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【水戸の白鳥・黒鳥死】
棒などで殴り殺す?水戸の白鳥・黒鳥死は内出血 (読売新聞)
 水戸市の 千波 ( せんば ) 湖で28日、死んでいた白鳥と黒鳥計7羽は、頭から首にかけての重度の内出血が死因だったことが水戸署の調べでわかった。
 署は夜間、岸で寝ているところを棒のようなもので次々と殴り殺された可能性が高いとみている。
 死骸は午前5時半ごろに見つかり、周囲約3キロある湖岸の北側約1キロにわたって点在。巣の卵も一部割られていた。今月17日ごろにも7羽の 死骸 ( しがい ) が見つかっていたという。湖に現在いる約120羽はほとんどが市が購入したり、寄贈を受けたりしたもので市は被害届の提出を検討している。
 白鳥などに餌を与えている貸ボート業出沢敏雄さん(72)は「何でこういうことをするのだろう」と憤り、8か月の長男と遊びに来ていた主婦(25)は「怖い世の中になったと思う」と不安そうだった。
[ 2008年4月29日0時59分 ] 。


餌付けされて人になれたコクチョウなどを、夜間、棒で殴り殺す、酷い話です。
中年サラリーマン風の男が傘か何かを振って、チューリップの花の首を叩き落としている映像を思いだしました。
自分より弱い者を痛めつける、卑怯な人です。
こういう人は、誰か自分より強い人か、組織か分かりませんが、酷い仕打ちを受けているように思います。
大抵は、その強い人か組織には反論できず、表面上は従順にして、はらわたは煮えくりかえっていて、弱い者に当たってしまうのでしょう。
動物の虐待は、今後、大きな事件に発展する兆しかも知れません。
こういう人が生まれる社会の背景は、弱肉強食の社会、競争社会、ストレスをぶつけ合い、ストレスが連鎖する社会、優しくない社会、人が苦しんでいても見て見ぬ振りをする社会にあるのではないでしょうか。
小泉元首相が推進した小泉改革、規制緩和、新自由主義の導入の結果だろうと思います。



【多発する硫化水素自殺】
栃木のアパートで男性死亡、ドアに張り紙「硫化水素」 (読売新聞)
 29日午前11時15分ごろ、栃木県足利市のアパート1階の部屋の浴室で、住人の無職男性(34)が死亡しているのを、管理会社の通報で駆けつけた救急隊員が発見した。
 足利署の発表によると、部屋のドアに「硫化水素、ドク、死ぬぞ」と書かれた紙が張られ、浴室内に入浴剤と洗浄剤の空の容器が2本ずつ置かれていた。
 同署は、硫化水素による自殺とみて調べている。
 アパートは2階建てで、9世帯が入居しており、付近の住民を含む17人が避難したが、体調を崩した人はいなかったという。
[ 2008年4月29日16時22分 ]

大阪でも硫化水素自殺?会社員が死亡、住民ら20人避難 (読売新聞)
 29日午前9時15分ごろ、大阪府寝屋川市萱島信和町のマンション(6階建て)で、2階の会社員男性(35)宅を訪れた母親(66)から、「異臭がする」と110番通報があった。寝屋川署員や消防の救助隊が駆けつけたところ、男性が浴室で倒れており、約1時間15分後、病院で死亡が確認された。
 浴室内にトイレ洗浄液の容器などがあり、同署は硫化水素を発生させて自殺したとみている。
 この騒ぎでマンション住民ら約20人が避難し、女児(2)と祖母(46)が階段で転倒して顔などに軽傷を負った。
 同署の発表によると、男性は一人暮らし。浴室のドアに「注意 毒ガス発生中」と張り紙があり、内側から粘着テープで目張りしてあった。
[ 2008年4月29日13時21分 ]

硫化水素自殺か、高松のマンションで大学生死亡 (読売新聞)
 29日午前10時55分ごろ、高松市藤塚町のマンション「ソルジェ藤塚」(5階建て、8世帯)3階の部屋で、「異臭がする」と、ガスの検知に訪れた四国ガスの社員から110番通報があった。
 高松北署員らが駆けつけたところ、部屋に住む大学生の男性(20)が室内で倒れており、死亡が確認された。部屋からは硫化水素ガスが検出された。マンション住民らに被害はなかった。
 発表によると、室内の壁に「硫化水素発生中」と張り紙されており、男性は硫化水素で自殺したらしい。
 現場はJR高松駅から南西約2キロの住宅街。マンションの半径30メートル内は立ち入りが禁止され、住民4人が避難したほか、周辺道路も一時通行止めになった。
[ 2008年4月29日12時59分 ]


ゴールデンウィークも硫化水素による自殺が全国で、相次いでいます。
自殺者は上記のニュースでは20~35歳、自殺の仕方の情報が得られるインターネットを利用する若年層ということもあるでしょうが、バブル崩壊後の就職氷河期以降の人達ということもできます。
時代の閉塞感を反映して、自分の将来に全く希望を失ったためでしょう。
身近な親の生き方も少なからず反映しているでしょう。
親の世代も、楽しく生活していない、自分の思ったことをやれていない、人生が楽しいことを子どもに示せていないのだと思います。
政治が全く、未来に希望を持たせていません。政治の責任です。
少子化が止まらずに、著しい速度で進んでいます。
未来に希望があるならば、子どもたちがもっと生まれるでしょう。
年寄りになれば、後期高齢者医療制度のように、医療費を使うなと、安心した老後が保障されていません。
上手くいかなければ、自己責任です。
ワーキングプアに落ち込めば、はい上がることも出来ません。
収入の差が教育の格差となり、格差が次の世代へと継承され、階級社会へと進んでいきます。
かつて、総中流時代には、こんなに冷たい世の中ではありませんでした。
これも、小泉改革で、弱肉強食の社会、落ちこぼれた者は捨ててゆく、情け容赦のない社会にしてしまったことが大きなことのように思います。


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今日は「昭和の日」、「みどりの日」がいつの間にか、変わっていました。
昭和天皇の誕生日です。
NHKでは、「昭和が終わった日」という特集番組をしていました。
昭和天皇が崩御された日に、人々はどう感じたかを終戦を経験した様々な立場の人達に、戦後生まれの若い女性カメラマンが取材していく番組でした。
民放には出来ないNHKならではの番組でした。
当人が亡くなったと言うこともありますが、かなり突っ込んだインタビューをそのまま放送していました。

例によって、様々に件が語られていたが、特に、印象に残った意見は、「天皇は国家元首として、戦争で多くの国民の命を失ったことについて、一言あるべきだった」と、「天皇はある意味で、差別の象徴であり、戦後、天皇制を廃止すべきだった」でした。

今、日本中のあらゆるところ、上は総理大臣から下はアルバイトまで、無責任社会ですが、その根源は、戦争の責任を誰も取ってこなかった、名目上の総責任者であった天皇自体、何ら責任を取っていないことだということを知らされました。
その曖昧さから戦後が始まり、未だに決着が付いていないように感じます。
今の無責任体質の根本が、戦争の総括を避けてきたことだったので、それ以来、自民党政権の無責任体質、官僚と政治家のどっちつかずの責任体制へと引き継がれてしまいました。

今の日本は多くのタブーがあり、それが全く克服できていません。
その一つが差別問題で、天皇はその対極にあります。
天皇制を維持することによって、多くの差別を暗黙の内に容認する土壌になっているように思います。
また、民主主義が真から根付かないのも、主権者である国民の上に象徴天皇を抱くという曖昧さが、民主主義の根底と相容れません。


《立川反戦ビラ配布事件》
2003年12月、反戦・反基地活動を行っていた市民団体、立川自衛隊監視テント村が立川自衛隊官舎のポストに、自衛隊のイラク派遣に反対するビラを投函しました。
官舎の管理者は立川警察署に被害届を出した。官舎に部外者立入禁止、宣伝活動、販売活動、迷惑行為禁止と書かれた看板が入口に掲示されていました。
翌年1月23日、テント村の3人が2手に分かれて、反戦ビラを各戸に投函しました。ある住人が投函する二人に気付いて、警察に通報し、現場へ呼びました。住人に指摘され、問答とり、二人は立ち去りました。残る一人も別の人に見つかり、問答の末、ビラを回収して立ち去りました。
1月23日被害届が出されました。
テント村では、記名入りのチラシだったので、抗議の連絡がなかったため、2月22日に再度、ビラの投函を行いました。
2月23日にテント村の3人を住居侵入罪の容疑で逮捕しました。
3月19日に起訴されて、3人は拘留されました。
3月22日に2月22日の件の被害届が出されました。
拘留は75日間続き、5月11日に保釈されました。
拘留中は弁護人以外の接見は禁止されましたが、取り調べに黙秘を貫きました。

《裁判の経過》
東京地裁の一審では、「ビラ配りは憲法の保障する政治的表現活動。いきなり検挙し刑事責任を問うことは、憲法の趣旨に照らし疑問、」住居侵入に当たるが、方全体の秩序から見て、刑事罰に値するものではないとして、懲役6ヶ月の求刑に対して、無罪を言い渡しました。
東京地検は控訴し、東京高裁の二審では、処罰するに足る違法性があるので、住居侵入罪が成立するとして、罰金20万円から10万円の刑を言い渡しました。
表現の自由は認められるが、だからといって住居の侵入という他人の権利を侵してはならないし、警告を無視してビラの投函は生活に実害をもたらし、軽微なものとは言えないとした。
被告は、最高裁に上告したが、最高裁は、高裁判決を追認し、表現の自由のために住居侵入をしてはならないし、行為は軽微なものではないとして、上告を棄却し、刑が確定しました。

《問題点》
○ビラを配ったくらいで、75日間も拘留されなければいけないのか
75日間と言えば、年収500万円のサラリーマンで2ヶ月半、100万円は稼げる期間です。
ビラを配りに住居侵入したくらいで、それだけ拘留する理由が何処にあるのでしょうか。
逮捕して、75日間拘留しないと、証拠が掴めない、そんな重大な事件でしょうか。
どう考えても、公権力が、政府の政策に反対する活動に対して、弾圧に近いようなことをしたとしか考えられません。

○反戦ビラだけがなせ、逮捕されなければならないのか
立入禁止の看板の掲げた官舎に侵入したのは、反戦運動家だけではないでしょう。
違法なピンクチラシや、飲食店、不動産、政治家のチラシなど、かなり多種類の印刷物が投函されています。
それらは、何故、逮捕しないのでしょうか。
他のもの、すべてを逮捕して、運動家も逮捕するなら分かりますが、絶対にあり得ないし、未だかつて聞いたことがありません。
違法なピンクチラシでさえ、逮捕され、処罰されたことさえもありません。
警察は公舎管理者に告訴するよう予め書類を用意していたと言われています。
これは、明らかに、反戦運動家のねらい打ちです。

