≪ 2008 11   - 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 - - -  2009 01 ≫
*admin*entry*file*plugin| 文字サイズ  

母子加算廃止は適法、生活保護『裁量権の範囲内』と、広島地裁が初判断しました。
小泉構造改革の生活保護制度の見直しで、一人親世帯に支給されていた母子加算、70歳以上の高齢者世帯に支給されていた老齢加算が、05年度から段階的に削減され、07年度から廃止されました。
原告は憲法25条に定められた生存権に違反するとして、広島地裁に訴えました。
・すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。(第1項)
・国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。(第2項)

裁判長は母子・老齢加算の廃止は、不合理とは言えない、国の裁量権の範囲内にあるとして、被告側の全面敗訴となりました。
被告側は即刻、広島高裁に控訴すると言っています。
老齢加算の廃止については、東京地裁でも争われ、国の裁量権を認めました。

庶民の目線からは、人の血が通わない、とても厳しい判決です。
役人からみると、お上のすることは常に正しい、この程度は国を預かるものの常識、お上に文句を言うなという判決です。
こういう行政訴訟こそ、裁判員が裁くに相応しい裁判です。

みのもんたが朝ズバッで口癖のように、母子加算は即刻やめよ!の母子加算です。
母子加算・老齢加算は、小泉前首相が財政健全化のため、国民に痛みに耐えよと言って、弱者ばかりに痛みを押しつけた一環だった訳です。
弱者イジメだからこそ、みのもんたがほっとけないとして、何度も言っているのです。
大不況で、派遣切りなどで、家と職を同時に失う人が何万人も出て、弱者切りの小泉構造改革が間違っていたことがようやく、分かってきました。
この不況に苦しむ国民が裁判員となれば、見下し目線のお上裁判官とは異なり、同じ国民である原告に同情する判決となることでしょう。


最高裁の裁判官の退官に伴い、大阪高裁長官が任命されると言います。
裁判官枠が空いたので、裁判官出身を後任にする、何十年経っても変わらない人事です。
これでは何も変わらず、司法が国民から遠ざかるばかりです。
裁判所枠が空いたら、民間出身の弁護士で埋めれば、最高裁の考えが一歩、国民に近くなります。
司法トップの最高裁裁判官の過半数を民間出身に変えることが、司法に国民感覚を取り入れる一番早い方法です。


死刑か無期懲役の選択への国民の参加に、メリットも効果も全くなく、国民を心的疾患を患わせるデメリットしかありません。
それに比べ、行政訴訟での国民参加のメリットは桁違いで、図り知れません。
また、最高裁メンバーを変える方法は、裁判員制度の巨額予算に比べコストはゼロで、おまけに影響大です。


来年度の裁判員候補者への調査票を送付したうち、11万人が返送されてきました。
裁判員になれない規定の項目に該当者だけ、調査票を最高裁に送り返すことになっています。
裁判員辞退希望者は候補者31万人のうちの40%にも相当します。
この中には、辞退に該当しない人までも含まれています。
他にも受け取り拒否というのも、あったと言います。
裁判員制度に実名を公開して、反対する人達も現れました。(候補者の段階で個人を特定するのは違法ですが、罰則規定はありません。)

毎日新聞のアンケート調査では、裁判員に参加したくない人が49%、しようがないから34%ですが、制度そのものには60%が反対し、国民は参加したくないというのが本心のように思えます。
愛知県の弁護士へのアンケートでは制度に反対が68%でした。

国民の過半数が反対する制度を、内容も知らせず(=国民に参加させず)に法案化し強制・義務化するするのは、民主主義ではありません。
国民に苦役を強いるのは憲法違反、裁判員制度を実施する前に、即刻廃止すべきです。
もし来年度も裁判員制度を続けていたなら、最高裁から届く候補者調査票を受け取り拒否しましょう。


「裁判員制度に大反対、一般国民を殺人者にするのか」で、詳細に問題点を記述してますので、ご覧下さい。


スポンサーサイト

3年後消費税アップの自民党に、定額給付金の公明党、本当に、どっちもどっち、大馬鹿コンビです。
政権担当能力が無いことが公明正大に明らかになりました。

<無責任政党・自民党がこだわる消費税アップ>
政府は「経済状況の好転後に消費税を含む税制抜本改革を2011(平成23)年度より実施する」と明記し、閣議決定する予定です。
年度を明記するのに反対していた公明党は、条件付きで容認しました。

○消費税アップ予告は消費マインドを低下
何処の国に、大不況への景気対策をする一方で、3年後消費税アップしますと公言する、馬鹿がいるでしょうか。
景気対策で大盤振る舞いするお金は、即刻消費税アップに繋がって、増税となって返ってくると分かって、景気よく、国民はお金を使うでしょうか。
そんなことは政治のド素人だって、気がつきます。

○全治3年の根拠はなし
そもそも、何で2011年でしょうか。
麻生首相が全治3年と言いましたが、根拠は聞いたことがありません。
何故、マスコミはそれを問わないのでしょうか。
既成事実化しています。

○雇用悪化は深刻
アメリカは景気後退が3年続くことはなかったというのが理由だとか、日本経済はアメリカの金融バブルの影響は少ないというのが理由だろうと言われています。
今回の大不況は、景気循環のなかでの不況ではなく、3年で終わる根拠にはなりません。
麻生首相は日本経済への影響は少ないと言いましたが、トヨタをはじめ、輸出企業は大打撃で、中小企業への影響は計り知れなく、減産で離職者は何十万人と出るだろうと言われ、影響は深刻です。

○100年に1度は納得
100年に1度の大不況というのは、説明しなくても誰でも、理解できます。
80年前の世界大恐慌に劣らない不景気が来るだろうと認めています。
世界経済の牽引役のアメリカ経済が崩壊したのですから。
アメリカの金融バブルが崩壊し、浪費経済が瓦解し、世界経済の成長マシーンが壊れてしまったのですから、致命傷です。

