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『まるこ姫の独り言 中日新聞社説から、驚く事にマスコミの意識が変わって来た』に書き込んだコメントを記事にし、エントリーします。

中日新聞社説 権力監視と未来の提言 週のはじめに考える
2010年4月4日
 歴史と時代の転換期。厳しいメディア批判ですが、それでも権力の監視と未来への提言がわたしたちの任務-が六日からの新聞週間を迎えての感慨です。
 メディアにとってことし最大の事件は、民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる検察捜査とこれを報道した新聞やテレビへの世論の激しい反発と批判でした。
 これまでの検察への批判といえば、「眠れる検察」や「悪い奴(やつ)ほどよく眠らせる」拱手傍観(きょうしゅぼうかん)への冷笑や落胆で、政権与党最大の実力者の疑惑追及に拍手でなく反発が起こったのは前代未聞でした
検察もメディアも同罪
 国民が自らの手で誕生させた新政権への思い入れは深く、検察捜査に官の組織的抵抗や民主党潰(つぶ)しの疑惑を抱いたからでしょう。マスコミも一蓮托生(いちれんたくしょう)とみなされたようでした。
 憲法は新聞などの報道機関を特別な存在と認めてきました。権力者が恣意(しい)的な権力行使をしないように監視・抑制したり国民の知る権利に奉仕することを報道の重要な役割と認定し、国家公務員の守秘義務と戦い、秘密を明かすよう説得することを違法とはしませんでした。公務員への根気強く執拗(しつよう)な取材も、新聞記者が取材源秘匿のために法廷で証言拒否することも正当とするなどの判例も積み重ねられました。
 小沢幹事長の事件でのメディア批判は、憲法が報道機関に期待する権力監視の重大な役割を検察に対しても果たしているかの問いかけであり、不信でもありました。
 民主主義国家での検察は、国民から負託された権力の行使には、適法で公正かつ公平でなければならないのは当然ですが、ことに特捜部捜査では公正さや公平さを疑われてすらならないとされます。
情報操作の危険の自覚
 国民から期待されてきたのは「巨悪の剔抉(てっけつ)」で、そのためには絶対的正義でなければならず、政治権力と切り結ぶには世論の支持が不可欠でもあるからです。
 この点で今回の小沢事件は、強制捜査のタイミングや政治資金規正法違反での現職国会議員の身柄拘束などで釈然としないものを残したことを否定できません。
 確かに政治資金規正法は罰則が禁固五年以下で、形式的とも軽微な法律ともいえません。しかし、核心の陸山会の四億円の土地購入資金が小沢幹事長の記者会見での説明通りの家族名義の私的資金だったとしたら、現職衆院議員を逮捕して罰するほどの悪質性があるかどうかは疑問です。
 購入資金のなかにゼネコンからの裏献金や水谷建設役員が供述したとされる一億円のヤミ献金が混じっていてこそ特捜部捜査の公正、公平の大義が保てるというものです。メディアに公判を検証する義務が残りました。
 検察からの情報入手が至難なのは今も昔も変わらないようです。早朝から深夜、未明までの熱心で執拗な取材も報われることは少ないようです。それゆえに検察と一体とならないと情報が取れなかったり、当局の情報操作に乗ってしまう危険をはらみます。
 もともと警察や検察の事件報道は当局の捜査情報に多くを依存しますから当局が描く事件の構図や筋書きに影響される宿命を免れません。「新聞は当局の情報操作に手を貸している」との批判を必ずしも一蹴(いっしゅう)できない理由です。
 権力との関係で新聞の敗北の歴史は少なくありません。情報操作の危険性を自覚しつつ、取材力を磨き、見識を高めていくしかありません。それが汲(く)むべき教訓でしょう。わたしたちは何より読者に情報の「真実」を伝えなければならないからです。
 未来への提言も難しいテーマです。日本の誇りだった各経済指標も落ち込んで、一九八〇年代には世界のトップだった一人当たりの国民所得は現在十九位、四十二年保った世界第二の経済大国もことし中には中国に譲り渡します。
 一億総中流社会も一時、低賃金と不安定雇用の格差社会に変わり難問解決の妙手の成長戦略を描ききれないでいます。
 経済で国は滅びない
 しかし、経済の衰退で国は滅びません。困難に直面して国民が挑戦する気概を失ったとき国は滅びるのだといわれます。少子高齢化やグローバル経済、脱化石燃料の未知なる世界へ果敢に挑戦して「日本型モデル」を築き上げなければなりません。国を滅ぼしてはならないからです。
 子ども手当や高校授業の無料化も未来に向けた試行錯誤と受け取れます。支え合い社会のための医療や年金や介護の充実も、そのための応分の負担も必要でしょう。昨年の総選挙は国民を統治の主体者に変えました。国づくりは等身大の提案から始まります。