○物販とは違い、言論の自由は重いはず、言論の自由を軽んじて良いのか
違法なピンクチラシや、飲食店の広告、不動産のチラシなど物品の販売や勧誘と違って、反戦ビラは政治的なもので、表現の自由という重要な権利が含まれています。
表現の自由、他の商行為などとは、一線を画すべきです。
住居侵入に問うならば、物品販売等、他のチラシを先に違法性を問うべきです。
政治的に問題とするならば、市会議員のチラシなどにも問題があるのではないでしょうか。
また、反戦ビラだけが住民が気に入らないと言うならば、立入禁止の項目では押し売り等も入っており、それらも警察に届けないのか、矛盾があります。

○自衛隊員に反戦ビラを警察に訴えるのは自衛隊の逸脱行為ではないか
自衛隊はイラク派遣賛成、イラク派遣反対を言う立場にないはずです。
自衛隊は政府が命じた行動を取るべきであって、政治的な主張をすべきではありませんし、行動もしてはいけないと思います。
イラク戦争反対を言う者に対して、個人的に反戦ビラに嫌悪感があっても、その者を警察に突き出すというのは、問題ある行動と言えます。
勿論、イラク戦争賛成というものに対してもです。

○いきなりの逮捕はあまりに酷い
運動家は逃げも隠れもしません。
通常、こういった軽微な犯罪では、嫌がっていますよと、警察が指導をします。
それを無視して、再度行うと、悪質となります。それでも行うと、逮捕となるのでしょう。
ストーカーでさへ、いきなり逮捕はありません。
ストーかをいきなり逮捕していたら、多くの被害者が大きな被害が出なかったでしょう。
なのに、今回のいきなりの逮捕は異常で、やはり、公権力による見せしめだったと思われます。

○最高裁ほど国民から離反した判決になる
地裁では無罪、高裁で有罪、最高裁は高裁を追認、権力から遠いところ、市民に近いところは、民間の感覚に近い無罪でしたが、権力に近いところ、市民から遠いところで有罪になりました。
反戦ビラなど、政治的問題に関しては、権力に近い人達は常に、体制的な思考に陥ります。
何故なら、自らが司法という世界での権力ですから、どうしても権力者に有利な判決になってしまいます。
公権力を扱う、こんな問題に庶民感覚が必要です。
こういう裁判で裁判員制度を行うべきではないでしょうか。

○検察の方が裁判所より上にある
同様に、権力は権力の味方になります。
裁判所は検察の味方になります。
弁護側より、検察のいうことを認める傾向が日本の裁判所では、特に多いです。
その結果、多数の冤罪事件、冤罪判決が生まれています。
検察・警察は行政、裁判所は司法、ここでも行政>司法の力が働き、三権分立の名目はあるものの、実態は行政の方が上で、殆ど検察の考えに、司法が準じてしまっています。

中国の迫害から逃れたチベットの人たちが、平和の祭典であるオリンピックの聖火リレーに、FREE TIBETを掲げ、中国による人権弾圧を訴えています。
オリンピック憲章では『その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。』とあり、その象徴である聖火を持って五大陸を繋ぐと言うことは、北京オリンピックの主催者である中国が、人権の尊重、平和の構築を世界にアピールすると言うことになります。
人権の尊重、平和の構築をうたうオリンピックを開こうとする中国が、その一方で、チベット人の人権を蹂躙しているというのは、大きな矛盾であり、オリンピック開催に相応しくないとも言えます。
チベット人の人権が抑圧されていることを、同じ地球に生きる人間として、看過できません。
中国がアヘン戦争以降、傷つけら地に落ちた中華思想を世界に示そうと、強行に聖火リレーを世界中で走らせれば走らせるほど、チベットの人権侵害を訴える人達が人権をアピールするという構図は、とても皮肉に映ります。

<中国政府がチベット人を抑圧し、中国化する問題>
チベット自治区という名前ながら、実態は完全に中国政府のコントロール下にあることが、問題の根深さを象徴しています。
誰が聞いても、チベット自治区のトップがチベット族と思うでしょう。
しかし、トップは漢族なのです。胡錦涛主席もかつてチベット自治区のトップで、うまく抑圧出来たので、出世できたと聞きます。
チベット問題は、1949年中国共産軍がチベット王国を武力で併合されたときから、起こりました。
チベットはチベット自治区だけと思いますが、そこには200万人、周辺の甘粛省、四川省、雲南省にも自治州や自治県があり、400万人が住んでいます。
その他にも、中国に迫害を逃れ、インドをはじめ、世界中に13万人の亡命チベット人がいます。
チベットはチベット語とチベット文字を持つ固有の言語を持ち、チベット仏教という独特の世界観を持った文化であり集団であり、統治体制でもありました。
その中心が菩薩の生きた化身と言われる法王ダライラマ14世です。
中国は、チベット仏教と相容れない共産主義を強引に押しつけ、中国化を図って、チベット固有の文化、チベット仏教などを弾圧しました。
阿弥陀の化身とされ、ダライラマに次ぐ高僧パンチェンラマ10世が1989年に死亡し、次の生まれ変わりを、法王がこれまでの仏教的約束事に則り、探した結果、1995年に生まれ変わりが見つけたが、中国政府が新たな子どもを擁立し、生まれ変わりが家族とともに北京に来る途中、行方不明になり、状況から中国政府が秘密裏に拉致したものと思われます。
中国政府は、チベット人の生活に深く根を下ろしているチベット仏教を、中国統治の元凶と考えて、悉く、抑圧しています。
漢族の大量の移住750万人により、チベット族600万人より人口が増えました。
教育を含めて、全ての面で移住漢族は優遇されており、チベット人の上に置く支配階級のようになっています。
だから、漢族の店が襲われたのです。

<暴徒は完全に抑圧されたチベット人の怒りの表現>
暴徒と化したチベット族が店を襲う映像を中国が流しています。
よく見れば分かるように、被害に遭っているのが銀行だったり、焼き討ちにあった店舗の前面が化粧板が張られていたりするのを見ると、暴徒は漢族の施設を対象にしていたのが直ぐに分かります。
ダライラマ14世の言う非暴力を貫けないほど、チベット族は2級市民として、虐げられてきたと言えます。
それほど、チベット族の言い尽くせない積年の恨みが出たのでしょう。
平和的なチベット仏教徒をあそこまで追い込む、チベット人の誇りや尊厳を破壊した中国政府の抑圧の激しさが想像できます。

1959年に、中国政府の目の上のコブであるチベット仏教の最高指導者であるダライラマ14世がインドに亡命して、中央チベット行政府(チベット亡命政府)を樹立しています。
亡命政府は、中国からの独立は求めておらず、チベット仏教、チベット語などのチベットの文化を守る、チベット族の人権を保障する高度な自治権を求めています。
武力闘争はしない非暴力主義であり、中国のオリンピック開催を支持しています。
中国がダライラマが独立のために暴動を扇動していると言っていますが、非暴力のダライラマは全くそんなことは言っていません。
暴動は中国政府の弾圧の結果であって、チベット政策の失敗をダライラマに転嫁しているのです。
中国の民族主義を煽って、自己の責任を誤魔化しているのです。


<中国は情報統制しても事実は隠せない>
中国は当初、武力は一切使用していないと言っていましたが、旅行者が帰国し証言が出始めると、武器の発砲を認め始めました。
徹底的に情報を隠蔽して、チベット民族・文化を武力で弾圧するつもりです。
外国人記者を入れず、僧侶も入った暴徒が暴れる画面など、中国にとって都合良い場面ばかり、国内、国外に宣伝しています。
中国の警察の武力弾圧の姿は写していません。
暴徒が身近にある石や棒など、素手に近い姿を見ると、彼らが弱者であること、計画的でないこと、組織化されていないことが見て取れます。真実は消せません。
外国人記者を入れなかったのですが、漸く外国人記者をチベットに入れましたが、中国政府が記者のために用意されたものばかりのようです。
チベット仏教寺院では、若い僧侶たちが中国は嘘を言っていると泣いて訴えており、真実は消せないですね。
日本にいる亡命チベット人が、チベットに家族を残している場合、弾圧を恐れて、口を開きません。まるで日本に住む北朝鮮に家族を持つ在日の人達と一緒です。
このことから考えて、この後、僧侶たちは捉えられて、悲惨な目にあっただろうと推測できます。

<他にも人権問題、ダルフールと新彊ウイグル自治区>
国際問題となっているのはチベット仏教を有する独特の世界観を持つチベット民族浄化だけでなく、アフリカ、スーダンでアラブ系民兵が非アラブ系(黒人たち)を民族浄化したダルフール紛争(200万人死亡、60万人難民)で、中国はスーダンの石油確保のためアラブ系に加担し、武器を輸出し、非アラブ系の人達が殺戮されました。
それを非難して、スティーブン・スピルバーグが北京オリンピックの芸術顧問を降りました。
中国にはチベット問題に負けないような新彊ウイグル自治区(東トルキスタン)の問題があります。
ウイグル族の自治区で、ウイグル族が半数近くの1000万人を占めています。
彼らは風貌からみて、中東の人々に近いものがあり、言語はウイグル語、宗教はイスラム教で、漢民族とは相容れない大きな違いがあります。
ここでも漢民族の流入と、中国化とウイグル人の文化破壊が行われ、東トルキスタン独立運動が起きています。
チベット仏教よりイスラム教の方が過激であり、また独立運動の動きがあることから、中国政府はチベット問題よりウイグル人の方に危機感を持っているようです。

<北京オリンピックの聖火リレーはその国の人権意識・抑圧のリトマス試験紙>
聖火リレーはロンドンから始まり、今までにない距離を引き継がれ、中国に入り、チベットの宝、チョモランマ(エベレスト)まで登ると言います。
・イギリスのロンドンでは、祝賀ムードはなく、開始直後から、リレーを拒もうと飛び出す人が次から次へと現れ、異様な展開となりました。抗議デモ隊に対して、3000人の警官を配備し、聖火を中国からの警備要員(中国聖火警備隊)が守るという状況でした。
・フランスのパリでも、デモ隊の怒号のなか、3000人の警官と中国の警備員で聖火ランナーを守る中、進められましたが、開始直後から、混乱し、聖火は4度も消され、途中で打ち切り、最後はバスで輸送しました。
・アメリカのサンフランシスコでは、聖火ランナーはスタート地点ですぐに倉庫に入り、バスで聖火は運ばれ、ルートを短縮、変更し、デモ隊は予定コースで取り残され、最終的に車に収納されて、空港に運ばれました。
・アルゼンチンのブエノスアイレスでは、中国からの警備要員と5700人の警官で警備し、デモ隊の抗議はあったものの、予定通り、大きな混乱はありませんでした。
・タンザニアのダルエスサラームも大きな混乱なく終わりました。
・オマーンでは街頭デモはなく予定通りに終わりました。
・パキスタンのイスラマバードでは、デモはなかったがテロを警戒して、予定を変更して、観客なしの競技場で行いました。
・10万人の亡命チベット人が済むインドのデリーでは、コースを短縮して、一般国民を排除して行い、3500人のチベット人は離れたところで抗議をしました。
聖火リレーは平和の祭典であるオリンピックを世界にアピールするために行われるものですが、物々しい警備に守られ、ルートを変更する、ルートを短縮する、一般市民を遠ざける、これらのことは、北京オリンピックは平和の祭典でないことを意味しています。
また、チベット問題をアピールするイギリス、フランス、アメリカ、インドなどの国と、全くアピールをしないアルゼンチン、タンザニア、オマーンなどの国々に分かれるのも、また面白い現象です。
何処に違いがあるかと言いますと、チベット難民を受けていることもありますが、難民以外の市民団体のデモから見て、大きくはその国民の持つ人権意識の高さではないでしょうか。
逆に言えば、デモのない国は人権意識が乏しいか、または人権を抑圧されている国ではないでしょうか。

