていた保護者に対して、リタイアした人達を見守り隊として、通学路に経って貰う活動をしています。
また、塾の行き帰りが不安で携帯を持たせたいという保護者に対して、ICカードを利用するシステムを塾の経営者は導入しました。
町ぐるみの運動の結果、小中学生の携帯電話の保持率は全国の1/4に減りました。

○被害者をゼロを目指す社会がよいのか、多少被害者が出ても大人が儲かればよいのか
コメンテーターとして、出演していた柳田邦男さんが、言うには、事件となる1%、2%の子どもたちを救うために全員、携帯を持たせないか、1%、2%の子どもたちが犠牲になっても、98%、99%の子どもが便利で、サイト業界も潤うため、携帯を持たせるのか、その選択に掛かっている、価値観の問題であると言っていました。
その例えとして日本チッソと水俣病の関係を示していました。
私も日本チッソを存続させるより、水俣病を発生させないことを選択します。
この考え方は、落ちこぼれを容認してきた義務教育の姿勢にも当てはまります。
格差を固定しないよう、義務教育で落伍者を絶対出さない、と同様に、子どもの被害者を出さないように、仕組みそのものを考え直さなくてはいけないと思います。

○義務教育期間は携帯電話より直接対話で、子どもの健全な成長を促す時期
小中学生のこの時期は、人としての成長過程です。
いきなり、携帯電話のネット社会を経験させることは、いきなり、子どもが大人の社会に放り出されるようなもので、危険極まりありません。
義務教育のこの期間は、勉強だけでなく、情報処理能力、コミュニケーション能力など、様々な点で未発達な段階です。
従って、この時期には、学校や家庭でという子どもに合った環境の中で、学業やスポーツ、家族や友達との関係などを通じて、バーチャルでなく現実の人間関係や情報の処理を訓練しなくてはならないと思います。
携帯電話のチェーンメールなど、ネット以外でも、利用頻度の多い子が見られ、いつも携帯を片手にし、自由時間を携帯に支配されている子すらいます。
携帯電話は、子どもたちが本来、学ぶべき、経験すべき時間を奪っていると言えます。
小中学生に携帯電話を持たせるべきではないと思います。
保護者たちも、子どもたちとの接触する時間を増やし、しつけや家庭教育を行い、子どもたちとのコミュニケーションを充分取って貰いたいと思います。

小中学生の子どもたちには、心や時間を携帯電話で奪われることのないよう、この時期にしか、育つのに必要な様々なことを学んで欲しいと思います。
そうするためにも、学校、家庭、地域が、子どもが健全に育ちやすい環境づくりを行い、協力して子どもたちを支えていくことが求められていると思います。


北九州の殺害・放火事件で、福岡地裁は被告に無罪の判決を言い渡しました。
被告が一貫して容疑を否認し、物的証拠がなかったが、検察は留置場で同房だった女性の証言で起訴し、判決では、
・代用監獄の身柄拘束を捜査に利用した
・同房者が捜査機関に迎合する恐れがある

として、証拠能力がないとして、殺害・放火は無罪となったが、殺された被害者の預金を引き出した窃盗罪や威力業務妨害罪についてのみ懲役1年6月、執行猶予3年の有罪としました。

●事件の経緯
事件は2004年3月に被害者が自宅で殺され、放火されました。
被害者は離婚後、アルコール中毒で体をこわし、被害者の妹が面倒を見に行っていました。
近隣住民の放火通報後、7分経って、近くの知人が妹に火事だと電話で伝えました。
テレビの実験では、兄の家から妹の家まで7.5分で、妹の放火は容易でないと思われます。
妹は出火時点では、自宅で夫と居たというアリバイがありました。
兄の家の前の公園で子どもが、兄の家から男が出てきてから、煙が出てきたと言う証言もありました。

