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日本の企業は元来、終身雇用、年功序列の賃金で、社員は家族、社員を大事にしてきました。
そのやり方が奏効して、世界第2位の経済大国となりました。
一億総中流と言われ、賃金格差の少ない、比較的平等な社会でした。
それが豊かな購買力をつくり、大衆消費社会を形成し、外需依存の中にもしっかり内需が根付いていました。
それが不動産バブルに端を発するバブル経済の崩壊が1990年代前半に始まり、不良債権処理が遅々として進まず、1990年代後半の金融破綻により、経済不況が深刻となりました。
この頃から、リストラと称して、早期勧奨退職(肩たたき)が進められ、人員削減で危機を乗り越えました。
リストラはリストラクションの短縮語、再構築という意味です。
他には、社会民主主義の国の多いヨーロッパで行われている、解雇しないで、仕事を分け合うワークシェリング、ジョブシェアリングという手段があったのですが、それを話題にも上がらず、アメリカ型の労働者の首切りを自由に行う雇用調整型に向かっていきました。
企業はアメリカ流の成果主義、能率主義を採用し始め、賃金格差は拡大し、終身雇用・年功序列賃金体系は薄れていきました。
恐らく、アメリカからの年次改革要望書という外圧に屈して、自民党政権はアメリカ型資本主義を受け入れていったのでしょう。
給料の高い中高年層がいるから、若年層の就職がないという理由が幅を利かせ、一気に加速しました。
本当は筋違いで、就職氷河期に問題があったことが本質なのですが。
中途採用より新卒採用を重視するという偏見の日本型の雇用慣行も災いしました。
1999年の小渕政権で派遣業種が大幅に拡大されました。
2004年には、小泉政権により、日本のエンジンである製造業への派遣が許されました。
派遣社員は一気に増え、労働者の30%を越えるほどにもなりました。
正規社員から派遣や請負に切り替える産業が続出し、サービス業では殆どが非正規社員という事態になりました。
価格競争のため、正規を非正規を置き換えが一気に進んだのです。
この引き替えに、雇用の不安定、購買力の低下が持たされ、更に低価格化という悪循環となりました。
労働者派遣業の認可は、世界での競争力強化を考える経済界の強い要請で、導入されたものです。
景気拡大期には仕事がある限り、派遣社員の雇用問題は無かったのですが、今回のように景気後退期には、雇用調整で、真っ先に首を切られる事態となりました。
その結果、非正規雇用者の労働者としての権利が極めて弱いことが暴露されました。
小泉政権など、自民党政権は、労働者のセイフティネットを外し、経営側の都合の良い、まるで機械のように取り扱われたのです。
低賃金で、いつでも首に出来る、
欧州では、非正規労働者の同一労働・同一賃金・同一保険が約束されています。
非正規雇用者が仕事にあぶれる可能性を担保し、割り増しの賃金を支払う国もあります。
自公政権は大きな過ちを犯しました。
アメリカの言いなりに、資本こそ全て、市場は万能という、アメリカ型自由市場経済を導入し、競争社会、弱肉強食社会へと突き進みました。
人生色々、非正規は個人が好んで選択した、それも自己責任と、小泉前首相会社の肩代わりして厚生年金を払って貰うという自分の政治家一家の厚遇を言いくるめました。
アメリカでさえ、もう少しマシなセイフティネットがあるのに、日本は全く取っ払い、企業の好き放題にしました。
人間の労働が単なる人件費に置き換わりました。
人件費を出来る限り低く抑え、経営者は億を超える給与を取り、資本家たちは多額の配当を貰い、内部留保に努めるという経営が当然という感覚になりました。
会社は誰のものという問いに、会社は株主のものというように変わりました。
かつては、中で働く労働者、そのサービスを受ける消費者、勿論資本を出す消費者、つまり、社会の資産だったのです。
人類は権力者が好き勝手にしないよう、平等や博愛の精神で、人権を認めました。
アメリカ型資本主義は、その大きな人類の営みの中では、封建社会のように戻ったかのように、逆行してしまったと言えます。
自由主義経済は自由だと言いますが、制限がある中での自由競争です。
制限があるという意味では、社会主義の要素を取り入れていると言えます。
ルールのない殴り合いは、野蛮人のすること、格差が拡大しないよう、ルールを高めて言ったのが、人類の歴史と言えます。
奴隷制度とは言えませんが、資本家が実体経済を貪るように労働者の利益を奪うようになれば、本末転倒、おしまいです。
行き過ぎた資本主義は是正すべきときに来ました。
何でも自由は、富めるものは益々富み、貧しいものは益々貧しくなり、やがては活力を削がれるのです。
格差の少ない社会への転換期にあるといえます。
労働者への分配を下げた結果、大企業は200兆円を越える内部留保金を貯め込みました。
米中の景気拡大もさることながら、正規社員を非正規社員に置き換えたことによって利益が出た、非正規社員のお陰とも言えます。