日本ではどうでしょうか。
日本では26日に長野市で聖火リレーが行われる予定です。
出発点となる善光寺が同じ仏教と説く身としてチベットに共鳴して辞退し、聖火リレーは変更せざるを得なくなりました。
また、町村官房長官は、聖火リレーの警護は法治国家である日本が行うので、青色ジャージーの中国聖火警備隊を拒否したと言います。
日本政府、日本人はどれほどの人権意識を持っているか、国際社会に知らせるチャンスです。
長野で聖火リレーが著名なスポーツ人で行われます。
英仏のような人権擁護の運動が展開できるでしょうか。
今度は日本国民の人権意識が問われています。
日本は民主主義と人権をアメリカに与えて貰ったため、フランスの人権宣言のように血と汗で勝ち取ったものではないので、人権に鈍感で権力に従順なのではないでしょうか。
昨今は特に、小泉改革の格差社会で勝ち組、負け組に分けられ、負け組に入らなければ良いと、他人の痛みを分かろうとしない人が増えているので、他国の住民のために人権擁護のアピールをする人は少ないかも知れません。

聖火リレーの様子を見守りたいと思います。

<中国はオリンピック開催に相応しくなかった>
オリンピック開催地北京がパリに勝ったのは、世界の大国に相応しい国になって欲しいという国際社会の要請と、中国もそうありたいと言うことでオリンピックを開催することになったのではないでしょうか。
結局、中国にとって、オリンピックは平和の祭典ではなく、国威発揚の場、中華思想を具現化する象徴、13億人をまとまらせる道具でしかありませんでした。
中国は一党独裁、人権も、民主主義もありません。市場経済だけが進む歪な国です。
チベットを封じ込まないと、ウイグル人をはじめ、少数民族が治まらない、13億の民を黙らせておけないのかも知れません。
威厳、体裁を絶対譲らない、中国毒入りギョウザ事件と同じ対応です。
やはり、オリンピックは早かった、オリンピックを開いても変わりそうにありません。
オリンピックを開く国としては、問題が多すぎます。
やはり、オリンピックを開くには10年以上早かったです。

<人権を大事にする日本は中国に対して毅然とした対応を>
北京オリンピックの開会式に、大統領などの国の代表を出さない国が相次いでいます。
日本政府は、福田首相は出席するのでしょうか。
5月になれば、胡錦涛主席が来日することになります。
中韓との外交関係が良好という、唯一の得点を無くすことはできないのか、これまで、日本の福田政権は、胡錦涛主席の来日が間近に迫り、何も言えませんでした。
ダライラマと話し合うようにと親書を渡しましたが、内政問題と一蹴されました。
良き隣人として、人権については言うべきことは断固として言わなければならないと思います。
日本政府は人権を大事にしない国と世界に映るでしょうね。

<中国人民の怒る相手はチベットやチベット側に立つ国や人々でなく、中国政府>
世界がチベットに対して同情的で、中国に批判的なのを、中国人は愛国心から反発しています。
フランスで起こった車いすの中国人女性の聖火ランナーは英雄としてもてはやされ、中国内にあるフランスのスーパー「カルフール」の不買運動が起こっていると聞きます。
中国の中では、今、富めるものと貧しいものの格差が日本の比ではなく、かつての共産主義と比べれば、天と地ほど、不平等になっています。
また、共産党の一党独裁で、党に反対する行動を取れば、政府転覆集団とされたりして、自由に発言することは出来ません。
政治に関して、言論の自由がありません。民主主義がありません。
死刑は世界の9割が中国で行われています。司法も行政の支配下にあり、不十分です。
チベット族ほどではありませんが、中国人民も人権が守られていません。
格差問題や人権問題、民主主義から、目を逸らすために、オリンピックがあり、チベットやウイグルの弾圧があるのではないかと思います。
中国人民は、目を覚まして、自分たちの人権、言論の自由、格差、民主主義を獲得することに力を注ぐべきです。
チベットやウイグルも同じく、人権抑圧された、同じ人間として、権利を認めて上げるべきではないでしょうか。
声高に叫ぶ相手がチベットやフランスではなく、中国共産党政府ではないでしょうか。


<中国と敵対ではなく、先進国の先輩として善隣関係を>
だからといって、日本は中国と敵対するのは間違っています。
隣国と仲違いして、平和が築けることは絶対にありません。
日本は中国と敵対するのではなく、先進国として、良き隣人として、間違っている点を指摘し、指導し、中国をリードすべきであると考えます。


<日本人の自由・人権・民主主義は不十分>
日本は自由があるか、人権を大事にしているかというかと、中国より遥かに守られていますが、そうでもありません。
ドキュメンタリー映画YASUKUNIが政治家の介入で上映中止に追い込まれそうになったり、自衛隊官舎にイラク派遣反対のビラを配ったくらいで75日も拘束され、10~30万円の罰金を取られたり、中国に偉そうに言えるほどではありません。
日本だって、過去にはアイヌ民族の同化政策で、言語や文化を奪いました。
沖縄(琉球)についても、そういう懸念はあり、先の大戦で日本の防波堤とされ、今も基地問題で苦しめられています。
また、普通の民主主義国家では政権交代がされていますが、日本はまるで独裁国家の如く、一党支配に近い状態が半世紀以上、続いています。
民主主義国家とは恥ずかしくて言えない国です。
日本の言論や表現の自由を確保など、日本の人権確保は不十分で、民主主義も真のものになっていません。それを正すべきです。


『小泉元首相の「弱者切り捨て政策」の時限爆弾、後期高齢者医療制度=「長寿抑制医療制度」』で抜けていた医療サイド側から問題点も記すとともに、一部都道府県の公費補助による医療制度格差についても、記したいと思います。

<診療報酬を使った、きめ細かな医療費の抑制>
【後期高齢者診療科、主治医、包括点数】
医療費削減のため、新たに考え出されたのが、次の制度で、今は選択制ですが、普及すれば
この制度への移行を考えているものと思います。
外来診療では、慢性疾患に罹っている後期高齢者を対象に、新たに後期高齢者診療科を設置します。
対象の慢性疾患のうち、主な病気を診る医師=高齢者担当医が診療料を算出できます。
検査、画像診断、処置等に掛かる診療報酬の包括点数は1ヶ月何回受診しても、600点(6000円)とします。
後期高齢者が患者の情報を集約し、患者を管理することにより、医療の無駄を無くす狙いがあるのでしょう。
さらに、高騰する検査等の点数を大幅に制限して、医療費を抑制する狙いがあります。

後期高齢者で慢性疾患の人もいるが、突然ガンになる人もおり、後期高齢者イコール慢性疾患は現状の一部であって、モデル化は机上の空論です。
主治医が専門外の疾患に対して、適切な医療を出来るでしょうか。オールマイティの医師はいないはずです。
また、医療の地域格差が生まれ、医師不足により、地域に適切な主治医が見つからない可能性もありますし、複数の医療機関に懸かる必要もあります。
患者に疾患によっては、複数の医師が診る方が、患者にとってプラスのことも大いにあると思います。
検査費用に上限を設けたことは、必要な検査を受けられないことになります。
後期高齢者の06年度の実績は平均で7,700円で、6,000円は平均より27%減となる実態を無視した、遥かに低い包括点数です。
必要な医療行為を行えば、医療機関の負担は持ち出しとなります。
採算に合わせようと、医療機関は医療行為を制限するようになれば、患者は必要な医療を受けられなくなる可能性が増えます。

死期に近い後期高齢者には医療を掛けない、無駄な延命治療は止めよということでしょう。

【重度障害者等の患者の入院】
また、後期高齢者で、脳卒中の後遺症や認知症などの重度障害者等の患者で90日を越えて一般病棟に入院するものには、低い定額点数となり、診療報酬の格付けを左右する平均在院日数の対象となりました。
特殊疾患病棟、障害者施設等でも、重度障害者等の患者は除外され、これら施設に入れなくなりました。
狙いは医療費抑制のため、脳卒中の後遺症や認知症などの重度障害者等の患者を早く退院させ、医療から介護に移すことにあります
重度障害者等の患者は、特殊疾患病棟、障害者施設等に入院できなくなり、一般病棟でも90日を越えると、医療機関も診療報酬が下がるため、追い出さ傾向になるものと予想されます。
脳卒中の後遺症や認知症などの重度障害者等の患者でも、障害による個人差があり、90日以上入院が必要なものもあると思います。
また、90日が経って、他の介護施設があるでしょうか、また施設には入れない患者を、自宅で介護できる家庭がどれほどあるでしょうか。


いずれとも、厚労省の役人が、医療費削減を御旗に、個々の患者の個人差のある様々な実態を無視した、非人間的な机上の空論を患者や医療機関に押しつけたものです。

<地方自治体の財政力による保険料格差>
「後期高齢者医療制度」の運用に際して、8都道府県(広域連合)が税を財源とする公費で追加補助をし、支払うべき保険料が引き下げられているか、引き下げる予定となっています。
東京都では、この制度以前から公的補助があり、そのため医療費が下げられていたと考えて、医療費削減のために公的補助の継続が必要との考えで17億円の補助金を投入し、平均保険料が61,700円から8,000円引き下げ、53,800円になりました。
京都府では230円、石川県では431円が引き下げられました。
東京の場合、全国一医療費の少ない長野県の59,900円を抜いて、最も保険料の少ない広域連合となりました。
制度の趣旨は、保険料を上げないよう、医療費を削減する方向に向かわせるのが狙いでしたが、東京都など、財政力のある自治体は、それとは無関係に、補助によって保険料を下げることが可能なことを示しました。
今後、財政にゆとりのある自治体や、他の支出、例えば道路などを削減して、広域連合に補助する自治体が増えてくるでしょう。

財政援助によって、保険料抑制が医療費抑制となる図式とならなくなり、制度そのものが充分、機能しなくなることは問題です。
また、自治体の財政力によって、医療保険格差が拡大することも分かりました。


厚労省の役人が、医療費削減のシステムを構築したつもりでしたが、容易に、富裕自治体がシステムを歪めることができてしまいました。
長野県のように、高齢者の健康のために色々と取り組んだ結果、医療費が押さえられたのが健全な考えであって、お金で枠を作って、医療を押さえ込むことで、高齢者の健康を守ることは出来ません。