警察は、事件の2ヶ月後に、兄の預金から500万円を引き出したという窃盗罪で妹を逮捕しました。
500万円は兄の遺言で、3人の子どもの養育費と母親と兄の葬儀費に使って欲しいというものでした。
警察は2ヶ月経っても容疑者が見つからないため、もっとも身近な妹にターゲットを絞って、別件逮捕したと考えられます。
逮捕直後、アリバイを証明する妹の夫が心労が重なり、自殺しました。
これで、警察は妹が犯人と思って夫が自殺したと考え、妹を完全に犯人に決めてかかったように思います。
さらに2ヶ月後、兄嫁の経営する塾の出入り口を不自由にしたという威力業務妨害罪で逮捕しました。
この事件は、2年前に家族と別居した兄と年老いた母親が住めるよう、兄嫁が経営していた塾の一部を改修したのを、兄嫁は告訴しましたが、民事不介入で事件になりませんでした。
2つの逮捕案件は、殺人放火事件がなければ、なんら事件性はなかったので、トラブルはあるものの、逮捕はされなかったと思います。
窃盗罪と威力業務妨害罪は明らかに、別件逮捕でした。

被告は80日間、2つの警察署の代用監獄である留置場に入れられ、取り調べを受けました。
偶然にも、若い女性が同房となり、被告から事件のことを聞き、警察に話しました。
首にも差したというのが本人しか知り得ないものとして検察は決め手の証拠としました。
他にも、署名入りの本人が殺したとするメモなども証拠となっていました。
首の傷は火災の時のものという医師の見立てがあります。
また、女性が持ちかけた心理ゲームに挑発されて書いたと被告は言っています。
他の証言で、凶器が二転三転したり、麻薬の話しをしたり、かなりおかしな証言もあるそうで、変なものは証拠から除去されているのではないかと思います。
若い女性は窃盗や麻薬の常習犯で、虚言癖があったと言います。
恐らく、最初の留置場で、若い女性が切り出したか、警察が切り出したか分かりませんが、被告のことを探ってこいか、被告のことを調べたら、罪を緩くしてくれるかと言う話しが遭ったに違いありません。互いに協力しながら、出来上がっていたように思います。
その時、若い女性は8件の容疑がありましたが、1件だけ起訴されました。
若い女性に対して、捜査協力に対する見返りとして、司法取引のような検察の容疑の手心があったのかも知れません。

警察はさらに3ヶ月後、若い女性が被告から聞いたという「犯行の告白」を証拠にして、殺人・放火罪で起訴しました。
拘留期間は23日以内に決められているため、窃盗罪では自白が取れず、さらに拘留期間を延長するため、威力業務妨害罪を引っ張り出し、その期間に同房の女性の協力で、犯行の告白を得て、起訴したというのが実態だと思います。

●冤罪の本質
本件の確実な証拠でもって逮捕し、一定期間内に取り調べをして結論を出すのが正当なやり方ですが、本件の自白を取るため、別件で逮捕して、拘留期間を引っ張り,その中で落とすと言うやり方は違法です。
また、代用監獄を認めていることも冤罪をつくる大きな原因です。
刑事訴訟法では,被告を拘留できるのは拘置所(監獄)または留置場(代用監獄)となっています。
留置場は警察内にあり、取り調べが容易で、長時間行うことが可能で、鹿児島の公職選挙法違反事件のように、冤罪の温床になっています。
この事件も、留置場に同房の女性を一緒に出来たのも、偶然ではなく、警察の意図があったもので、代用監獄の制度があるからこそ、可能にしました。
代用監獄の問題は,国連の人権小委員会でも指摘されており、未だ是正されていません。
また、同房者を捜査に利用するやり方は松山事件の無罪となった再審で、許されないとされています。
その認められていない同房者を利用しての捜査手法は、異常と言わざるを得ず、警察力は著しく低下していると感じます。

別件逮捕や代用監獄の背景は,自白に頼る捜査手法にあります。
自白優先の捜査手法は前近代的、非科学的と言わざるを得ず、警察力を低下させます。
科学的証拠、物的証拠に基づく捜査手法に重きを置くべきで、そうすれば、警察力も向上するでしょう。