○世界大恐慌もバブル経済の崩壊も全治10年
世界大恐慌は1929年の株の大暴落に始まり、1939年の第二次世界大戦の参戦による軍需特需まで、アメリカは景気回復しませんでした。
10年間も不況だった訳です。
日本では、バブル経済は1991年秋に崩壊し、景気回復は2002年からでした。
無策のままずるずる景気後退し、1999年強制的に公的資金の注入して、不良債権がようやく処理され、10年も掛かったのです。
金融ギャンブル経済がもたらした不況で、実体経済から遊離した金融ギャンブル経済にはもう戻れず、大幅に縮小せざるを得ません。
アメリカのエンジンは元のエンジンには戻れないのです。
アメリカは国も赤字、家計も赤字、浪費出来なくなり、ものづくりがおざなりにされ、資本が集まらなくなったアメリカに昔の力はありません。
世界恐慌では戦争が景気回復の景気でしたが、今回はそれは出来ません。
中国、インドなどの新興国に豊かになりたいという欲望が、世界経済の推進役となるのではないかとみていますが、輸出依存だった体質からみて、V字回復のようには早急には行かないでしょう。
どう考えても、3年で景気回復とは、到底考えられません。

○景気回復直後に消費税アップの体力無し
2011年度には消費税アップの法制度を検討し、12年度から消費税アップという段取りです。
景気回復したら、その年から直ぐに消費税アップが出来るでしょうか。
国民は景気回復しているとは言っても、預貯金は減り、まだ疲弊していることでしょう。
増税に応える余力は残っていないでしょう。そこで、消費税アップすれば、景気後退は間違いありません。
3年後の景気回復も無理なら、その直後からの増税、あまりに、杜撰な計画としか呼べません。

馬鹿な麻生首相がブチあげた全治3年を、党の権威とメンツのため、誤りを正せずにごり押しする愚かさをみていて、自民党の末期症状、終わりをみた気がします。
国民に嫌なことをも敢えて言うというのが、責任政党のあり方といっています。
3年の根拠とそれにいたる筋道を示さない、政策としてはあまりにも酷すぎ、政権を担う政党としては、あまりに杜撰すぎます。

今後行われる景気対策は、埋蔵金だけでなく赤字国債出動やむなしとしています。
累積赤字は800兆円ですが、益々膨れあがるでしょう。
消費税アップは福祉目的といっていますが、100%確実に、財政赤字の補填に向かうでしょう。
今の消費税は、増税の理由にはもってこいの福祉目的を理由に始まったはずが、いつの間にか何にでも使える消費税にすり替わりました。
無駄遣い、二重行政、天下り法人など、官僚行政の健全化は温存されたまま、将来の国民に漬けを廻す、またも無責任体質も温存されたまま、甘い汁を吸う官僚は生き残っていくのが透けて見えます。


<馬鹿の一つ覚えの公明党が唱える定額給付金>
1995年公明党の発案で、消費換気のため、自公政権は地域振興券を配りました。
7000億円の予算を使って、15歳以下の子どものいる世帯、年金を貰う65歳以上の世帯に1人2万円分の商品券を配りました。
結果は殆どが生活必需品の購入で使って、その相応分は預貯金にまわり、30%しか景気回復に使われませんでした。
そのため、地域振興券の評価は「天下の愚策」と揶揄されています。

○天下の愚策、公明党に学習能力無し
今回も、公明党はお金をばらまくことが景気対策と考え、低所得者に厚い定額減税を唱えました。
天下の愚策、効果なしという結果が出ているのに、また同じような対策を講じる、公明党には学習能力が全くありません。
しかし、税金を払っていない人は恩恵に浴さないことから、定額給付金へと変わりました。
ここでも、思考不足が指摘できます。
麻生首相は全世帯に定額給付金と例によって、記者会見でブチあげたところ、閣内の与謝野大臣から高額所得者が貰うのはおかしいという発言が出ると、麻生首相は2000万円以上は対象外としたが、市町村から線引きは事務的に困難という大合唱があると、線引きは地方に任せると丸投げし、政局より政策、スピードが大事と言いながら、結局来年に法案提出を引き延ばしました。
法案の可決は困難が予想され、成立したとしても、実施は4月以降、定額給付金が国民の手に渡るのはゴールデンウィーク辺りと、間抜けな政策となってしまいます。

○国民の方が賢明、バラマキより安心安全(セイフティネット)へ
定額減税に対するアンケート調査でも大半が景気対策にならないと応えています。
国民ですら、景気浮揚に効果の無いバラマキで、それは将来増税で跳ね返ってくると理解しています。
2兆円もあるなら、母子加算をやめよ、介護の費用を増やせ、医療崩壊に使えなど、ごく当たり前のことを言っています。
この内容は、小泉改革によって、外されたセイフティネットです。
小泉改革で外されたセイフティネットの張り直しに2兆円を使うのが、緊急の経済対策と言えます。
貰う側の国民の方が、自公政権の政治家よりも、健全で賢いのです。



○公明党は本質の違う自民党と分かれるべき<
平和と福祉の政党という公明党が国民の望むことが見えていません。
これは自民党政権を支えてきたため、庶民が見えなくなってしまったのでしょうか。
自民党と一緒になって、雇用・福祉・医療などのセイフティネットを外し、弱者イジメをしてきました。
庶民の党という看板を下ろすべきです。
本来、公明党と自民党の性格は全くあっていないはずでした。
大分前に賞味期限が切れた自民党を延命させ、腐敗しだした政治行政システムを持続させ、国民に多大な損失を与えた責任は非常に大きいです。
公明党は、自民党と分かれて政権を降りるべきです。