発想自体が、心の通わない、数字を弄んだだけの机上の空論、大間違いです。


超高齢化社会に向かうのに、無駄遣いを無くすのは当然のこと、道路を作っている場合ではありません。お金を医療・福祉に廻すべきです。

少子化に何の対策も施さず、公共事業ばかりにお金を使い、無為無策のなれの果てが、終末期の高齢者に負担を負わせるとは、自民党、役人たちの無能、無責任振りには開いた口が塞がりません。
それを支持した国民は、このように、否応なく結果責任を取らされてしまいます。
国民は我がごとの如くに考えて、変化を恐れず、賢明にならなければなりません。

この制度を作った小泉元首相に、お年寄りに分かるように、ワンフレーズでなく、丁寧な説明をして欲しいですね。


事態が刻々と変わってきています。
上映館が現れてきたと思った矢先に、今度は、出演者に働きかけて、言論の自由を封殺しようとしています。一般公開前に、性懲りもなく、次から次へとです。
『自民党タカ派議員がドキュメンタリー映画「靖国 YASYKUNI」を検閲・圧力は言論・表現の自由を封殺』に新たに、文章を付け加えました。

<自民党議員の試写会要請>
靖国神社を題材にした中国人監督李纓氏が作製したドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」公式サイト)が昨年12月からマスコミ向け試写が行われ、週刊誌などで「客観性を欠く」「反日映画」などと報道されたのを見て、自民党稲田朋美衆議院議員(弁護士、福井1区、当選1回、49歳)は政府出資の基金から助成を受けている映画では問題と考え、同議員が会長を務める自民若手議員の勉強会「伝統と創造の会」と、同じく同党議員でつくる「平和靖国議連」との合同の試写会を、文化庁を通じて要請していました。

<「靖国 YASUKUNI」と芸術文化振興基金>
李纓氏は日本に住んで19年にもなる中国人で、長い年月をかけて「靖国 YASUKUNI」を撮影し続けてきたと聞きます。
撮影のために、来日した中国人ではなく、中国の国営テレビで、ドキュメンタリー制作に携わった後、日本に留学、日本映画監督協会に属し、国際的にも評価の高い監督です。
靖国神社に祀られている軍刀「靖国刀」をかつて作っていた生き残りの刀匠の取材を軸に、靖国の賛否両論を取り上げながら、日本人の靖国に対する意味を探っている作品です。
右翼の人々の妨害に遭いながら、10年の歳月をかけて作られ、日本のタブーである靖国問題に取り組んだ意欲作です。

なお、この映画は、文化庁所管の独立行政法人「日本芸術文化振興会」が管理する芸術文化振興基金から2006年度に助成金750万円を受け制作されました。

<試写会と反応>
稲田議員の要求に対して、監督側と配給・宣伝を司った「アルゴ・ピクチャーズ」は検閲には応じられないとしていましたが、国会議員全員が対象ならばということで、国会議員に対する試写会を3月12日に行いました。
国会議員に対する試写会は検閲まがいのことをされているというアピールと宣伝効果も兼ねる意図があったのでしょう。
自民、民主、公明、社民の各党派の議員40人と、代理出席で自民、民主、共産、国民新党秘書約40人が出席。計約80人が出席しました。
このうち、自民が50人以上を占めたと言うことは、「反日映画」に反応した自民党議員が多かったと言えます。
当の稲田議員は靖国神社が侵略戦争に駆り立てる装置だったというメッセージを感じたと言いましたが、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」会長の自民党島村議員は自虐的な歴史観を無理やり引っ張り込むものではなかったと言い、民主党の横光議員は靖国賛美6割、批判4割という印象を受けたと言いました。
自民党タカ派議員の中でさえも印象が異なり、いわゆる反日的(反日という言葉は全くナンセンスですが)であることが明白なものではなく、個人の受け取り方に左右される映画であったようです。

<検閲と圧力>
稲田議員が会長を務める「伝統と創造の会」は誇るべき伝統や国家の品格を守りつつ新たな日本を創造するという設立の趣旨は具体性がなく、何をしたいかよく分かりませんが、今回の行動を見ると、右翼的なのかなあと思います。
公開を前に、国会議員、それも特定の議員だけに見せろと言うのは、やはり検閲と言えると思います。
芸術文化振興基金から助成を受ける際に、商業的,宗教的又は政治的な宣伝意図を有しないものと規定されており、その審査に合格して助成されたものですから、何ら問題がないはずです。
こういう大衆に出る前に権力が事前チェックし、関係者にこういうものを作ると圧力をかけるぞという行為は、人権のない、情報統制する中国と全く同じ行為です。
自由を奪う行為であり、民主主義を損なう行為です。


<ドキュメンタリーと表現の自由>
事実を連ねているドキュメンタリーといえども、監督のメッセージを感じるのは当たり前で、人が作るもの、人が見るものの常、そうでないと制作意欲も湧かないし、芸術や文化とは言えません。
同じものを見ても、人それぞれによって受け止め方が違うのが当たり前です。
それにいちゃもんを付けるのは愚の骨頂です。

左翼的な映画があっても、右翼的な映画があっても良いのであって、表現の自由です。
それを政府が判定するべきことではなく、見た人々がどう感じるかと言うことです。
こういう独善的な政治家に、豊かな伝統の保持や新しい創造は困難と言えるでしょう。
多様な価値観のなかに、豊かな伝統が引き継がれ。多様な文化が育まれ、新たな創造が生まれることに気付かないのだろうと思います。


<反日的と日本的>
反日的という言葉に極めて、違和感を覚えます。
特に、同じ日本で活動する行為で、一つの行為を日本的、別の行為を反日的と言えるのでしょうか。
日本の歴史・風土の中で起こっていることに、日本的と反日的と選別が出来るのでしょうか。
日本で行っている行動は主流、反主流など、全て、日本的ではないでしょうか。
反日には多様性を認めない、少数派を無視する、響きがあります。
自分たちは正統で、他のものは邪道だという、排他的、差別的、権力的なものを感じます。

多様性を認めない「反日」という考えには、民主主義を認めない極めて危険な考え方と言わざるを得ません。
まるで、戦時中の日本のようです。全体主義、ファシズムの気配を感じます。

<タブーと民主主義>
日本には数々のタブーがあり、靖国問題もタブーの一つです。
日本人が、タブーに真っ正面から議論できないのは、民主主義が根本で根付いていないのと同質のものを感じます。
これは、戦争に対する日本人自らの総括がなされていないことにも通じます。
それは、植民地支配や侵略した国々、特に朝鮮半島や中国から、日本への信頼が根本から生まれてこないのは、こういう土壌にあるのではないでしょうか。


<上映中止相次ぐ>
4月12日から上映を決めていた映画館5館すべてが上映中止を決めました。
街宣車の抗議(嫌がらせ)を受けて、銀座シネパトス館が中止し、他の新宿バルト9,シネマトー六本木、シネマトー心斎橋が追随したものです。
さらに、5月以降の上映をほぼ決めていた別の数館は上映の可否を含めて、配給のアルゴ社と協議をしています。
これに対して、稲田議員は公的助成が適正かで封切り前の試写会を要請した、私と考えが違うが力作だ、表現の自由が守られている国で、一部政治家が映画の内容を批判して上映をやめさせるようなことがあってはならないと話しました。
結局、自民党タカ派の検閲まがいの行為により、映画館は街宣右翼を恐れて自主規制し、表現の自由を犯すことに追い込まれました。
自民党タカ派が思い通りに、自分たちの意に沿わないと思った表現・言論の封殺に成功したという結果になりました。


<言論・表現の自由を守れない日本国民>
稲田議員は表現の自由があり、一部政治家が上映を辞めさせることがあってはならないと言っていますが、上映を止めさせたことになった政治家、張本人が良く言うよと思います。
「日本芸術文化振興会」で既に審査済みで助成を受けており、彼女たちが行ったのは越権行為であり、政治の介入です。
表現の自由を侵していないという認識がないのは、民主主義に対する理解がないと見られても仕方ありません。
この前、日教組の集会で西武グループが凱旋右翼に屈しましたが、今回もまた、映画館が屈してしまいました。

日本は、戦後、民主主義をアメリカから与えられて、自ら勝ち取ったものでないため、言論・表現の自由がどれほど大事なものか、民主主義の基本であることに心底から理解していません。
言論・表現の自由を体を張って、守れない、情けない日本です。
だからいつまで経っても民主主義が根付かない、政権交代が行われません。
小泉・安倍政権で、国旗国歌、愛国心教育が決められたように、この国民性では、いつか来たこの道にならないか、心配です。


<街宣右翼を規制しない自民党政府>
稲田議員たちは、上映が中止され、表現の自由が守られなかったことを、本当に非とするならば、自分たちが阻止したと疑われないよう、上映のために先頭を切って、運動すべきです。
また、今後、上映される映画館があったら、街宣車に対して、公然と抗議すべきです。
そうすれば、彼女たちの言論・表現の自由は大切だという主張は信用できます。
街宣右翼の活動は、明らかに営業妨害です。
駅前で、政治家が自らの言論を発表しているのでも、プロレス団体などが公演の宣伝を車で拡声器で流しているのとも、全く違います。
今回の場合は映画館、日教組の場合は西武系列のホテルを拡声器で攻撃するとしており、政治的主張と言うよりは、政治活動という名を借りた営業妨害活動です。
彼らの狙いはホテルや映画館及びそこに集う人達に、大音量の暴力、怖いというイメージ等で嫌がらせを行うことによって、集会や上映を阻止することにあります。
街宣右翼の人達が、ホテルの集会場を借りて、自らの意見を発表する、映画を作って、映画館で上映するのを、誰が妨げますでしょうか。
彼らを威力業務妨害で摘発しないのか、取り締まることができなければ、新たな法律を作らないのか、不思議です。

天下の公党である自民党が、街宣右翼の業務妨害活動に対して、あまりに寛容である姿勢にも、また、合法的な教師の団体である日教組を公然と非難するのを見ても、ロシアや中国に似た、非常に危険な権力の傲慢さ、民主主義への理解が正しくないことを感じます。

<上映館の出現>
5月10日に大阪市淀川区の映画館「第七芸術劇場」、6月に広島サロンシネマ(広島市中区)、8月に京都市下京区の映画館「京都シネマ」が上映され、東京でも上映を希望する映画館が表れています。
これら映画館の勇気ある行動に拍手を送りたいです。
それに引き替え、大企業である西武グループ系列のホテルが裁判所の判断を無視し、旅館業法をも犯して、右翼に屈した西武の情けなさ、社会的責任の希薄さが浮き彫りにされました。
町村長官、福田首相が不適切だ、遺憾だと、言論の府の長が、他人事のような発言には拍子抜けがしました。
営業妨害により言論の自由を抹殺する凱旋右翼を規制する法案を整備するなど、積極的な行動は全くなく、むしろ、積極的に容認しているような気すらします。

