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9月16日、日本始まって以来の民主主義国家としての初めての本格的な政権交代の日です。
鳩山民主党代表が首班に指名され、鳩山政権が誕生しました。
新政権は記者会見でのべったように、明治以来の官僚主導政治を打破して、日本始まって以来の国民に選ばれた政治家主導の政治、国民主権政治を標榜しています。

日本の夜明けとも言われているめでたいときに、新政権誕生の翌日の朝日新聞の社説は驚くばかりの鳩山政権バッシングです。
新政権誕生時には普通、ご祝儀として、先ずは新政権誕生を祝う言葉が述べられるのが常識なのですが、それすらありません。
政権交代の実現、国民主権政治の約束は、それ自体が我が国にとって歴史的な出来事であり、特筆すべきことで、誰が考えても高い評価に値します。
未体験な国民主権政治をこれから実現しようとすることに、懸念や評価をするのは、誰が考えても異常です。
初日の社説から、新政権の冒頭から、新政権批判とは、朝日新聞は自民党長期政権下では、マスコミも当然、政官業の癒着のトライアングルに組み込まれ、根本では政府自民党には厳しくできず、民主党には気兼ねなく叩いてきたという習性が維持され、朝日新聞の人達の頭から常識が失せてしまったのではないでしょうか。
少なくとも、新政権発足時に書くような社説ではありません。

鳩山首相を上から見下ろしたような、朝日新聞の論調は呼んでいて吐き気がします。
政治とは直接関係のない、鳩山首相の性格までを持ち出してくる程度の0低さ、これで社説とよく言えるものだと思います。
何を偉そうに、朝日新聞がメディアとして、機能を果たしてきたかと言えば、大いに疑問です。
記者クラブを形成して、大手メディアだけで情報を独占し、その見返りに検証無しに政府情報を垂れ流し、政府の公報と化してきたのではないでしょうか。
国民の政治不信の大きな要因も、マスメディアの責任の一端があります。
勿論、政治家、特に政権の座にある与党政治家たちが政治不信を招いてきたことは事実ですが、マスコミは与党の批判は中途半端で攻めきらず、政権の座にない野党の不祥事だけは徹底的にバッシングする、これでは国民の野党不信を抱かせ、国民から政治を遠ざけてきたのは、マスコミも共同責任があると言えます。
朝日新聞は鳩山首相を見下して偉そうに言う前に、ジャーナリストとして国民の役に立ってきたか、権力に寄り添ってこなかったか、国民に政治不信の種しか植え付けてこなかったか、自己批判すべきです。

朝日新聞社説 鳩山新首相に望む―「変化」実感できる発信を
 鳩山由紀夫首相が誕生した。
 「日本の歴史が変わる。今回の総選挙の勝利者は、国民のみなさんだ」
 新首相の感慨も当然だろう。有権者が自らの手で直接、政権交代を実現させる。それは、明治以来の日本近代政治史上初めての出来事である。
 維新から10年余を経た1879年、福沢諭吉は著書「民情一新」で、当時の英国の政治の姿を紹介した。いわく、英国には「守旧」「改進」の二つの党派があり、それぞれが一進一退、「相互(あいたがい)に政権を握る」。この「平穏の間に政権を受授する」仕組みをこそ、学ぶべし――。
 福沢の夢は、それから実に130年の時を費やし、ようやく実現への一歩を踏み出したことになる。
 歴史を画する政治的事件にしては、いささか静かな船出かもしれない。01年、小泉純一郎氏が表舞台に駆け上がった時のような喝采はない。
 新首相の祖父一郎氏が1954年に政権についた時には「鳩山ブーム」が起きた。脱「占領」、脱「吉田茂」という時代の気分を、新首相の登場が代弁したとされる。その孫も、長かった自民党一党支配の時代を終わらせる大事業を成し遂げたのだが、有権者に沸き立つような高揚はない。


日本近代政治史上初めての快挙である民主党政権成立を評価し、祝う気持ちが全く感じられません。
有権者に沸き立つような高揚はないと言いますが、支持率は選挙直後の63%から、内閣発足時に74%へと徐々に高まり、国民は鳩山新首相の政策を耳にする機会が増え、政権交代の意味をようやく理解し始めたと言えます。
国民は小泉劇場による高揚感がまやかしであった反省から、半信半疑だった、冷静だったと言えるでしょう。
小泉劇場を宣伝しまくり、国民の高揚感を煽ったのは、マスコミであり、マスコミは高揚感云々を偉そうに言う立場にないと思います。