何故自白に頼るのか、それは起訴したら裁判で有罪になるという有罪率が99%にあるように、起訴したら殆ど有罪となる体質にあります。
白黒は警察でつけるのだ、だから、有罪と思ったら、何が何でも黒にしてみせる、その為には自白を強要したって良いという力が働きます。
有罪率99%は検察が黒と判断したら、裁判所も自白優位を認めて、黒を追認しているということです。
警察、検察は行政に属していますので、行政が司法に先んじていること、優位にあることを意味しています。
この関係は政治家より官僚が実権を握る構図、政府から独立しているはずの日銀が政府の影響を強く受けているのとそっくりです。

三権分立と言いながら、行政が最上位にある、お上が日本を事実上、支配する、という根本問題に行き当たります。

●おわりに
自白を優先する状況の下での,裁判員制度は,非常に危険です。
警察・検察における全ての取り調べの録音・録画による可視化が絶対に必要です。


窃盗したという根拠のない窃盗罪と民事不介入のはずの威力業務妨害罪の有罪判決は違和感を覚えます。

冤罪や代用監獄などについて、「アメリカでも日本と同様に多くの冤罪、警察の改革必要」で記事にしていますので、ご一読下さい。

テレビ朝日の番組「愛しているよ、カズ」を視たときには、丁度、臨終前の場面から、始まっていました。
朝の予告編を視たときに泣いたのに、また、涙が溢れ出ました。
また、子どもの生きた輝き、家族の一緒の幸せに感動してしまいました。

長崎市の小児ガンに掛かった家族のお話しです。カズくんは、2歳の時、小児ガンを発症し、2度の大手術をし、7歳の時、余命2ヶ月と医師から宣告されました。
両親は、つらい治療を続けることを断念して、たくさん楽しいことをして、残りの命を家族の愛で満たして上げ、見送る道を選びました。
それから家族の愛を満ちた11ヶ月、命尽きるまで、長崎文化放送の取材が行われ、映像の記録として残りました。
両親はカズ君が生きてきた証として、本を出される予定です。

最後の看取りとして、両親、妹、おじいちゃん、おばあちゃんが集まりました。
お母さんは息子に「愛しているよ、カズ」と言い、息子は消え入るような声でかすかに「ぼくも」、聞き取れる声で「おれも」と言いました。
3時間が経ち、いよいよ死期が迫ってきました。先生は心臓マッサージを続けています。母親は、息子がいつも母親の髪を触っていたので、髪の毛を切って、幼い手に握らせました。安心して旅立って欲しい、そのとき、お母さんはいつも一緒だよ、と言っているかのように。
最期の時、心肺蘇生を止めた息子を、父親と母親が抱き寄せ、妹、おじいちゃん、おばあちゃんもカズ君を抱き、カズ君は皆の腕の中で静かに息を引き取りました。

葬式を済ませた後、お母さんは産気づき、女の子を産みました。カズ君は生前、お母さんの大きいお腹に向かって、ハナコと話しかけていました。両親は、女の子をハナコと名づけました。

カズ君は病気であっても、いつも明るい子だったと言います。
人生は短い、長いではなく、如何に幸せな日々を送ったか、どれほど命が輝いたかがとても大事なことと気付かせてくれました。
それと、家族の愛は、こんな病気になっても勇気を与えてくれるとても大切なことなんだと気付かせてくれました。
短命だから不幸、病気だから不幸、障害があるから不幸ではなく、如何に輝いて生きたか、如何に愛し愛されていたかが、とても大事なことを分からせてくれました。


浸る間もなく、いつも視るNHKのクローズアップ現代をかけると、職場のいじめ問題をテーマに上げていました。
会社内で同僚をいじめる同僚たちの話しでした。まるで子どもの虐めと同様、大人が子どもと変わらない、情けない社会です。
その同僚も上司か会社か、仕事やノルマなどで精神的なプレッシャーを受けているのでしょう。
ストレスを押しつけ合う社会が人間が目指してきた社会なのでしょうか、間違った方向に進んでいるのではないかと思えてなりません。
カズ君の家族のように、社会を構成する一人一人が幸せになるように、求めてきたはずではなかったでしょうか。