上映時に、街宣右翼が来た場合、警察がちゃんと取り締まるかどうか、見物です。

<表現の自由に、またも自民党女性議員のブレーキ>
YASUKUNIがあちこちの映画館で上映されそうになってきましたが、また女性自民党議員からのブレーキです。
自民党の有村治子参院議員(滋賀比例区、当選2回、37歳)が、靖国刀をつくる高知県の刀匠が自分の出演番組を外して欲しいと希望していると国会で取り上げました。
制作者の李監督によると、昨春、ビデオを刀匠夫妻に見せ、作品の意義を伝え、試写前の2月、再び訪れて、上映に不安を感じている夫妻とじっくり話し合い、再度了解を得たと言います。
4月10日、朝日新聞の取材に、夫妻は05年に、靖国刀の最後の刀匠としての出演依頼があり、撮影に協力したが、2月の李監督の映像を見て、趣旨と違うので、出演場面の削除を求めたと話しています。
夫妻は、今年3月末と4月9日に、有村議員から国会で映画を審議しているので考えを聞きたいと電話を受け、出演は本意でなく、名前と映像を省いて欲しいと話しています。
結果的には、李監督と刀匠夫妻の言い分が全く逆のように見えます。
両者とも芸術家です、嘘を言っているはずがありません。
時系列でつなぎ合わせると、脈略が通ります。
05年李監督が刀匠夫妻に出演依頼をし、昨年秋に出来上がった映画を監督は夫妻に見せ、不安を感じている様子だったので、今年2月にじっくり話し合った理解して貰った。
ところが、自民党稲田議員の騒ぎで映画は社会問題化していくなか、同党有村議員が刀匠夫妻に映画は問題となっていると働きかけ、2回もとなると、夫妻は不安な面が増大し、削除を申し出たというところではないでしょうか。
女性議員の政治的介入が無ければ、刀匠夫妻も翻意しなかっただろうと思います。

稲田議員が国会議員という権力を行使するのに、慎重にならなければならないとマスコミから指摘されていると知りながら、有村議員は直接介入しました。
どちらも、自民党の女性議員、表現の自由を抑圧することに何ら神経を払わない、権力に弱い民間人に対する政治の介入の意味を理解していない、言論の自由を最も大切にしなければならない国会議員には相応しくない人達と言われても仕方がありません。


<対立の党首討論>
自民党の福田首相と民主党の小沢代表との党首討論、前回は拍子抜けだったので、今回どちらも本音が出て、面白かったです。
レベル云々の問題はありますが、党首討論はこうあらねばなりません。

<女々しい首相の地>
福田首相は、恋人に捨てられた男のように、泣き言、恨み言のオンパレードでした。
地がでていました。女々しさを露見していました。
泣き言の内容から考えると、党首会談など、国民の見えないところ、密室政治に依存する古い体質の政治家であることがはっきりしました。

<どちらが首相>
福田首相が小沢代表に質問し、小沢代表が施策を説明する、どちらが首相か分かりませんでした。
皮肉にも、福田首相は小沢代表に政権構想を発表する機会を与えました。
民主党が政権を取れば、特定財源の一般財源化、公益法人・天下りの全廃、中央集権を廃止して地方分権などを実現する政権構想です。

<参院選の民意を理解していない>
福田首相は民主党の決断が遅いと言っていましたが、見ている人はそれはあんただろうと突っ込みを入れていたと思います。
決断が遅い最大の判断の間違いが、直前の選挙で民意が野党にあることを認識していないことです。
衆参で多数をとっていたとき同様、最初から、高飛車の案を叩きつけ、衆院で強行採決し、参院で野党が反発して、野党案が可決するという構図です。
テロ特措法延長、日銀総裁副総裁の人事もそうです。
今回の暫定税率では、福田政権は若干前進して、最後に妥協案を出しました。
民意のある野党に配慮した案を、衆議院の段階から、出さない限り、まとまる可能性すらありません。
誰もが分かる話です。それさえ分からない、長期政権で権力に長く居座るとこうも高圧的態度が常態化してしまって、常識が通じなくなっているのだと思います。


<閣議決定も実現の担保無し>
また、起死回生のつもりで、道路特定財源の一般財源化を含む新提案を骨太の方針として、閣議決定すると言っています。
が、福田首相に求心力もないし、小泉前首相でさへはじき飛ばした道路族を相手に、出来ますでしょうか。
一般財源化は小泉、安倍政権で閣議決定されていますが、実態はどうしても使い切れない余った分だけになり、結局、道路族により骨抜きにされています。
閣議決定されても、実現は信用できません。


<政府・与党案も忍ばせる骨抜き条項>
10日福田首相と古賀選挙対策委員長を含む自民党四役との会談でまとまった「政府・与党合意」案にも、道路族に配慮して「必要と判断される道路は着実に整備する」と明言されてます。
一般財源化とは、予算の付け方は国民ニーズによって判断されるものであって、他の予算にない必要な道路はつくると道路整備を優先する文言を付け加えるのは、説明がつきません。
教育であれ、防衛であれ、他のどの予算も必要なものは必要なのです。

これまでの特定財源のようにノーチェックとまではいかないが、しかし、補助金行政で地方から要望という今までの形が温存している以上、これまでと変わらず、道路を作り続けることを意味し、事実上の骨抜きです。

<延命のための偽装改革>
今の福田政権は、小泉改革による弱者・地方切り捨てなどの負の遺産の是正に迫られるが、小泉改革を支えた同じ自民党政権で、全面否定して積極的に是正も出来ず、かといって格差を広げる小泉改革の推進も出来ないジレンマがあり、二進も三進も行かない状況にあります。
そのため、今の自民党は国をどう導くというビジョンは全くなく、政権を維持するためなら、飲める範囲は飲んで、生き残っていこうという戦術にあります。
自民党は、問題が生じたときに続けてきた、表面は化粧するが本質は変えない、国民騙し、偽装の常套手段です。


<中央集権から地方分権が真の改革>
党首討論で、小沢代表が中央集権を壊し、地方分権にすると言っていました。
一般財源化しても、道路を造り続ける構造は維持でき、中央政府が権限とお金を握る補助金行政で、既得権益は守れるわけです。
いざとなれば、道路族は特定財源は譲っても、補助金行政は守ろうと考えているのではないでしょうか。
地方分権は凄いことで、マスコミはそのことには何故か、あまり触れていません。
地方分権になれば、公共事業(道路)、福祉・医療、教育、なんでも使って良いとなると、恐らく公共事業(道路)の順番は下がるでしょう。

地方分権は、土建国家から福祉・医療、教育国家への転換を可能にする下地になると思います。

<与党と野党では妥協できないほどの大きな差>
かつて、自民党の主張そのままに、自民党と民主党の違いはないとマスコミが宣伝していたことを思い出しました。
今回の党首討論を聞くと、間を埋められない大きな違いがあることが明白にアピールされました。
・暫定税率は、自民党は暫定のまま現状の税率を維持するのに対して、民主党は緊急の道路整備は終わったとして、30年以上続く異常な状態を正し、一旦廃止します。
・地方分権は、民主党は完全に税源まで移譲する、これに対して、小泉政権では三位一体の改革と称して、税源は0.7兆円移譲するが交付金等を4.2兆円カットし、事実上は地方の財源を大幅に絞った、緊縮財政を地方に押しつけた結果になりました。先日開かれた地方分権改革推進委員会では、国から地方へ権限移譲する仕事は、省庁すべてゼロ回答でした。
・現在31もある特定財源(特別会計)については、民主党は廃止し、一般会計化(一般財源化)するのに対し、自民党は漸く、民主党に押されて、道路特定財源のみ一般財源化を検討する段階にあります。
・天下りに対して、民主党は原則廃止に対して、自民党は国営の天下りセンターを設立します。
・12兆円以上もの補助金等を受ける天下り法人については、民主党は原則廃止なのに対し、福田政権の公益法人改革では、私の仕事館など、微々たるものでした。

中央集権の仕組みを温存して、議員と官僚の既得権益を確保したいという自民党と、国は外交等の国でしかできないこと、地方は生活関連など地方がすべきことに役割分担する地方分権に改め、日本の仕組みを変えたいという民主党には話し合いで埋められない深い溝があります。

<政権交代が民主主義の基本>
マスコミは、妥協せよ、協議せよ、政局にする云々という論調ですが、これだけ対立軸が明確になれば、妥協の範囲を超え、総選挙をして、政権交代しかありません。
マスコミは権力から睨まれると怖いから、与党、野党、ケンカ両成敗の如く、どちらも悪いという論調になりがちですが、当然、政権を担う与党の方が野党より遙かに重い責任があります。
年金問題でも、道路特定財源でも、自民党長期政権の積年の腐敗が生み出したもので、野党と同列に論じるべきものではありません。

野党への政権交代がなければ、結果的には一党独裁の中国や北朝鮮と同じこと、未だ民主主義がない国と言えるでしょう。

政権交代は、長期政権に携わっている者たちの失政の懲罰であり、利権に預かっていたものに冷や飯を食わせて、干し上げることであって、一部がまた権力に座るという政界再編ではありません。
そういう厳しさがあってこそ、権力につくことの重さが分かるのではないでしょうか。


4月1日より、医療費抑制のため、最も医療を必要とする後期高齢者を専ら対象とする後期高齢者医療制度が始まりました。
即日、後期高齢者というネーミングに批判が相次いだため、長寿医療制度という名を付けました。