日本の企業は元来、終身雇用、年功序列の賃金で、社員は家族、社員を大事にしてきました。
そのやり方が奏効して、世界第2位の経済大国となりました。
一億総中流と言われ、賃金格差の少ない、比較的平等な社会でした。
それが豊かな購買力をつくり、大衆消費社会を形成し、外需依存の中にもしっかり内需が根付いていました。
それが不動産バブルに端を発するバブル経済の崩壊が1990年代前半に始まり、不良債権処理が遅々として進まず、1990年代後半の金融破綻により、経済不況が深刻となりました。
この頃から、リストラと称して、早期勧奨退職(肩たたき)が進められ、人員削減で危機を乗り越えました。
リストラはリストラクションの短縮語、再構築という意味です。
他には、社会民主主義の国の多いヨーロッパで行われている、解雇しないで、仕事を分け合うワークシェリング、ジョブシェアリングという手段があったのですが、それを話題にも上がらず、アメリカ型の労働者の首切りを自由に行う雇用調整型に向かっていきました。
企業はアメリカ流の成果主義、能率主義を採用し始め、賃金格差は拡大し、終身雇用・年功序列賃金体系は薄れていきました。
恐らく、アメリカからの年次改革要望書という外圧に屈して、自民党政権はアメリカ型資本主義を受け入れていったのでしょう。
給料の高い中高年層がいるから、若年層の就職がないという理由が幅を利かせ、一気に加速しました。
本当は筋違いで、就職氷河期に問題があったことが本質なのですが。
中途採用より新卒採用を重視するという偏見の日本型の雇用慣行も災いしました。
1999年の小渕政権で派遣業種が大幅に拡大されました。
2004年には、小泉政権により、日本のエンジンである製造業への派遣が許されました。
派遣社員は一気に増え、労働者の30%を越えるほどにもなりました。
正規社員から派遣や請負に切り替える産業が続出し、サービス業では殆どが非正規社員という事態になりました。
価格競争のため、正規を非正規を置き換えが一気に進んだのです。
この引き替えに、雇用の不安定、購買力の低下が持たされ、更に低価格化という悪循環となりました。
労働者派遣業の認可は、世界での競争力強化を考える経済界の強い要請で、導入されたものです。
景気拡大期には仕事がある限り、派遣社員の雇用問題は無かったのですが、今回のように景気後退期には、雇用調整で、真っ先に首を切られる事態となりました。
その結果、非正規雇用者の労働者としての権利が極めて弱いことが暴露されました。
小泉政権など、自民党政権は、労働者のセイフティネットを外し、経営側の都合の良い、まるで機械のように取り扱われたのです。
低賃金で、いつでも首に出来る、
欧州では、非正規労働者の同一労働・同一賃金・同一保険が約束されています。
非正規雇用者が仕事にあぶれる可能性を担保し、割り増しの賃金を支払う国もあります。
自公政権は大きな過ちを犯しました。
アメリカの言いなりに、資本こそ全て、市場は万能という、アメリカ型自由市場経済を導入し、競争社会、弱肉強食社会へと突き進みました。
人生色々、非正規は個人が好んで選択した、それも自己責任と、小泉前首相会社の肩代わりして厚生年金を払って貰うという自分の政治家一家の厚遇を言いくるめました。
アメリカでさえ、もう少しマシなセイフティネットがあるのに、日本は全く取っ払い、企業の好き放題にしました。
人間の労働が単なる人件費に置き換わりました。
人件費を出来る限り低く抑え、経営者は億を超える給与を取り、資本家たちは多額の配当を貰い、内部留保に努めるという経営が当然という感覚になりました。
会社は誰のものという問いに、会社は株主のものというように変わりました。
かつては、中で働く労働者、そのサービスを受ける消費者、勿論資本を出す消費者、つまり、社会の資産だったのです。
人類は権力者が好き勝手にしないよう、平等や博愛の精神で、人権を認めました。
アメリカ型資本主義は、その大きな人類の営みの中では、封建社会のように戻ったかのように、逆行してしまったと言えます。
自由主義経済は自由だと言いますが、制限がある中での自由競争です。
制限があるという意味では、社会主義の要素を取り入れていると言えます。
ルールのない殴り合いは、野蛮人のすること、格差が拡大しないよう、ルールを高めて言ったのが、人類の歴史と言えます。
奴隷制度とは言えませんが、資本家が実体経済を貪るように労働者の利益を奪うようになれば、本末転倒、おしまいです。
行き過ぎた資本主義は是正すべきときに来ました。
何でも自由は、富めるものは益々富み、貧しいものは益々貧しくなり、やがては活力を削がれるのです。
格差の少ない社会への転換期にあるといえます。
労働者への分配を下げた結果、大企業は200兆円を越える内部留保金を貯め込みました。
米中の景気拡大もさることながら、正規社員を非正規社員に置き換えたことによって利益が出た、非正規社員のお陰とも言えます。


派遣業は昔で言う口入れ屋です。
口入れ屋は労働者の人権を奪うと言うことで、長い間禁止されたいました。
日雇い派遣のあまりのピンハネ振りに、日雇い派遣は禁止になりました。
就職の斡旋は、本来国が行う職業安定所、今のハローワークが行われたいました。
次いで民間の就職雑誌が参入し、掲載料や広告料で仲介していたまでは、健全だったといえます。
本来の派遣業は、通訳やパソコンが導入されるまでの専門職としての入力などの需要の限られた極めて特殊技能を持つ専門家に限られていました。
職業斡旋の登録をして、仲介して、派遣されている期間、派遣業者からピンハネされるのは、どう考えても、不合理です。
単に斡旋しているだけなのに、毎月3割ものピンハネをする、登録者を増やし、派遣先を増やせば増やすほど、少ない社員でコンピュータ管理すれば、派遣業はボロ儲けです。
派遣業を開業するには制限がない、企業は人件費削減、両者の意向は合致、結局、物言わぬ労働者だけにしわ寄せしました。
労働組合は自民党政権から組合つぶしの圧力が強まり、社会も労組は利己的というレッテル張られ、労組にも問題はありましたが、労働者の権利を守る組合は弱体化、組織率は極めて低くなってしまいました。
結局、労働者の声は政治の中ではマイノリティとなって、経済界の政治献金とい自民党政治との癒着で掻き消されてしまいました。


人類の発展は、王国や封建制度、階級制度から、民主主義社会、平等・人権といった、個人の権利を認める方向へと進んで、豊かさを享受できるようになりました。
競争社会、市場経済万能主義は、こうした人類の歴史から逆行する行為です。
アメリカはインディアンの住む大地を武力で奪って出来た、極めて異質な国家です。
移民国家で、先に住んだ白人のマジョリティと、奴隷で連れてこられた黒人、移民のラテン系、アジア系のマイノリティが対立する、格差社会です。
対して、日本は歴史と文化があり、縄文人、弥生人の差はなく、アイヌ・琉球民族、在日の人達などはいるものの、単一に近い国家です。
聖徳太子も言ったように「和を以て貴しとなす」とする国で、近代には、身分制度を無くし、比較的平等な社会に発展してきた国です。
アメリカのような競争を煽り、対立を際だたせる国ではありません。
追いつき追い越せで一直線に進み、世界第2の経済大国となって、バブル経済で頂点に達してから、自民党政治は次の発展モデルを描ききれず、アメリカの模倣という選択を誤ってしまいました。
アメリカは世界でも異質な自由主義経済です。
欧州では、その長い歴史から、社会が良くなるには、貧しい人が出来ては、それは良い社会ではないということを学んでいます。
日本もそうだったといえます。
北欧では更に進んで、教育・雇用・福祉という人権を守られてこそ、人は健全な経済活動に専念でき、活力も知恵も働くと考えています。
まさにそのとおりです。将来の不安がなければ、人は思いっきりチャレンジが出来ます。
サーカスで空中ブランコをするとき、下のネットが張っていれば、どんな大技だってチャレンジでき、さらに新しい技にも挑めます。