中日新聞が東京新聞を含めると、発行部数は読売、朝日に次ぐ第3位で上位を脅かす存在でありながら、全国紙でないあくまでも地方紙であることから、全国紙と一線を画し、一歩踏み出した社説を書かせているのだろうと思います。
検察という権力の監視をマスコミは怠っていたという反省は画期的で評価したいと思います。
しかし、マスコミの主観的な言い訳や間接的な表現が多く、問題意識はあるものの、マスコミの常識を覆すほどには至ってないようです。
対策が取材力を磨き、見識を高めると言うだけでは、検察に頼る事件報道によって、引き起こされる報道被害は治らないと思います。
検察と一体化しないようにする最大の対策として、記者クラブの解散を上げていれば、その意気込みを感じるのですが。

記事では政権与党最大の実力者の疑念追及に反発が起こったとありますが、これは謝った認識です。
小沢氏は野党第一党の代表のときから疑念追及されていて、自民党に対しては「眠れる検察」と揶揄されてきた検察が、何故野党党首をと、不思議さと不自然さを感じたからです。
また、民主党のためという人もいるでしょうが、起訴もされていない人が検察リーク記事によって世論誘導され辞任を迫られているという異常な状況を見て、法治国家としての正義が行われていないと感じた人が多かったのではないか、この辺の認識も社説は浅いと思います。
1億円のヤミ献金が混じっていたら地検特捜部が公正と判断できるが、それがなくて家族名義の私的資産なら悪質性は疑問というしてきをしていますが、これも誤った認識です。
1億円のヤミ献金が混じっていたら、それを事件化して起訴すべきであって、起訴し得ないから、悪質性はなく、不当逮捕になるのではないでしょうか。
今公判が行われている、西松建設事件で、天の声と盛んに検察は悪者イメージを流しましたが、天の声を証明して、天の声を裁くことはできず、検察の方が危うくなっている状況で、検察の暴走に過ぎません。

新聞社の常識と我々の常識の間にかなり違いがあることも社説を読むと気付きます。
国民の知る権利のために、公務員の守秘義務違反のために、秘密を明かすのは、公共の福祉が阻害されるような場合に限定するのであって、あらゆる事が、報道の自由で、守秘義務違反も取材源の秘匿も許されるものではないと思います。
特に、事件の捜査情報を検察のシークによって国民に知らせることが、国民の知る権利のためのものではありません。
公務員の流す情報は殆どが恣意的であり、内部告発以外は原則、取材源を明らかにすべきです。
公判を検証する義務が残ったとありますが、検察と弁護側が対等に論ぜられる公判こそ、もっともメディアが力を入れるべき分野だと思います。
捜査段階の事件報道は記者会見情報を淡々と記すべきで、もし詳細な事件報道をしたいというならば、記者が検察と無関係に独自情報を収集して独自視点で記事を書くべきです。
検察が絶対的正義を行うというのも、事実誤認です。
検察が何を事件化するか、事件化しないかの裁量権は彼らに握られています。
自民党は利権誘導政治が党是だったのに、自民党政治家を検察はどれほど逮捕したのでしょう。
検察が真剣に正義を考えていたのなら、とうの昔に自民党政権は終わっていたはずです。
検察は自らが正義と考える国策捜査するのが常なのです。
検察の国民の目が入らなければ、国民目線の正義はないでしょう。
そういう意味でも、記者クラブを解散し、あらゆるメディアに開かれた記者会見を行うべきです。

記者クラブなど日本のマスコミの非常識はいっぱいあり、それを間違っていると認識し、先進国で常識となっている事件報道のあり方など、一刻も早く取り入れて欲しいものだと思います。
謝ったルールの下では、取材力や高い見識などでは解決できません。
ルールを是正しなければならないのです。

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愛てんぐ

Author:愛てんぐ
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*自由、平和、優しさ、自然が大好きです。暴力、戦争、不公平、不自由は大嫌いです。

*世の中では格差社会がどんどん進み、言論統制の動きも見え、益々自由に生きられなくなっています。

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