■後期高齢者医療制度の概要
制度の概要は厚生労働省発表の後期高齢者医療制度の概要より、保健福祉介護保険の情報サイトウエルの後期高齢者医療(1)(2)(3)(4)の方が分かりやすいので、それをもとに要約します。
【制度創設の目的】
制度創設の目的は後期高齢者の医療の適正化と、医療費の比重が高い後期高齢者医療を独立させ、全市町村が加入する都道府県ごとの広域連合単位にすることにより、高齢者世代内・高齢者と若年層の世代間の負担の公平化と財政基盤の安定化を図る医療費の適正化を目指しています。
【制度の対象者】
医療制度の対象は75歳以上の後期高齢者と65歳以上74歳未満の障害を持つ前期高齢者で、1300万人が対象となります。
但し、生活保護世帯は対象に含まれません。
【被保険証】
これまでの国民健康保険等の被保険者でなくなり、健康保険証等は使えなくなり、新た後期高齢者医療被保険証が交付されます。
保険料を滞納すると、高齢者医療被保険証を返還し、「短期被保険者証」または「被保険者資格証明書」が交付されます。
【医療の給付】
医療給付は今まで同様、原則1割、現役並みの所得を有する者は3割と変わりありません。
但し、闘争、泥酔、著しい不行跡、あるいは自殺未遂で負傷したり、病気になってしまった場合、療養の給付はありません。
【財 源】
財源はこれまで国保、被用者保険(国保以外のサラリーマン等が加入する保険)からの老人保健拠出金と税金で折半されていましたが、新たな制度では、老人保健拠出金の1/5を減らし、その分を後期高齢者の保険料で充当しています。
【制度運営の主体】
窓口業務と保険料徴収はこれまで同様、市町村が行いますが、保険料の賦課・給付、財政運営等の事務は、後期高齢者医療広域連合(都道府県)が行います。
【保険料】
保険料は、頭割り(均等)と所得比例の2階建てで、両者の比率は1:1になっています。つまり、一定の均等額に所得比例(所得割)を上乗せしています。
保険料の限度額は年50万円までです。どんな高額所得者であっても、50万円(4.2万円/月)になります。
全国平均では、頭割り3万7000円/年(3100円/月)、所得比例分の平均で3万7000円/年(3100円/月)、計7万4000円/年(6200円/月)と試算されています。
広域連合の保険料は医療費の大小、所得平均の高低により、地域格差が生じ、最高が神奈川県の9万2750円、最低が青森県の4万6374円と2倍の開きがありました。
自治体の所得格差を是正するため、国から調整交付金が支給されるため、高所得層が多い広域連合は調整交付金が減額され、その分、保険料が高くなるためです。
【頭割り分】
頭割り分は、医療費総額の1割に充当する後期高齢者の保険料の半分が均等割の総額になり、総額を後期高齢者の人数で割ったものです。
【所得割分】
所得割は、前年の収入から公的年金控除(年収300万円以下なら120万円)を所得と見なし、それから基礎控除33万円を差し引いた金額に保険料率を掛けたものです。
従って、153万円(12.75万円/月)までは、所得割は掛からず、153万円を越えると所得割が加算されます。
保険料率は、医療費総額の1割に充当する後期高齢者の保険料の半分が所得割の総額になり、総額を所得から基礎控除を除いた額の総額で割ったものです。
保険料率は広域連合内は原則的に均一です。
但し、暫定的に、医療費が平均20%以上低い市町村は、一定期間、低い料率になります。
【保険料の軽減措置】
低所得者については、所得に応じて、頭割りの部分が7割、5割、2割に軽減されます。
・7割軽減
7割軽減する世帯は、被保険者と世帯主の所得の合計が33万以下の場合になります。所得は収入から公的年金控除120万円とさらに15万円差し引かれます。
合算の年収が168万円(14万円/月)以下は頭割り額は3割だけとなります。
・5割軽減
5割軽減する世帯は、世帯主が被保険者でない世帯に限って、合計所得が33万円に24.5万円に被保険者の数を掛けた数を加えた額以下の場合になります。
例えば、子どもが世帯主で、親が被保険者の場合は、120+15+33+24.5=192.5万円(16万円/月)以下ならば、頭割り額は5割となります。
・2割軽減
2割軽減する世帯は、合計所得が33万円に35万円に被保険者の数を掛けた数を加えた額以下の場合になります。
単身世帯ならば120+15+33+35=203万円(16.9万円/月)以下、2人世帯ならばさらに35万円で238万円(19.8万円/月)以下ならば、頭割り額は8割となります。
・被扶養者の激変緩和措置
被用者保険の被扶養者だった場合は、2年間は所得比例分については負担せず、頭割り部分については、最初の半年は支払わなくて良く、半年後からの半年間は9割軽減し、その次の1年間は5割が軽減されます。
【保険料の納付】
世帯単位でなく、個人単位となります。
保険料を年金から天引きで支払います。
これまで被用者保険の被扶養者には保険料は掛かりませんでしたが、今後は引かれます。
但し、年額18万円未満の年金受給者や介護保険料と合わせた保険料が年金額の半分を超える年金受給者や事情のある場合は口座振替等で納めます。
夫婦の場合、世帯主と配偶者は連帯して保険料を納付する義務があります。例えば、どちらかが天引きされずに銀行振込等でも支払わない場合、片方の年金から天引きすることになります。
【保険料の改定】
保険料は2年ごとに改定されます。医療費の増減によって、増減されます。

<制度の広報不足=悪法の強制的実行が目的>
後期高齢者保険制度は2年前、郵政選挙で衆議院で圧倒的多数を占めた自民党小泉政権の元で、可決されました。
法の施行まで2年間の猶予がありながら、広報が殆どされていませんでした。
分かりにくい制度、お年寄りは加齢により理解力が落ちていることを、併せて考えれば、厚労省、政府自民党は、全く、周知徹底に努力してこなかったと言えます。
やはり、悪法と知っていて、実態が分かれば、厚労省に不満が出たり、自民党の支持率低下になると、判断して、積極的に広報してこなかったのだろうと思います。
その何よりの証拠に、自治体が後期高齢者被保険証が発送したのは3月中に届くように、3月中頃からで、制度が始まる4月1日の直前です。
厚労省の指示が遅く、自治体のドタバタ振りが窺い知れます。
おまけに、制度開始時に、被保険証が届いていない人が6万人以上にも及ぶ不始末さ、その対応として1ヶ月間は75歳以上が証明されればOKというドタバタ振りからも、やっつけ仕事ぶりが分かります。
制度を広報してこなかったのは、悪法であることを厚労省も自公政権も知っていたためではないでしょうか。
都合の悪いことは、よらしむべからず知らしむべからず、ぎりぎり間際になって明らかにし、既に制度は始まったとして強引に飲み込ませようとしているのではないでしょうか。


<死期に近い人の医療費を抑制=早く死ねという制度>
団塊の世代が高齢化を迎えるとき、医療費が異常に膨らむと厚労省は考えて、医療費の抑制を図りたいと考えています。
今、問題となっている医師不足も、医療費を抑えるには医師の数を減らすと効果ありと厚労省が進めてきた結果でした。
今回、医療費抑制の切り札として、医療費がかさむ後期高齢者をねらい打ちにした、後期高齢者医療制度を作りました。
75歳以上の高齢者(平均寿命まで後5年の男性と後10年の女性)と65歳~74歳の障害を持つ人、すなわち死に近い人=医療費が掛かる人だけをひとくくりにしています。
このひとくくりは非人道的な扱いです。
障害を持つ前期高齢者を例に挙げますと、重篤な脳梗塞になって、障害が残れば、これまでの保険証を取り上げられて、あなたは今日から、後期高齢者医療制度に移行します、という二重の苦しみを受けることになります。
制度の仕組みは、都道府県単位で、後期高齢者等の医療費が増えれば、保険料が高くなり、逆に医療費が少なくなれば保険料が減るというシステムです。
後期高齢者は、長生きすれば、医療機関に厄介になる回数が増え、医療費が掛かり、生計にも影響を与え、死ぬまで残さないといけない貯えも減っていきます。
そうした状況で、貧しい人達ほど、医療費が増えて保険料が上がれば、医療機関に掛かることを減らすようになり、その結果、病気になって長生きできないということになります。

後期高齢者医療制度自体は長生きできる仕組みになっていますが、皮肉なことに、制度の中にいる後期高齢者等は長生きできない仕組みになっています。
医療費の掛かる高齢者を一定の額に押さえ込むなんて考え方はあり得ず、国全体で高齢者を支えるというのが誰が考えても分かることで、世界の常識です。
世界の中で、高齢者だけの医療制度なんかありません。

姥捨て山医療制度とはよく言ったものです。
人生の最期に十分な医療を受けさせない、平穏な暮らしをさせない、なんと優しくない、冷たい国に日本はなったのでしょうか。

こんな制度を作った厚労省の役人たちは潤沢な共済年金、自民党、公明党の議員たちは豊かな議員年金を貰って、保険料を支払っても、全く老後に不安がないため、弱者を見頃すことに平気なんでしょう。


<後期高齢者の健康診断を抑制=後期高齢者は健康でないほうがよい>
これまで、後期高齢者は国民健康保険や被用者保険の適用を受けて、健康診断にも助成がありました。
しかし、健保や被用者保険から外され、後期高齢者医療制度に組み込まれた後期高齢者には、各広域連合の努力義務となりました。
厚労省は成人病の薬を投与している人は除外することを命じ、徳島県では1年間医療機関に掛かった人は検診を受けられません。
つまり、死ぬ間際の人は健康診断しなくて良い、間もなく死ぬのだから、そんなお金は死に金になるから勿体ないとでも言っているようです。

後期高齢者の健康診断を努力義務にしたのは、後期高齢者には病気を見付けなくても良い、早く死ねを意味しています。

<保険料は後期高齢者への過大なる負担増、医療格差の増大>
これまでの老人保健制度では国(納税者すべて)が半分、国保と被用者保険の拠出金(被保険者すべて)が半分出して、医療給付金を賄ってきました。
今回の後期高齢者医療保険では国保と被用者保険(サラリーマンの入っている保険)の拠出金分を、国保と被用者保険の拠出金(後期高齢者以外の被保険者)に4/5、後期高齢者等に1/5に分担しています。
今回の医療制度では、後期高齢者が1/5を負担することになりますが、後期高齢者医療制度の対象人口(1300万人)が保険対象の成人(20歳以上1億400万人)の1/8に過ぎず、年金生活者が大半を占め、おまけに扶養者で保険料ゼロの人が200万人もいるのに、全体保険料の1/5を支払っているとは絶対に考えられません。
明らかに、これまでの老人保健制度に比べ、過大な負担を後期高齢者等に求めていることは明白です。
従って、以前に比べ後期高齢者等に課せられる保険料の総額は絶対に増えています。
多少、保険料が減った人はいますが、保険料が増えた人の方が遙かに多いでしょう。

後期高齢者の比率が高まる15年後の団塊の世代を意識したのでしょう。
15年前からこの厳しい制度は、あまりにも現在の後期高齢者にとって、劇薬過ぎるのはないでしょうか。
貧困層は医療費の抑制に働き、富裕層ほど医療費を使う傾向にあります。
そうすると、貧しければ貧しいほど医療は不十分となり、貧乏人は早く死ねとなって苦しみの最期となり、豊かだと医療は十二分に掛けて、長生きでき、平穏な最期を迎えられます。
富裕層が高度医療を使って、医療総額が増えれば、保険料は2年ごとに増大し、貧困層に大打撃を与えます。

後期高齢者のなかの貧しい人と富める人との医療格差を生む制度と言えます。

<この制度により低所得年金生活者を困窮状態・医療難民に追い込む>
後期高齢者等の全てと言って良いほど、年金生活者だと思います。
子どものある後期高齢者の一部は、被扶養者になっていると思います。
それが、2年間緩和措置があるとはいえ、被扶養者になっていて保険料0だったものが、新たな保険料出費は当人だけでなく、扶養する子どもたちの家計にも大きな影響を与えるでしょう。
低所得者で頭割りが7割軽減され、全国平均で6200円×0.3=1,860円/月だったとしても、国民年金で満額で6.6万円/月(年79.2万円)以下、これより少ない後期高齢者はいっぱいいて、介護保険料も2,000円/月程度(年収80万円以下)かかり、年金が少なければ少ないほど、大きな負担となります。
長生きするかも知れないので、貯金を一気に取り崩すわけにもいきません。
また、高齢者にとってライフラインとなる、食料品、電気代等を中心に、全ての物価が上昇し、例え少ない保険料とはいえ、収入の乏しい後期高齢者ほど、確実にその生活を苦しめる方向になっています。
さらに、医療費が増大し保険料が増えてくれれば、今も増える介護保険料とともに、後期高齢者の年金から天引きされると、困窮する人がさらに増えるでしょう。