小泉政権は最悪の選択をしました。
今、家を失って路頭に迷う派遣労働者は、小泉元首相の規制緩和によって、セイフティネットを奪われた人達です。
規制緩和となって、輸出企業を中心に大企業は巨額の黒字を貯め込み、経営者は億単位の年収を得て、株主は多額の配当を得ました。
労働者の富が、経営者や株主に移転され、そのおこぼれを自民党議員が政治献金で還元されています。
強いものが益々強くなり、弱いものが益々弱くなり、ずるいものが得をし、正直者が馬鹿を見る、額に汗するより、株で儲ける方が偉くなりました。
社会規範が完全に狂ってしまっています。
これも小泉政権の改革の歪みです。
医療・福祉・介護、数え上げたらきりがありません。
こういう小泉構造改革を支援した人達に、5~10年、政権の座について欲しくありません。
政界再編と自民党政治家は叫び、マスコミも政界再編に世論誘導しようとしています。
弱者を犠牲にした責任をとらさなければ、1000兆円もの巨額借金を作った責任をとらさなければ、社会の秩序、正義は回復しません。


雇用に戻りますが、日本はアメリカより欧州の方が合っています。
会社は株主のものではありません。
従業員、経営者、株主、消費者、つまり社会のものです。
利益を追求しますが、社会に還元しなければ、存在価値がありません。
困難なときには、経営者も株主も、正規労働者も、社会の痛みをそれぞれの能力に応じて負担すべきではないでしょうか。
市場原理主義では真っ先に従業員を首を切るというの資本の論理は、完全に誤っています。
企業は正規社員を非正規社員に置き代えることにより、貯め込んだ内部留保を非正規社員のために、拠出すべきです。
それが社会の一員としての務めです。
さらに、経営側、株主への配当も減らさなければなりません。
利益の配分を従業員軽視から重視へと、変える必要があります。
一人でも不幸を感じる人がいれば、豊かな社会とは言えません。
人の不幸の上に、幸福が成り立つ今の格差社会から、すべての人の幸福が社会の幸福という価値観へと転換すべきです。
労働、雇用をワーキングシェアリングすべきと思います。
それを推し進める法制度の早期制定を望みます。
その為にも、社会の仕組みを革命的改革するため、政権交代が必要です。
念のため、政界再編ではありません。


アメリカのサブプライムローンの破綻を契機に、強欲なギャンブル金融経済が破綻し、浪費的な消費が一挙に萎み、世界経済の牽引車だったアメリカ経済の没落により、全世界が不況の嵐に見舞われています。
バブル経済の崩壊で大打撃を受けた日本の金融は、比較的影響は少なくなかったものの、打撃の少ない円は急激な独歩高となり、国民総生産の3割を占める外需が萎むというダブルパンチで、国内経済も大不況へと突入しています。
大企業は生産を縮小し、今後の不況に備えて、いち早く雇用調整に乗り出したり、計画の凍結や見直しをしています。
大企業は、人を物のように取り扱い、血も通はないような無情な雇用調整を行っています。
・トヨタは国内工場の期間工の半分、3000人に半減します。自動車業界全体では、1万人以上となる見込みだそうです。
・キャノンの子会社、大分キャノンは請負・派遣会社の従業員を1200人解雇されました。請負会社との契約期間の途中での解雇でした。3日以内に寮を出るように言われている請負社員たちは労働組合を作って、1ヶ月以上の賃金保証、仕事が見つかるまでの社員寮の一時利用を求めています。
キャノンは現経団連会長の会社、トヨタは全経団連会長の会社です。
 ・ソニーが全世界で1万6000人の従業員を09年度末に削減すると発表しました。正規社員の5%に当たる8000人と非正規社員の8000人です。
 ・厚労省の調査では、来春卒業予定の企業からの内定を取り消された大学生や高校生は、331人にのぼり、過去最悪の数字と言います。
 ・派遣法の改定により契約期限が3年間を越えれば正社員にしないといけなくなり、2006年契約した派遣社員の契約満了が2009年4月から始まり、2009年問題といわrれ、約3万人が解雇されると予測されています・
 ・日産自動車では非正規社員をゼロにするという発表がありました。
日本では中小企業が圧倒的に多く、大企業の下の中小企業では、更に深刻な状況と予測されます。
小規模経営ほど、家族愛的な経営で、リストラしにくい状況にあると思われます。

政府は中小企業の対策として、第1次補正予算と金融機能強化法案でこと足れりとして、2次補正予算を提出しませんでした。
第1次補正予算は福田前首相の作った原油高・資源高による物価高騰への対策でした。
また、金融機能強化法は、健全経営のため、資本の一定の倍数までしか貸せないというルールがあり、不況による貸し倒れで資本が目減りするため、それを増強するという法案です。
しかし、これでも、倒産しそうな所は銀行は貸さないので、中小企業が救われるかどうか不透明です。
そもそも、仕事が長期間なければ倒産に向かうしか無く、繋ぎ融資を受けても貸し倒れになってしまい、中小企業を助けることはできません。
また、斜陽産業や経営効率の悪い企業を支援しても、それは全くの無駄となってしまいます。
仕事をつくること、景気を下支えすることが大事です。
同じお金を使うなら、それも明日の日本にとって必要な産業を支援することが大事です。