■背骨となる思想は何か
 この責めは新首相に帰すべきではないだろう。おそらく、私たち有権者の政治に対する距離感とでもいうべきものが変わったのだ。
 森政権時代に極まった自民党政治への不信。曲芸じみた「小泉劇場」への一時的な熱狂。そのぶん深くなった後継3代の首相への失望。こうしたいきさつが、政治的な熱冷ましの役割を果たしたのではないか。
 有権者は決然と政権交代を選んだ。しかし、新政権に向ける視線は甘くはない。何を語り、何を実行するのか、じっくり見極めようとしている。
 鳩山新首相がまずやるべきことは、このように冷静な有権者に、「変化」を実感させる力強く具体的なメッセージを届けることである。
 鳩山氏の政治哲学といえば「友愛」だが、あまりにふんわりしていて有権者の腑(ふ)に落ちにくい。
 憲法改正では、かつて「試案」を出版した。しかし、それが現実の争点になる時代ではないし、そのつもりもないだろう。当然である。
 では、鳩山政権の背骨となる思想は何か。腰の据わった言葉を聞きたい。本格的な所信の表明は臨時国会を待つにしても、それまでにも機会はあるはずである。
 期待は、たやすく幻滅に変わる。新首相自身が重々自覚しているように、必ずしっぺ返しがくる。変化への願望に「答え」を出せなければ、民意は本当に冷え込むことになる。
 幸い鳩山氏は、自身の置かれた立場を客観的にとらえるすべを知っているように見受けられる。
 曽祖父の代からの政治家一家に生まれた毛並みの良さを、「親の七光りどころか、二十一光り。弟もいれれば二十八光り」と突き放して語ったことがある。「宇宙人」とあだ名されようが、気にするそぶりもない。


高揚感が是で無いのが非であると言いたいのでしょうが、そんなこととは関係ないし、高揚感が無いとしたら、鳩山新政権の所為でもないし、そういう論法自身が不適切です。
小泉劇場以後、3代続いて首相の交代劇が政治不信を招き、国民と政治の距離を隔てたというならば、その責任を問わないのでないで、有耶無耶にするのは如何なものでしょうか。
国民が冷静か、それとも勉強不足かは判断は分かれ、新政権の成り行きを見守るのは当然で、論ずべき話ではありません。
鳩山氏の政治哲学は、ホームページに掲載されており、友愛の理念も書かれています。
所信表明でも示されるはずです。
結局、此処の文章は何か言いたいかさっぱり分からず、支離滅裂です。


■したたかさと危うさ
 その政治的な来歴を振り返っても、意外にしたたかな側面を見いだすことができる。
 93年、自民党を飛び出して新党さきがけを結成し、細川連立政権に参加。96年の旧民主党旗揚げにあたっては、武村正義さきがけ代表の参加を拒み、その「排除の論理」は流行語大賞にまでなった。菅直人氏との「2人代表制」など、斬新な発想も打ち出した。
 98年には新民主党を結成。小沢一郎氏が率いる当時の自由党との合併を、最初に手探りしたのも鳩山氏だった。このときは挫折するが、後に民由合併は実現し、今日の礎となった。
 「真っ暗闇の絶壁の下が水なのか岩なのかわからなくても、スタスタと進んで飛び込んでしまう」
 菅氏がかつて語った鳩山評は、その政治的な人となりを活写している。
 その勇気は「危うさ」と裏腹だが、首相として熟慮の上なら歓迎である。
 とはいえ単騎独行型のリーダーというわけではない。今回の「全員野球」の組閣からもそれはうかがえる。多彩な人材を幅広く配置した。「左右」「保革」といった戦後の枠組みが、いよいよ遠景に退いていく印象がある。
 一方で、政治家としてのわきの甘さには依然不安が残る。