保険料が払えなくなれば、保険証を取り上げられ、医療費を10割負担にする、医者に掛かるな、死になさいと言うことになります。
それならば、不動産を売って生活費にしなさいというのも、人生の終末期を迎えて、生活環境の激変は死期を早める元となります。
また、財産がなくて、生活保護を受ければとなりますが、個人のプライドが高いし、行政の敷居も高いし、生活保護自体が抑制傾向にあり、保険料を払えない人が生活保護にスムーズに移行できる制度も用意されていません。


<低収入には厳しく、高収入には甘く、高額所得者には甘すぎる>
頭割り(均等割)は収入の低い人ほど、家計にとって負担が大きくなり、収入が多い人ほど、家計にとって負担を感じません。
所得割は控除はあるものの、基本的には保険料は、保険料率に比例してます。
頭割りほどではないですが、所得割(比例配分)も収入の低い人ほど、家計にとって負担が大きくなり、収入が多い人ほど、家計にとって負担を感じません。

収入が少ないほど重荷となり、収入が多いほど負担を感じない制度となっています。
保険料は50万円までが限度です。保険料50万円以上の年収を試算してみます。
頭割を7.4万円、差し引くと42.6万円が所得割になり、保険料率を8%とすると、42.6/0.08=532.5万円の所得となり、基礎控除33万円、公的年金等控除額は収入×15%+78.5万円であることから、収入-(収入×15%+78.5万円)ー33万円=532.5万円となり、収入は757.6万円(63.1万円/月)となります。
年収757.6万円以上の人は、192.1万円の公的年金等の控除、33万円の基礎控除を受けて、所得を532.5万円と見なして、所得割42.6万円、頭割り7.4万円を払うことになります。
この額は年金としては、国会議員でも42年在職せねばならない金額でほぼ上限でしょう。
この額を超えるのは、現役を続けている人で、会社の役員、天下り団体の名誉職などでしょう。
757.6万円以上、例えば2倍の1500万の収入があれば、105万円の負担が50万円で済みます。
700、800万円以上の収入があれば、保険料は50万円だけです。1億円でも50万円です。おまけに彼らが野放図に医療費を使えば、保険料の負担は低所得者にも及ぶのです。

高額所得者にはとても優しい制度です。

<保険料の地域格差は不平等>
政府は後期高齢者保険制度の運営を都道府県に任せて、責任逃れをしました。
医療・福祉・教育は、同じ日本に生まれた国民で、差別があってはいけないはずです。
これらは、国が保障すべき事柄です。

同じ額の国民年金を貰っていて、都道府県によって均等割の保険料に差があるのは、不平等と言えます。
医療費の多少は、保険料を支払う患者の側だけの責任でしょうか。
医師側の問題もあるだろうし、ストレスのある社会、地域の生活環境など、本人の手に負えない、様々な要因があり、個人に帰すべきことではないように思います。

誰も好きこのんで、病気になりたくないし、病院に掛かりたくはありません。
また、所得の多い人がいる自治体には調整交付金が交付されないため、保険料が高くなりますが、所得の低い人も、同じように保険料が高くなるのは納得できません。
さらに、保険料は連帯責任となっており、個人が医療費抑制に努め、医者に掛かる回数を減らしているのに、他の人がそうではない場合は、保険料が安くならないため、努力が報われない不条理を感じます


<制度が非常に難解=悪法の極み>
制度を上に要約しましたが、時間を掛けて、やっと理解できました。
この制度を75歳以上の高齢者に理解できるはずがありません。
分かりにくい制度というのは、国民の理解が得られない、悪法と相場が決まっています。
逆に、分かりやすい制度は、国民に受け入れやすい、良い制度と言えます。
収入は世帯単位が当たり前です。しかし、制度は個人単位です。
ここのところの整合には大きな矛盾がはらんでいると思います。


<後期高齢者医療制度は弱者切り捨ての小泉改悪の一環>
後期高齢者医療制度はは郵政選挙で大勝ちした小泉政権が2006年に医療制度改革で作った制度です。
野党はこぞって反対しましたが、強行採決を使って強引に制定しました。
労働者派遣法の改正で派遣業の緩和を行い、非正規社員を増やし、低所得者を増やしました。
障害者自立支援法では、障害者が施設利用の1割負担により、障害が重い人ほど負担が大きくなり、自立できなくなりました。
高齢者をひとくくりにした制度があるのは、医療でなく保険ですが、アメリカの高齢者のための医療保険制度「メディケア」があるくらいです。
後期高齢者医療制度は、弱肉強食の市場経済を優先するアメリカの制度を取り入れた、小泉政権による日本をアメリカの属国化を進める政策の一環だったのでしょう。
改革は国民に痛みを伴うと小泉元首相は言っていましたが、痛みを伴ったのは貧しい庶民だけであって、豊かな富裕層は規制緩和の恩恵を受けて、益々豊かになりました。
小泉元首相の、規制緩和やセイフティネットの撤廃などの改革(改悪)で、どれほどの国民が困窮したか、見殺しにされたか、また後期高齢者医療制度で、どれほど多くの後期高齢者が見殺しにされることでしょうか。

なのに、小泉元首相を賛美する、馬鹿な国民がいるとは、本当に情けないとしか言いようがありません。


<後期高齢者とその家族たち、小泉弱者切り捨てを進める与党政権にノーを!>
4月15日から、被扶養者となっていない人達1100万人から確実に天引きされます。
先に述べましたように、後期高齢者等の全体の保険料が増えているので、各自、ばらつきはありますが、保険料が増加している人の方が減っている人よりも遥かに多くなっています。
悪法がいよいよ、実感されるときになりました。
今後、自分たちの意志を示す機会、総選挙の際には、後期高齢者の人達は思考力が低下し、政治的なことが疎くなり、お上にお任せと自民党に票を入れがちになりますが、こんな仕打ちをする自民党、公明党には投票することは考え直さなくてはいけません。

後期高齢者等の老後の生活を守るため、安心した余生を送れるよう、廃止を訴える野党に投票すべきです。
後期高齢者等を抱えるご家族たちも、小泉弱者切り捨て改革を進める自公政権にノーを突きつけるべきと思います。


<厚労省、自民党に国民は怒れ、取るのはきっちりで使い方は杜撰・お上のため、抜本改革は野党の手で>
道路特定財源を役人たちのカラオケセットや豪華な旅行に使ったり、天下りした団体を食べさせるために随意契約をするなど、税金の使い方は杜撰そのものです。
このなかには、役人だけでなく、業者も政治家もその恩恵に預かっています。
それに対して、人生を戦ってきた高齢者の余生に、枠をはめて、医療を受けさせません。
既得権益で利益を得る役人、政治家、業者たちは、監視されず、自分たちの意のまま、それに対して、後期高齢者は生命線である医療サービスを監視し、縛り付ける、あまりの差、あまりの違いです。
また、宙に浮いた年金は1割ほどあって、貰えるはずの高齢者には払わず、保険料は年金から強制的に天引きする、それも夫婦連帯責任、馬鹿にするのもいい加減にしろと言いたいです。
4月から、どさくさに紛れて、65歳以上74歳未満の前期高齢者も後期高齢者同様、年金から天引きされます。
年金記録が6割も未解明はお粗末すぎ、言い訳の出来ない公約違反です。
ねんきん特別便など、社保庁の無駄遣いはそこ知らず、社保庁の幹部を総取っ替えして、当たらねば全く、ラチが明きません。
責任者に責任を取らせ、システムを変えるには、政権交代しかありません。
民主党の長妻議員が、年金記録の解明に国家プロジェクトで当たらなければと言いましたが、今のドタバタを見ているとプロジェクトは真実味を帯び、まさしくそのとおりにすべきです。
国民は本当に怒らなければいけません。
これだけ、粗末に適当に扱われていて、どこまでも温和しいのでしょうか。
対岸の火事だからと消極的でも、常に弱者になる可能性があります。自分のことと考えなくてはいけません。

政府や官僚のあまりのひどさが分かってきたのは、国民が野党に信任を与えた結果です。
後期高齢者制度を廃止し、社保庁を含む厚労省を抜本的に改革するには、野党に政権を与えるしか方法はありません。

<公共事業予算の大半を医療・福祉・教育へ廻し、土建国家から福祉国家へ>
公的医療費は30兆円、うち75歳以上が10兆円と言います。
小泉改革(悪)で聖域なき構造改革と称して。医療費の公費負担を年間3%下げてきました。
高齢化で高齢者が増え、医療費が増えているにも係わらずです。
年間3%の削減は、高齢化を考えると、その何倍もの削減されたことになります。
言い換えれば、被保険者の負担の増加が行われてきました。
一方、公共事業費も3%ずつ削減されてきましたが、それでも30兆円にも及びます。
偶然ですが、医療費と公共事業費が同額となっています。
30兆円という額はアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリアの公共事業費を全て合わせても多い額です。
お分かりのように、日本は類い希なる土建国家なのです。

道路特定財源に代表されるように、他の公共事業も同様、補助金行政を使って、公共事業を進める者たちが集まって、反対意見が入らないように、作り続けるシステムが出来上がっています。
自民党、地方議員、国、地方の役人、ゼネコン、地方の土建業者、の既得権益集団が出来上がっています。
欧米並みの公共事業費にすれば、10兆円以下で充分です。
20兆円以上は国民の今を救う、医療・福祉に、明日を担う、教育に廻すべきです。

1000兆円もの借金があって、人口も減っていて、道路等の公共事業を作り続ける金銭的余裕も、時間的猶予ももはやありません。
土建国家から、医療・福祉・教育国家に、一刻も早く転換すべきで、少なくとも団塊の世代が後期高齢者となる15年後には完全に体質を転換し終えていなければなりません。

土建業は、食料自給率拡大を図る農業や水産業、環境を維持する林業、二酸化炭素を削減する環境産業、医療・介護福祉・教育に関連する産業への転向を急速に進めるべきです。
他にも無駄遣いがいっぱいあります。駐留米軍への思いやり予算だとか、防衛省の装備品等が商社の言いなりの値段だったり、天下り法人に12兆円もお金を使っていたり、豪華な議員宿舎を作ったり、数え上げればきりがありません。
それら無駄遣いも医療・福祉・教育に廻せば、明るい将来が描けるのではないでしょうか。
子どもたちも安心して年を重ねることが出来るのではないでしょうか。


フィンランド、スウェーデンなど、北欧の福祉国家が福祉を充実させたら遊び人ばっかりがでて、競争力がないのでしょうか。
それとも、弱肉強食のアメリカが、勝ち組にはアメリカンドリームと言って巨額の富が入り、負け組にはホームレスになるしかないアメリカに、フィンランド以上の競争力があるのでしょうか。
国際競争力はフィンランドが3年連続の1位、他の北欧4カ国(スウェーデン、ノルウエー、デンマーク、アイスランド)もすべてトップ10入りしていますが、安い移民という労働力を常にたくさん入れ、外国の優秀な人材をべらぼうな金で買ったアメリカがようやく2位、日本は12位に過ぎません。
全体が幸福の1位フィンランドと、一握りの人が幸福の2位アメリカとでは、天と地のような全く価値が違います。
教育では、競争のないフィンランドが学習到達度1位で、アメリカはOECD平均の遥か下の方です。