政府が無策のまま、そうこうするうちに、大企業による派遣切り、リストラ、内定の取り消しが行われ、雇用不安が一挙に吹き出しました。
年内に職と住まいを追われた派遣社員や期間工の人達が急増し、年を越せるかどうかと言う切羽詰まった状態になりました。
政府は慌てて、雇用対策をとろうとしていますが、2次補正予算を来年に引き延ばしたため、雇用対策の本隊部分も来年に引き延ばし、施行は来年度となる見込みです。
2次補正予算を引き延ばしたのは、10月末麻生首相はリーマンショックによる緊急経済対策として、自慢顔に掲げましたが、公明党要望の定額給付はバラマキといわれると、所得制限が必要と答え、最後には地方に丸投げと迷走し、野党から追求されるのを嫌って、年内は1次補正と金融機能強化法で十分というものでした。
政府の緊急雇用対策は、今後3年間に2兆円を投入し、140万人の雇用を下支えする追加雇用対策を決めました。多くは来年提出の第2次補正予算、2009年度本予算に盛り込まれる予定です。
雇用対策の内容は以下の通りです。
 ・派遣社員を正規社員に雇う企業に採用1人当たり100万円(大企業50万円)を会社に支給します。
 ・社員寮の退去を迫られている離職者に対して、敷金、礼金などの費用を貸与します。
 ・内定の取り消しに対しては、ハローワークに特別相談室を設置し、悪質な場合は企業名を公表します。
 ・従業員を解雇せずに出向や休業にした場合に企業に助成する雇用調整助成金を正規社員だけだったのを非正規社員にまで拡充します。
 ・非正規社員の雇用保険の基準を1年以上雇用見込みから6ヶ月に緩和します。
年内実施できそうな対策は、派遣切りなどで、失職し寮などを出なければならない非正規社員を雇用促進住宅の空き部屋(13000戸)に緊急入居できるようにする、職業訓練の強化や事業主の啓発です。
年内にできる最も有効な対策は、雇用促進住宅の空き部屋への入居ですが、13000戸では数量としても、地域の偏りがあって、不十分だろうと思います。
ここでも、雇用促進住宅に公務員が70世帯ほどが不法占拠していました。
この国は、どれほど、公務員が甘い汁をする、国民と遊離した特権を貪るのかと思い知らされました。
ありとあらゆる所で、行政のこういった不正行為や無駄遣い、非効率なことが山積していることが容易に想像できます。
問題は麻生首相の言っているスピードです。
大部分が来年4月以降、これでは何の為の政府なのか分かりません。
内容を見てみると、100万円は数ヶ月の雇う費用くらいで、仕事の保証がないのに雇用する筈がありません。
雇用保険の適用を6ヶ月に拡大されますが、派遣社員は細切れ雇用で中断することもあり、6ヶ月以上の連続雇用は派遣の働き方の実態に即していません。
雇用調整助成金は、休業等への助成は100日までで休業手当の2/3(大企業1/2)、出向は1年以内で賃金の2/3(大企業1/2)ですが、不況の長期化は避けられず、対応できるのでしょうか。
2兆円の財源の内、埋蔵金の一部である雇用保険の余剰金1兆円は確実ですが、残り1兆円の財源が明確にされず、2次補正などと同様、財源探しに四苦八苦しています。
会期延長した国会の審議は先週で終わり、会期末の25日まで休業状態なところで、野党は与党案に近い内容の雇用対策法案(雇用保険の余剰金から1500億円)を提出しました。
 ・採用内定取り消しを制限する
 ・非正規労働者も雇用調整助成金の対象とする
 ・雇い止めや解雇により住まいを失った派遣労働者に住宅を貸与する
野党の案は予算措置の不要な、今即刻出来ることに絞った内容で、企業に対しては与党案より厳しい姿勢になっていますが、ほぼ近い内容になっており、与党も受け入れやすいものです。
与党はパフォーマンスだ、偽装だと言いますが、例えそうであったとしても、国会は国民に必要な法案を時機を逃がさずに作ってこそ、評価されるものです。
法案を出そうとしない与党に偉そうなことは全く言えません。
野党が強行採決しましたが、与党の決めた国会の期間内にあって、今日明日を急がれる雇用対策については、与党が出来る対策をとらないのだから、仕方がないと思います。
雇用問題は一刻も急ぐべき問題で、与党の道義、メンツ、政局も関係ありません。
共通する内容は即刻可決すべきです。
与党は途方に暮れる派遣切りにあった人達より、自分たちの生き残り、政局が大事とみて、衆院では審議すらしないような方向です。




<国交省は新たにダム100基以上必要と試算>
朝日新聞が入手した資料によりますと、国交省は、1997年の河川法の改正により、1級河川109水系について、100年に1度の大雨を基準に見直したところ、100~200年に1度あるような規模の大洪水を防ぐためには、今計画中のものに加えて、100基以上のダムが必要と試算したことが分かりました。

<割り増し計算してダムの存続=国交省の仕事確保>
100年確率の見直しなのに、何故200年確率まで広げるのか、筋が通りません。
国交省が、どさくさに紛れ、200年に1度の条件まで広げたとしか考えられません。
道路をはじめ、公共事業が少なくなりそうな世の中の流れを感じて、国交省の仕事の量を確保するため、発表したものと思われます。
洪水が来る、人命や財産が損なわれる、ダムが絶対に必要だ、そのダムを造る国交省も今以上に必要だと言わんばかりです。
災害の恐怖で脅して、自分たちの仕事を確保し、既得権益を守ろうとしています。

<淀川水系ダムでも民意より国交省益>
この脅しはどこかで聞きました。
淀川水系4ダムの整備計画について、淀川水系流域委員会が4ダムは不適切という結論に対して、それを無視して、4ダムの整備計画を発表しました。
流域委員会は、地元が反対することが多くなり、広く意見を聞くために国交省の出先機関(近畿地方整備局)が設置されたものです。
特に、大津市の大戸川ダムは200年確率の大雨でかなりの被害が出ると出先機関が説明したのに対し、滋賀県嘉田知事はかつての河川氾濫ではそれほど大きな被害は出なかったと言い、反対しました。
国交省は沢山の被害がでるから、必要だと脅迫しているみたいです。
大阪府橋下知事は沢山の施策がある中で、優先順位が低いとして反対しました。
京都府知事とともに3知事は、大戸川ダムの建設は反対で一致しました。
それでも、国交省の言い分は、地元が必要と言っていると言うものでした。
地元が必要というなら日本中全てのダムを作っていることはなく、屁理屈に過ぎません。


<官僚が政策を決定、政治の不在>
100年に1度ならいざ知らず、その倍の200年に1度の大雨対策というのを、100~200年と一括りにするのは、乱暴すぎます。
100年と200年を合わせることで、仕事の範囲を広げたいと願う国交省の意図を感じます。
役人の仕事としては、50年に1度なら、この程度、100年に1度なら、この程度、200年に1度ならこの程度というように、ダムだけなら、ダムと河川改修との組み合わせたコストはなど、技術的なメニューを提示するのが役割であって、100~200年でこうすべきと方針を立てるべきではありません。
方針を定めるのは、官僚ではなく、政治の役目です。