個人的な性格を論じて何になるのでしょうか。
政治を情緒的なことで判断するのは、三流週刊誌みたいで社説に書くようなものではなく、政治を貶めるだけです。


■言葉の重みかみしめよ
 虚偽献金問題では、自身の初心を思い出してほしい。リクルート事件後、鳩山氏ら当時の若手議員が集った「ユートピア政治研究会」は89年、個々の政治活動費の実態を公表した。政治とカネをめぐる改革論議を前進させる契機となった行動である。いまも政治史に刻まれる軌跡を、汚していいのか。改めて国民に説明するべきである。
 言葉の軽さも気にかかる。危なっかしい発言に周囲ははらはらしている。その「語録」が、おもしろおかしく収集されたりしてきた。
 政治は言葉である。政治指導者は、言葉によって浮きもすれば沈みもする。新首相がまず磨くべきは、言葉による発信力である。
 「すべてこれからが勝負」。この言葉の次に何をなし、それをどう語るか。耳を澄ませよう。


虚偽献金は朝日新聞の調査による実績を言いたいのでしょうが、民主党が企業団体献金の禁止がどれほど、政治を浄化するか、その効用を言及する必要があるのではないでしょうか。
個人的な虚偽献金を追求するよりも、政界全体、特に自民党議員の状花に繋がる企業団体献金の禁止をコメントすることが、政官業の癒着を破壊し利権誘導政治を打破し、社会に与える影響は極めて大きいです。
献金問題、言葉の軽さ、そんな指摘は大きなお世話で、言われるまでもなく首相に相応しい行動をとるでしょう。
今後のことを、やる前から、一々、偉そうに当たり前のことを言う、なんて馬鹿な社説なんだろうと思います。

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こんばんは

私達は初めての政権交代をしたのです。
しかも、今までの政治は国民目線ではなく、政治献金の多寡で政策を優遇してきたような、
大企業よりの政策がミエミエでした。
政治によって弱者ほど苦しめられたと言ってもよいでしょう。
それが国民の意思によって政権を交代してきて、その結果がこんなに大差になって表れるとは
思いもよりませんでしたから(小選挙区制度の欠点かも知れませんが)、余計に胸がワクワクしました。
感激もしたし、これからの政治にも期待が持てました。
絶望感から開放されたと言っても過言ではないでしょう。
それが、アサヒの政権交代に水を差す様な社説で、こうも世論から遊離した所に報道機関があるのかと、がっかりもし、腹立たしい思いもしています。

自民党支持者は知りませんが、無党派や民主支持者は、暗黒の政治に終止符を打てると思ったら、
飛び上がるような感激だったはずです。
アサヒのスタンスは庶民よりだと思っていましたが、いつの頃からまったく底辺の暮らしや気持ちが
分からない社になってしまったように感じます。
政権与党より(自民党より)の社説や、記事ばかりになって来たのでしょうが、今度の政権交代の意味を本当に分かっているのでしょうか。
官僚も、メディアも、古い政治家も国民も、柔軟な頭で、心で考える時期に来ているのかなぁと感じます。
そうでなかったら、政権交替をしたい意味がないし、旧態依然の考え方しか出来ないようでは、前に進めません。
が、今までの刷り込みは相当以上に、私達の心を固くさせているように感じます。
まるこ姫さん、コメントありがとうございます。

朝日新聞の社説はあまりに程過ぎるでしょう。
何が言いたいか良く分かりませんし、支離滅裂で、ただイチャモン付けているという風にしか、受け取れません。

政権発足後の社説は、建設的な批判ならまだしも、失言の心配なんて、単なる揚げ足取りでしょう。
もっと、格調高い文章が書けないものでしょうか。
民主党政権ができた歴史的意義や、使命などが書かれて当然でしょう。
それが、政権を取ったのが気に入らないか、野党だった民主党を批判するような調子です。

沸き立つような高揚感がないと感じているのは、朝日新聞が高揚感がないと感じているのが本当のところではないでしょうか。
記者クラブなど、既得権益が民主党によって、奪われるのを快く思っていないのではないでしょうか。
民主党に投票した人達は、時代が変わる、歴史が変わるとわくわくしていました。
内閣支持率は7割を超えています。
国民は鳩山政権に期待しているのです。
それを高揚感がないと読み違えているのは、朝日新聞が国民目線にないことの証明で、ジャーナリストとして失格です。

圧倒的多数の国民が支持する鳩山政権に対する社説とは思えません。
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うちに来てくれた愛てんぐさんが、鳩山内閣誕生の翌日の朝日新聞の社説について、「驚 ...

愛てんぐ

Author:愛てんぐ
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