国民は一生、豊かな生活が保障されているからこそ、個人の能力を安心して発揮できるのではないでしょうか。
その前提として、国民と一体となるために、公務員は支配層でなく市民サービスに徹する公僕でなければなりません。
誰も一生、遊んで暮らしたいとは思いません。
社会で役に立つ、自分の存在が認められている、人から信頼されている人間でありたいものです。


<自民党議員の試写会要請>
靖国神社を題材にした中国人監督李纓氏が作製したドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」公式サイト)が昨年12月からマスコミ向け試写が行われ、週刊誌などで「客観性を欠く」「反日映画」などと報道されたのを見て、自民党稲田朋美議員(弁護士)は政府出資の基金から助成を受けている映画では問題と考え、同議員が会長を務める自民若手議員の勉強会「伝統と創造の会」と、同じく同党議員でつくる「平和靖国議連」との合同の試写会を、文化庁を通じて要請していました。

<「靖国 YASUKUNI」と芸術文化振興基金>
李纓氏は日本に住んで19年にもなる中国人で、長い年月をかけて「靖国 YASUKUNI」を撮影し続けてきたと聞きます。
撮影のために、来日した中国人ではなく、中国の国営テレビで、ドキュメンタリー制作に携わった後、日本に留学、日本映画監督協会に属し、国際的にも評価の高い監督です。
靖国神社に祀られている軍刀「靖国刀」をかつて作っていた生き残りの刀匠の取材を軸に、靖国の賛否両論を取り上げながら、日本人の靖国に対する意味を探っている作品です。
右翼の人々の妨害に遭いながら、10年の歳月をかけて作られ、日本のタブーである靖国問題に取り組んだ意欲作です。

なお、この映画は、文化庁所管の独立行政法人「日本芸術文化振興会」が管理する芸術文化振興基金から2006年度に助成金750万円を受け制作されました。

<試写会と反応>
稲田議員の要求に対して、監督側と配給・宣伝を司った「アルゴ・ピクチャーズ」は検閲には応じられないとしていましたが、国会議員全員が対象ならばということで、国会議員に対する試写会を3月12日に行いました。
国会議員に対する試写会は検閲まがいのことをされているというアピールと宣伝効果も兼ねる意図があったのでしょう。
自民、民主、公明、社民の各党派の議員40人と、代理出席で自民、民主、共産、国民新党秘書約40人が出席。計約80人が出席しました。
このうち、自民が50人以上を占めたと言うことは、「反日映画」に反応した自民党議員が多かったと言えます。
当の稲田議員は靖国神社が侵略戦争に駆り立てる装置だったというメッセージを感じたと言いましたが、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」会長の自民党島村議員は自虐的な歴史観を無理やり引っ張り込むものではなかったと言い、民主党の横光議員は靖国賛美6割、批判4割という印象を受けたと言いました。
自民党タカ派議員の中でさえも印象が異なり、いわゆる反日的(反日という言葉は全くナンセンスですが)であることが明白なものではなく、個人の受け取り方に左右される映画であったようです。

<検閲と圧力>
稲田議員が会長を務める「伝統と創造の会」は誇るべき伝統や国家の品格を守りつつ新たな日本を創造するという設立の趣旨は具体性がなく、何をしたいかよく分かりませんが、今回の行動を見ると、右翼的なのかなあと思います。
公開を前に、国会議員、それも特定の議員だけに見せろと言うのは、やはり検閲と言えると思います。
芸術文化振興基金から助成を受ける際に、商業的,宗教的又は政治的な宣伝意図を有しないものと規定されており、その審査に合格して助成されたものですから、何ら問題がないはずです。
こういう大衆に出る前に権力が事前チェックし、関係者にこういうものを作ると圧力をかけるぞという行為は、人権のない、情報統制する中国と全く同じ行為です。
自由を奪う行為であり、民主主義を損なう行為です。


<ドキュメンタリーと表現の自由>
事実を連ねているドキュメンタリーといえども、監督のメッセージを感じるのは当たり前で、人が作るもの、人が見るものの常、そうでないと制作意欲も湧かないし、芸術や文化とは言えません。
同じものを見ても、人それぞれによって受け止め方が違うのが当たり前です。
それにいちゃもんを付けるのは愚の骨頂です。

左翼的な映画があっても、右翼的な映画があっても良いのであって、表現の自由です。
それを政府が判定するべきことではなく、見た人々がどう感じるかと言うことです。
こういう独善的な政治家に、豊かな伝統の保持や新しい創造は困難と言えるでしょう。
多様な価値観のなかに、豊かな伝統が引き継がれ。多様な文化が育まれ、新たな創造が生まれることに気付かないのだろうと思います。


<反日的と日本的>
反日的という言葉に極めて、違和感を覚えます。
特に、同じ日本で活動する行為で、一つの行為を日本的、別の行為を反日的と言えるのでしょうか。
日本の歴史・風土の中で起こっていることに、日本的と反日的と選別が出来るのでしょうか。
日本で行っている行動は主流、反主流など、全て、日本的ではないでしょうか。
反日には多様性を認めない、少数派を無視する、響きがあります。
自分たちは正統で、他のものは邪道だという、排他的、差別的、権力的なものを感じます。

多様性を認めない「反日」という考えには、民主主義を認めない極めて危険な考え方と言わざるを得ません。
まるで、戦時中の日本のようです。全体主義、ファシズムの気配を感じます。

<タブーと民主主義>
日本には数々のタブーがあり、靖国問題もタブーの一つです。
日本人が、タブーに真っ正面から議論できないのは、民主主義が根本で根付いていないのと同質のものを感じます。
これは、戦争に対する日本人自らの総括がなされていないことにも通じます。
それは、植民地支配や侵略した国々、特に朝鮮半島や中国から、日本への信頼が根本から生まれてこないのは、こういう土壌にあるのではないでしょうか。


<上映中止相次ぐ>
4月12日から上映を決めていた映画館5館すべてが上映中止を決めました。
街宣車の抗議(嫌がらせ)を受けて、銀座シネパトス館が中止し、他の新宿バルト9,シネマトー六本木、シネマトー心斎橋が追随したものです。
さらに、5月以降の上映をほぼ決めていた別の数館は上映の可否を含めて、配給のアルゴ社と協議をしています。
これに対して、稲田議員は公的助成が適正かで封切り前の試写会を要請した、私と考えが違うが力作だ、表現の自由が守られている国で、一部政治家が映画の内容を批判して上映をやめさせるようなことがあってはならないと話しました。
結局、自民党タカ派の検閲まがいの行為により、映画館は街宣右翼を恐れて自主規制し、表現の自由を犯すことに追い込まれました。
自民党タカ派が思い通りに、自分たちの意に沿わないと思った表現・言論の封殺に成功したという結果になりました。


<言論・表現の自由を守れない日本国民>
稲田議員は表現の自由があり、一部政治家が上映を辞めさせることがあってはならないと言っていますが、上映を止めさせたことになった政治家、張本人が良く言うよと思います。
「日本芸術文化振興会」で既に審査済みで助成を受けており、彼女たちが行ったのは越権行為であり、政治の介入です。
表現の自由を侵していないという認識がないのは、民主主義に対する理解がないと見られても仕方ありません。
この前、日教組の集会で西武グループが凱旋右翼に屈しましたが、今回もまた、映画館が屈してしまいました。

日本は、戦後、民主主義をアメリカから与えられて、自ら勝ち取ったものでないため、言論・表現の自由がどれほど大事なものか、民主主義の基本であることに心底から理解していません。
言論・表現の自由を体を張って、守れない、情けない日本です。
だからいつまで経っても民主主義が根付かない、政権交代が行われません。
小泉・安倍政権で、国旗国歌、愛国心教育が決められたように、この国民性では、いつか来たこの道にならないか、心配です。


<街宣右翼を規制しない自民党政府>
稲田議員たちは、上映が中止され、表現の自由が守られなかったことを、本当に非とするならば、自分たちが阻止したと疑われないよう、上映のために先頭を切って、運動すべきです。
また、今後、上映される映画館があったら、街宣車に対して、公然と抗議すべきです。
そうすれば、彼女たちの言論・表現の自由は大切だという主張は信用できます。
街宣右翼の活動は、明らかに営業妨害です。
駅前で、政治家が自らの言論を発表しているのでも、プロレス団体などが公演の宣伝を車で拡声器で流しているのとも、全く違います。
今回の場合は映画館、日教組の場合は西武系列のホテルを拡声器で攻撃するとしており、政治的主張と言うよりは、政治活動という名を借りた営業妨害活動です。
彼らの狙いはホテルや映画館及びそこに集う人達に、大音量の暴力、怖いというイメージ等で嫌がらせを行うことによって、集会や上映を阻止することにあります。
街宣右翼の人達が、ホテルの集会場を借りて、自らの意見を発表する、映画を作って、映画館で上映するのを、誰が妨げますでしょうか。
彼らを威力業務妨害で摘発しないのか、取り締まることができなければ、新たな法律を作らないのか、不思議です。

天下の公党である自民党が、街宣右翼の業務妨害活動に対して、あまりに寛容である姿勢にも、また、合法的な教師の団体である日教組を公然と非難するのを見ても、ロシアや中国に似た、非常に危険な権力の傲慢さ、民主主義への理解が正しくないことを感じます。

<上映館の出現>
5月10日に大阪市淀川区の映画館「第七芸術劇場」、6月に広島サロンシネマ(広島市中区)、8月に京都市下京区の映画館「京都シネマ」が上映され、東京でも上映を希望する映画館が表れています。
これら映画館の勇気ある行動に拍手を送りたいです。
それに引き替え、大企業である西武グループ系列のホテルが裁判所の判断を無視し、旅館業法をも犯して、右翼に屈した西武の情けなさ、社会的責任の希薄さが浮き彫りにされました。
町村長官、福田首相が不適切だ、遺憾だと、言論の府の長が、他人事のような発言には拍子抜けがしました。
営業妨害により言論の自由を抹殺する凱旋右翼を規制する法案を整備するなど、積極的な行動は全くなく、むしろ、積極的に容認しているような気すらします。

上映時に、街宣右翼が来た場合、警察がちゃんと取り締まるかどうか、見物です。

愛てんぐ

Author:愛てんぐ
自由が一番!

*自由、平和、優しさ、自然が大好きです。暴力、戦争、不公平、不自由は大嫌いです。

*世の中では格差社会がどんどん進み、言論統制の動きも見え、益々自由に生きられなくなっています。

*てんぐになって人のため世のため、独りよがりの意見を、愛を込めて発信していきたいと思います。

*思いを伝えたいため、正確でない表現や数字がありますので、ご了承下さい。

*ブログの趣旨に反する、不快感を覚える、礼儀をわきまえないコメント等は削除しますので、ご了承下さい。

*記事は、情報の正確性や表現の的確性を高めるため、付け加えたり、訂正したりします。

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