<俯瞰でみる役の政治の不在、省益の官僚が御せない>
800兆円の大借金のあるなか、200年に1度の大雨対策は優先順位が低いと言わざるを得ません。
直ぐにでも人命に掛かる、福祉・医療が優先順位が高く、100年や200年の災害は急ぐいつ用はありません。
その優先順位を決めるのが政治の役割の筈です。
縦割り行政、特別会計、硬直した予算配分、必要かどうかは各省庁で決まってしまい、国全体にとって何が大事かが議論されません。
政治が機能していないのが最大の要因です。


<一級河川管理の地方への移譲も1/5に国交省抵抗>
地方分権の一環として、また二重行政の解消のため、一級河川の地方移譲が検討されています。
分権委によると、都道府県内で完結する一級河川53水系が移管大勝となっています。
しかし、国交省は10水系、僅か2割しか移管できないとしています。
政府の言うことを、役人は抵抗して聞かないという構図になっています。
迷走する麻生政権だから尚更ですが、政官業癒着の一環を担う自民党では、役人が言うことを聞くはずがありません。

<政治が主導権を握る公務員改革、土建国家の是正が必要>
人事や予算が官僚に奪われていることが、政治のままにならない要因です。
自民党長期政権は、政官業の癒着のトライアングル維持のため、官僚にはノータッチ、聖域でした。
政権交代しない限り、公共事業優先=土建国家日本は変わりません。
役人が狼少年のように、国民を脅すようにして仕事を確保し、自分たちだけ生き残ろうとするのは許せません。


これまで、裁判員制度の何回か触れてきました。
・布川冤罪事件の再審請求に対して、高検が最高裁に特別抗告=権力が自らを守るために冤罪という罪を犯す
・御殿場冤罪事件など、お上的判決は裁判所の官僚体質、法曹一元化(原則、弁護仕上がりの裁判官ばかりに)せよ
・御殿場冤罪事件、警察は雨量データを恣意的に作成、司法・行政は権威維持のため人を貶めて平気か
いよいよ、今日から、裁判員候補者30万人への郵送が始まりました。
来年5月から裁判員制度が始まります。
候補者の中から、裁判員が定められ、地方裁判所で殺人等の重要案件について、その刑罰まで裁くことになっています。

●裁判員制度は裁判所の責任放棄、改革は国民への責任分担でなく自らを改めるべし
裁判が国民感覚から遊離した裁判結果となる傾向が強いことから、国民の意見を入れた裁判となるように考えられた大司法改革です。
国民に責任を押しつけたものと言えます。
自らの体質を自ら変えずして、国民に責任を丸投げした、極めて無責任な改革です。
死刑判決なんて、裁判官だって嫌です。
その一番嫌なことに、国民を参加させるなんて言語道断です。
裁判制度を改めることに、国民が参加することで改革するなら、分かりますが、今回の改革は明らかに責任からの逃避です。

●量刑まで参加させるのは前代未聞、一番嫌なことだけやらせる
国民が裁判に参加する国はアメリカをはじめありますが、量刑まで参加させる国は聞いたことはありません。
改革が途中段階を抜かして、あまりにも、乱暴すぎると言わざるを得ません。
重大裁判でないと効果が出ないというならば、もっと効果が出るのが、判決が最終決定となり、前例として扱われえ影響が大の最高裁です。
裁判員制度の導入が三審の最高裁でなく、一審の地裁と言うことは国民の意向を軽く見ている表れです。
裁判員制度は、司法改革を偽装しているに過ぎません。

●人を裁くのが嫌な国民に苦痛を与えるのか
人を裁くことは出来ないという人は数多くいます。
死刑判決まで行うと言うことは、蚊も殺したことがないような人にとっては、苦役そのものです。
まるで、裁判員に罰を与えているようなものです。
裁判では証拠に、死体や残虐な傷口などの写真を見なければ成りません。
卒倒する人も出てくるでしょう。
職業裁判官のように、教育を受け、訓練しているならともかく、素人の国民にとって、フラッシュバックのように思い出されて、一生気が重くなります。
国民に罰を与えるような苦役を強いて良いのでしょうか。
苦役は憲法で禁じられています。

●裁判員は国民の少人数で義務化は間違い
裁判員は国民の義務だと言います。
国民の義務は憲法で定められている教育の義務と勤労の義務と納税の義務です。
それほど重要なものです。
憲法に位置づけられていないものを、義務化するのは憲法違反ではないでしょうか。
義務化するならば、国民投票に欠けるべきです。
また、義務とするにはあまりにも特定過ぎます。
裁判員になる人は5000人に1人と言います。
20歳~70歳の50年間で、100人に1人です。
3大義務は殆どの人がすべて経験するといえます。
義務教育は100%受けます。
納税も物を買うことによって、100%行います。
勤労も有償、無償を含め、何らかの仕事を行います。しなくても刑罰はなく、むしろ強制は苦役とされ、憲法違反となります。
今一番大事な選挙の義務化も実現していません。
殆どの人が裁判員にならないものを、義務と言えるのでしょうか。
どうしても裁判員を導入したければ、希望者だけにすればよいと思います。

●数日だけの審判では真実に迫れず、人命を軽視
裁判は僅か3日程度で、判決を下すそうです。
そんな短い期間で、人に重罰を科す決定ができるのでしょうか。
人の生き死にが掛かっています。
どれだけ論点が整理されていても、躊躇されます。
論点が整理される中にだって、見落としは誤った論点で進められる可能性は少なくないでしょう。
普段の生活をしていて、いきなり裁判所に行って、何も知識もなくて、いきなり死刑を下すなんて、あまりにも人命が軽すぎます。

●死刑を多数決で決定するのは、人命の軽視
判決は全員一致を目標としますが、やむを得ない場合は多数決にすると言います。
裁判員6名、裁判官3名、合計9名で評決します。
5対4で死刑となったら、僅か一人の差で、無期懲役が死刑になるのです。
無期懲役なら、20年程度で仮釈放される禁固刑で、終身刑のない我が国では、死刑との落差はあまりに激しいと言わざるを得ません。
死刑は多数決には馴染まないように思います。