そんなことを二つの番組を見て、感じました。

沖縄女子中学生暴行事件で被害を訴えた女子中学生が「そっとしておいて」と言って、告訴を取り下げました。
米海兵隊員(38歳)が否認の場合、被害者の立証に掛かる負担が大きくなることから、不起起訴にせざるを得ず、この容疑者は釈放されました。
このニュースを聞いて、やるせない思いをしました。
これまで、沖縄で、このような泣き寝入りの事件がどれほど多く、繰り返されたことか、無念でなりません。

●女性の性犯罪に対する女性の人権を抜本的に改善すべき
少女を日本政府が、大人たちが、守れなかったため、告訴しなかったと考えます。
少女のことを考えると、我が身を守るため、告訴取り下げは致し方のないことです。
むしろ、正義が行われなかったのは、日本、大人の所為として、大いに恥ずべきと考えます。
日本の刑事司法システムは男性中心主義のため、性犯罪における女性の取り扱いは粗野で野蛮で、女性被害者の人権を著しく阻害するものです。
少女が捜査や告訴の段階や裁判の場で、公衆に晒されることなく、セカンドレイプされることないよう、女性被害者の人権を守るよう制度改正しないと、今回や沖縄に限らず、正義が行われません。

●日本人を下に見る海兵隊が元凶、日米地位協定を対等に、海兵隊を国外に移転すべき
ドイツでは米兵による性犯罪を起こさない、起こせば社会問題で大事になると言います。
その米兵が日本の沖縄で起こすと言うことは、日本で固有の条件があるということを意味したいます。
固有の問題を解決しない限り、今まで同様、日米で行っている対策をいくら講じても、なくならないでしょう。
日本固有の原因は、以下の通りと考えます。
1.米兵は日本を見下している
2.海兵隊員の質の低さ
3.戦闘・厳しい訓練のストレス

日米地位協定の日本の地位の低さが、根底にあると思います。
米兵はいわば治外法権的な扱いで、日本国内法の縛りを殆ど受けず、別格扱いされていることに、知識やモラルの低い兵士は、勘違いします。
志願する海兵隊員は貧しい人が多く、新兵は直ぐに沖縄に連れてこられて、いきなり非常に厳しい訓練があり、多くはイラクやアフガニスタンとの恐怖のテロとの戦いに派遣されます。
海兵隊というモラルの低い人達の密度がこれほど多いというのは、通常の社会では起こりえ得ません。
別の言い方をすれば、アメリカの格差問題・産業としての米軍が沖縄に持ち込まれ、沖縄女性を気晴らしにしたとも言えます。
訓練や戦闘のストレスは、性を捌け口にすると容易に想像されます。
今回や直後に起こったフィリピン人女性のような性犯罪や、沖縄女性と恋愛し子供を作るが、本国に逃げ帰ってしまうなどの社会問題も頻発していると聞きます。
貧しく、知識の乏しい、経験の少ない海兵隊は、地位協定の米兵の優位性から、戦闘への恐怖、厳しい訓練の捌け口が引き金となって、(性)犯罪を行うのだろうと思います。
犯罪を激減させるには、日米地位協定を日米対等の関係にすることが絶対条件です。
粗暴な海兵隊はグアムに移転すべきです。移転できないならば、公務以外で基地外へ出ることを未来永劫、一切禁止すべきです。


沖縄女子中学生暴行事件の加害者の米海兵隊員はお咎めなく釈放されました。
何遍、こういう屈辱的なことをアメリカから受けて、いつまで日本政府はアメリカにヘイコラしているのでしょう。
この屈辱に日本政府は真剣にならないのでしょうか。
日本政府は日本の国民を守る気はないのでしょうか。情けない!の一言です。

愛てんぐ

Author:愛てんぐ
自由が一番!

*自由、平和、優しさ、自然が大好きです。暴力、戦争、不公平、不自由は大嫌いです。

*世の中では格差社会がどんどん進み、言論統制の動きも見え、益々自由に生きられなくなっています。

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