派遣業は昔で言う口入れ屋です。
口入れ屋は労働者の人権を奪うと言うことで、長い間禁止されたいました。
日雇い派遣のあまりのピンハネ振りに、日雇い派遣は禁止になりました。
就職の斡旋は、本来国が行う職業安定所、今のハローワークが行われたいました。
次いで民間の就職雑誌が参入し、掲載料や広告料で仲介していたまでは、健全だったといえます。
本来の派遣業は、通訳やパソコンが導入されるまでの専門職としての入力などの需要の限られた極めて特殊技能を持つ専門家に限られていました。
職業斡旋の登録をして、仲介して、派遣されている期間、派遣業者からピンハネされるのは、どう考えても、不合理です。
単に斡旋しているだけなのに、毎月3割ものピンハネをする、登録者を増やし、派遣先を増やせば増やすほど、少ない社員でコンピュータ管理すれば、派遣業はボロ儲けです。
派遣業を開業するには制限がない、企業は人件費削減、両者の意向は合致、結局、物言わぬ労働者だけにしわ寄せしました。
労働組合は自民党政権から組合つぶしの圧力が強まり、社会も労組は利己的というレッテル張られ、労組にも問題はありましたが、労働者の権利を守る組合は弱体化、組織率は極めて低くなってしまいました。
結局、労働者の声は政治の中ではマイノリティとなって、経済界の政治献金とい自民党政治との癒着で掻き消されてしまいました。


人類の発展は、王国や封建制度、階級制度から、民主主義社会、平等・人権といった、個人の権利を認める方向へと進んで、豊かさを享受できるようになりました。
競争社会、市場経済万能主義は、こうした人類の歴史から逆行する行為です。
アメリカはインディアンの住む大地を武力で奪って出来た、極めて異質な国家です。
移民国家で、先に住んだ白人のマジョリティと、奴隷で連れてこられた黒人、移民のラテン系、アジア系のマイノリティが対立する、格差社会です。
対して、日本は歴史と文化があり、縄文人、弥生人の差はなく、アイヌ・琉球民族、在日の人達などはいるものの、単一に近い国家です。
聖徳太子も言ったように「和を以て貴しとなす」とする国で、近代には、身分制度を無くし、比較的平等な社会に発展してきた国です。
アメリカのような競争を煽り、対立を際だたせる国ではありません。
追いつき追い越せで一直線に進み、世界第2の経済大国となって、バブル経済で頂点に達してから、自民党政治は次の発展モデルを描ききれず、アメリカの模倣という選択を誤ってしまいました。
アメリカは世界でも異質な自由主義経済です。
欧州では、その長い歴史から、社会が良くなるには、貧しい人が出来ては、それは良い社会ではないということを学んでいます。
日本もそうだったといえます。
北欧では更に進んで、教育・雇用・福祉という人権を守られてこそ、人は健全な経済活動に専念でき、活力も知恵も働くと考えています。
まさにそのとおりです。将来の不安がなければ、人は思いっきりチャレンジが出来ます。
サーカスで空中ブランコをするとき、下のネットが張っていれば、どんな大技だってチャレンジでき、さらに新しい技にも挑めます。


小泉政権は最悪の選択をしました。
今、家を失って路頭に迷う派遣労働者は、小泉元首相の規制緩和によって、セイフティネットを奪われた人達です。
規制緩和となって、輸出企業を中心に大企業は巨額の黒字を貯め込み、経営者は億単位の年収を得て、株主は多額の配当を得ました。
労働者の富が、経営者や株主に移転され、そのおこぼれを自民党議員が政治献金で還元されています。
強いものが益々強くなり、弱いものが益々弱くなり、ずるいものが得をし、正直者が馬鹿を見る、額に汗するより、株で儲ける方が偉くなりました。
社会規範が完全に狂ってしまっています。
これも小泉政権の改革の歪みです。
医療・福祉・介護、数え上げたらきりがありません。
こういう小泉構造改革を支援した人達に、5~10年、政権の座について欲しくありません。
政界再編と自民党政治家は叫び、マスコミも政界再編に世論誘導しようとしています。
弱者を犠牲にした責任をとらさなければ、1000兆円もの巨額借金を作った責任をとらさなければ、社会の秩序、正義は回復しません。


雇用に戻りますが、日本はアメリカより欧州の方が合っています。
会社は株主のものではありません。
従業員、経営者、株主、消費者、つまり社会のものです。
利益を追求しますが、社会に還元しなければ、存在価値がありません。
困難なときには、経営者も株主も、正規労働者も、社会の痛みをそれぞれの能力に応じて負担すべきではないでしょうか。
市場原理主義では真っ先に従業員を首を切るというの資本の論理は、完全に誤っています。
企業は正規社員を非正規社員に置き代えることにより、貯め込んだ内部留保を非正規社員のために、拠出すべきです。
それが社会の一員としての務めです。
さらに、経営側、株主への配当も減らさなければなりません。
利益の配分を従業員軽視から重視へと、変える必要があります。
一人でも不幸を感じる人がいれば、豊かな社会とは言えません。
人の不幸の上に、幸福が成り立つ今の格差社会から、すべての人の幸福が社会の幸福という価値観へと転換すべきです。
労働、雇用をワーキングシェアリングすべきと思います。
それを推し進める法制度の早期制定を望みます。
その為にも、社会の仕組みを革命的改革するため、政権交代が必要です。
念のため、政界再編ではありません。
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愛てんぐ

Author:愛てんぐ
自由が一番!

*自由、平和、優しさ、自然が大好きです。暴力、戦争、不公平、不自由は大嫌いです。

*世の中では格差社会がどんどん進み、言論統制の動きも見え、益々自由に生きられなくなっています。

*てんぐになって人のため世のため、独りよがりの意見を、愛を込めて発信していきたいと思います。

*思いを伝えたいため、正確でない表現や数字がありますので、ご了承下さい。

*ブログの趣旨に反する、不快感を覚える、礼儀をわきまえないコメント等は削除しますので、ご了承下さい。

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