●判決のばらつきが被害者参加で増幅される恐れ
あまり知られていませんが、裁判員制度とともに、被害者参加制度が実施されます。
被害者家族および弁護士が検事席に同席して、求刑までも意見が言える制度です。
被害者が不在という批判から、重罰事件すなわち裁判員制度の対象となる刑事事件に適用されます。
個人的には、被害者の参加の必要は認めますが、被害者側に振れすぎて、刑事事件の本来の意味から少し逸脱しているように思います。
本論に戻りますが、被害者家族が訴えれば、これまでの裁判に比べて、感情的になって、被害者に同情的となり、加害者に厳しくなるのではないかと思います。
残酷な証拠写真も合わせると、判決が厳罰化する可能性が高まることが危惧されます。
素人の裁判員では、選ばれた人により、判決のばらつきが出るでしょう。
さらに、被害者家族の発言で、理性より感情に支配され、さらに判決の振幅が大きくなると思います。
裁判員によって、ばらつきが大きくなるのは、裁判の判決が一定しないというのは、大きな問題ではないかと考えられます。

●冤罪防止は判決に国民参加ではなく、警察・検察への国民参加の方が重要
これまで、死刑判決でも、私はやっていないという人は結構います。
そのなかで、冤罪を認められた人も多くいます。
今の裁判は警察、検察、裁判官、すべてお役人仲間で、行われてきたことに問題があります。
国民参加しなければ変わらないというならば、警察、検察も国民参加しなければならないでしょう。同じように、素人の警察員、検察員が必要です。
裁判所に国民を入れて国民目線に変えても。出される証拠がお役人目線であるならば、どうしようもないのではないでしょうか。
このままでは、冤罪の責任を広く、国民に負わせるものとしか言いようがありません。
国民を冤罪に加担させようとするものです。

●安過ぎる日当で重過ぎる責任は、裁判所の非正規社員化と同じ
裁判員の日当は1万円です。
一方、プロの新任判事で日当換算4万円貰っています。
地方裁判所裁判官は日当4万円以上になるでしょう。
人命に掛かる判決に裁判官と同様に、等しく重みがあって、評価をお金で換算するならば、4倍以上の開きがあります。
裁判員を軽く、あまり甘く見た評価ではないでしょうか。
まるで、会社が経費節減のために導入する、使い捨ての派遣社員のようです。

●死刑制度に反対の人も苦痛
人を裁く資格がないと思っている他にも、死刑制度に反対の人がいます。
恐らく殆どの判決は、死刑か無期懲役の選択が中心となるでしょう。
厳罰に処すべきだが、死刑にしたくない、間接的にも人殺しになりたくないと考えるでしょう。
死刑制度反対の人にとっても、裁判中は苦痛そのもの、裁判後の人生でも、死刑にしてしまったという心の傷は一生消えません。
死刑制度に反対の司法試験合格者は恐らく裁判官の道を選ばないでしょう。
なのに、死刑制度に反対の国民に死刑裁判の裁判員をさせられるというのは、大矛盾です。

●裁判員が非公開では国民目線の検証は困難
国民が参加といいながら、評決の様子は公開されませんし、情報も公表されません。
裁判員になったことも、判決決定の経過もされないし、公開も出来ません。
それで、裁判が国民目線になるのでしょうか。
密室の中で、当事者だけで決定することで、国民目線になるかどうかははなはだ疑問です。
素人の裁判員は自信の無さと、責任の重さに耐えきれず、法律知識や経験の豊富なプロの裁判官の意見に知らず知らずのうちに引きずられるのが目に見えてきます。
非公開の理由として、加害者・被告の関係者や世論などからの圧力や報復をあげています。
そのような、危険な身に国民を晒して良いのでしょうか。
それを、裁判員になる不特定多数の人々に拡大していくことが良いのでしょうか。
あまりにもデメリットが多すぎます。

●裁判員は国民を代表せず、公平さは後退
裁判所で選ばれる裁判員6人は、この段階で裁判所というお上のフィルターに掛けられ、恣意的となり国民目線から一歩遠のきます。
不特定多数から選ばれたとはいえ、6人は特定された個人で、国民を代表するものではなく、代表的な意見があるとするなら、この少人数ではかなり偏りがある可能性が極めて大です。
それをも認めて国民目線というなら、プロの裁判官制度より公平さは薄れていくものと思います。
そもそも、国民の常識的な意見というのが、もしあるというのなら、たった6人で導かれるものではありません。
単純確率で6人を選ぶなら、かなり極端な意見の人も入るだろうし、犯罪者が入ってもおかしくない、むしろそれが手続き上も民主的で、国民目線と考えられます。
裁判員を裁判所が選ぶ際、常識的な意見を述べそうな人、無難な常識人を恐らく選ぶでしょう。
国民目線といいながらも、実態は裁判所目線ではないかと思います。

●国民の直接参加は刑事事件の本質に逆行
刑事事件は、被害者に代わって、国が裁く制度です。
敵討ちであってはならない、私憤で刑罰を科してはならない、その一方で、国が裁くことによって、社会に秩序をもたらす、それ故に、国が裁くのだと理解しています。
国は言い換えれば、国民の意志を反映した国民に代わるものでもある訳です。
国民が裁けば、リンチのようになったりして、冷静な判断が出来ないから、国民の公僕たる国が裁くと理解しています。
国民が直接、国民を裁くという裁判員制度は、刑事事件裁判の本質とは全く逆行するものです。
裁判が国民目線にならないのは、司法に直接、国民参加していないからではなく、国民目線にないお上裁判官を養成していることが問題の本質です。
司法への参加というなら、裁判への直接参加ではなく、評決の過程、人事、予算など、秘密裏に行っていることの情報公開でしょう。
ラインから外れたアルバイト裁判員で、それも末端の地裁で、お上意識の本質が改まるはずがありません。

●裁判員制度はお上=権力者たちを裁くときこそに有効
どうしても裁判員制度を導入すべきとするなら、重大犯罪の裁判はあまりにも荷が重すぎます。
重大裁判で、国民の意思を入れるのがそれ程、効果のあることとは思えません。
検察で固められた証拠の方が大事で、証拠の方が不透明ならば、判決に国民が参加しようがしまいが、大差ないように思います。
もっと責任の軽い、重大でない犯罪の裁判ならまだ、理解できます。
国民の意思が最も入れるべきは、行政訴訟、国家賠償訴訟など、お上が被告の裁判です。
それと大企業なども同様で、要するに権力者を裁くときに極めて有効だと思います。
お役人同士の裁判では、仲間であるお上を信用し、原告の国民を見下しがちです。
此処にこそ、民間の目が入るべきです。

●裁判官=お上意識が国民目線欠如の本質
此処まで書いてお気づきのように、最大の問題はお上意識です。
国民に奉仕する公僕ではない、それが最大の欠陥なのです。
お上のお上によるお上のための裁判が行われているのです。
お上に国民を入れるとするなら、トップの最高裁に国民を入れないと変わりません。
地裁の判決より最高裁の判決が優位です。
末端の地裁では、単にお茶を濁したと言わざるを得ません。

●純粋培養の官僚組織(お上)が癌、民間交流で公僕へ
日本の官僚組織はキャリアと呼ばれる人達が純粋培養されて、裁判所、それぞれの省庁のために人材を育てて、それぞれの組織に都合の良い人達が出世して、骨格を形成していきます。
この中で、国民のためというより、組織のためという意識が育てられ、それが彼らにとっての常識となってしまいます。
このシステムが民意と遊離した判決を生んでいます。
人事の民間交流で、国民目線を入れるのが、組織の内部から変えていく最良の方法と思います。
それでも、長期勤務すると、お上意識が芽生え、国民目線から遠のきます。
裁判官の任期を10年程度にし、弁護士や検察官との人事交流を頻繁に行い、常に流動状態にすべきです。

●トップの最高裁判事を民間出身に変えた方が、国民目線への近道
先ずは、最高裁の判事が民間出身者を過半数以上にすることです。
裁判官、検事出身者だけでなく、他省庁の官僚を含めて、できれば、国公立大学教授等の含めない方が良いかも知れません。
これでかなり、国民目線の最高裁となるでしょう。
そうすれば、全裁判所の人事を握る最高裁事務総局長も民間出身に、事務総局も体質が変わるでしょう。

●民間出身の弁護士を裁判官にすれば、よっぽど国民目線になる
もう一つは、法曹一元化です。
一定の経験を有する弁護士からも、裁判官を選任する制度です。
弁護士であれば、被告の立場に立って戦います。
被告の殆どは国民です。
裁判官、検察官、弁護士のなかで、最も国民目繊維あるのは、弁護士です。
弁護士が裁判官に加わることで、かなり裁判が変わってきます。
少なくとも、全裁判所の過半数を弁護士出身者に変えると、裁判所は様変わりします。
国民の国民による国民のための裁判に近付きます。

●既存の弁護士任官制度は有名無実
現在、司法試験合格時の振り分けで、裁判官になる人、検察官になる人、弁護士になる人が決められ、裁判所の判事・判事補は司法試験合格時に選抜された人達ばかりと言って良いほどです。
職を変更するとき、裁判官→弁護士、検察官→弁護士の、下りの一方通行しか殆どありません。
弁護士→裁判官、検察官→裁判官は殆どありません。
弁護士任官制度がありますが、判事補、判事含めて、60名ほどだけです。
裁判官3100人の2%に過ぎません。
これでは、国民目線は無理なのは当然です。


●国民目線にするには法曹一元化と最高裁の民間化
裁判員制度は誤っています。
かつて同じように導入されたことがあり、数年で廃止されたと聞きます。
今回も同じ運命を辿るでしょう。
恐らく、沢山の人が裁判員を拒否するでしょう。
国民目線を取り入れるには、国民目線の裁判官に変えることです。
最高裁判事に民間出身を過半数にすること、
法曹一元化して弁護士出身の裁判官を増やし過半数にすることです。


●裁判員を苦痛に感じる人に拒否する権利はないのか
裁判員が苦痛な人は、裁判員に選ばれても、拒否しましょう。
嫌だという人に、裁判長は裁判員になれと言えるのでしょうか。
拒否すれば、罰則が与えられるなど、言語道断です。
裁判員制度に反対の者に裁判員を強制させるのは、思想信条の自由を奪い、苦役を強いる憲法違反の行為ではないでしょうか。
判決の相談時に一切発言しなかったら、非協力的だったら、どうするのでしょうか。
罰金を払っても、人殺しになるよりはマシです。
個人の考えを国家が変えさせることは、暴挙です。

●制度の賛成者だけでつくり結果を押しつける、非民主的な仕組み
高齢者医療制度では制度が施行されるのが間近になって、国民に認知されるようになってから、問題点が噴出し、国民からの反対の声が高まりました。
裁判員制度も、アンケートによれば、裁判員制度を評価しない人は評価する人の倍近くあり、やりたくない人が最も多く、仕方ない人の順で、積極的に参加したい人は少数派です。
これで明らかなように、両制度とも、国民の意見を聞きながら、制度を詰めていけば、両制度とも存在し得なかったと思います。
ここで言える大きな問題点は、行政が国民の意思を入れずに検討し、結果だけを押しつけるという点です。
何故そうなるかというと、制度を作るのに、行政に協力的な賛成者だけで、それは専門家であっても同じで、国民の意見を聞かない、専門家でも反対者を排除するやり方にあります。
道路など、公共事業でも同じ仕組みです。
制度や計画を作るときには、広く国民に広報し、意見を取り入れて、進めることが、我が国の行政に欠如する、大欠陥です。

●政治の弱体化で、官僚組織が裁判員制度、後期高齢者医療制度など、国民無視の暴走
裁判員制度は国民の意見を入れないで、KYな最高裁が考えた、国民無視の制度、即刻廃止すべきです。
罹患率の高い高齢者だけを一括りにする医療保健制度と言い、今回の殺人事件の裁判をさせる裁判員制度と言い、世界に類をみない愚かな制度を作った官僚組織は、国民が見えなくなって、おかしくなってしまいました。


愛てんぐ

Author:愛てんぐ
自由が一番!

*自由、平和、優しさ、自然が大好きです。暴力、戦争、不公平、不自由は大嫌いです。

*世の中では格差社会がどんどん進み、言論統制の動きも見え、益々自由に生きられなくなっています。

*てんぐになって人のため世のため、独りよがりの意見を、愛を込めて発信していきたいと思います。

*思いを伝えたいため、正確でない表現や数字がありますので、ご了承下さい。

*ブログの趣旨に反する、不快感を覚える、礼儀をわきまえないコメント等は削除しますので、ご了承下さい。

*記事は、情報の正確性や表現の的確性を高めるため、付け加えたり、訂正したりします。